◎要旨
I. 開拓使の海運政策と附属船
II. 北辰旗制定の経過と変遷

◎はじめに・・5つのトンガリのある星の呼び方
①「北晨星」
・「晨」・・二十八宿の房(ぼう)宿の和名。蝎(さそり)座の頭部の四星より成る。
「晨」とは「房星(ふさぼし)」の別名でもある。「房星」とは「房宿(ぼうしゅく)」の距星(中心となる星)で、さそり座π星。
・「宿」とは中国では星座を意味し、そのうちほぼ天の赤道帯に沿った部分を重要なものと位置付け二十八宿として定めていた。この「房宿」も二十八宿の一つで第4番目)。その左側のアンタレスは「心宿(しんしゅく)」と呼ばれている。
二十八宿とは古代中国(恐らく3世紀)で、月の通り道である白道に沿って選ばれた星座を言う。太陰暦の中心となる月が1日に1つの宿にやどると考えられた。これは恒星月の約27.3日から来ていると思われる。
・ところで、「晨」は、「夜明け」の意味があり、「晨星」=「夜明けの星」という言葉もあり、「晨星落落」という熟語もある。(晨星のまばらなこと、転じて、友人などが(死んだりして)少なくなったこと)
・四神・・28星宿は、7つずつの4グループに分けられる。順番に東、北、西、南の4つの方位に割り振り、青龍、玄武、白虎、朱雀の4つの獣神の姿を当てはめた。高松塚古墳、キトラ古墳に、天文図と4神が描かれていることで知られている。
・東方7宿・青龍・・・・さそり座のSカーブと、それに続くてんびん座、おとめ座の領域を巨大な竜の姿に当てはめています。
・江戸幕府天文方渋川春海による貞享(じょうきょう)2年(1685年)の改暦で、二十七宿が廃され、中国起源の二十八宿に変更された。貞享暦は別名を大和暦ともいい、渋川が独自で開発した暦法であるが、星宿に関しては反対に中国流を取り入れたのである。
②「北辰星」
・「辰」
(ア) さそり座の首星・アンアタレスのこと、和名「なかごぼし」
(イ) 「房星」の別名。
(ウ) 北極星。
*「北辰」・・北極星の異称
③「五光星」
④「五陵星」・・「陵」・・山の背すじ。すじ状の山波の線。
⑤「五稜星」・・「稜」・・角。隣り合った二つの面が交わってなす直線。函館の「五稜郭」は、この「稜」の字。

Ⅰ.開拓使の海運政策と附属船

1. 開拓使の海運政策の中心点
・「本道ハ四面海ヲ環(めぐ)ラシ貨物の出入皆船艦ノ力ニ由(よ)ラザルナシ」(「開拓使事業略記」)という状況で、北海道の開拓には、輸送手段の確保が重要事であった。
・脆弱(ぜいじゃく)な日本型木造船から西洋型船による海運への革新と、開拓使自らが船舶を所有し交通手段を拡充する必要があった。

<その理由>
① 北海道の豊富な海産物の移出と、米・塩など生活必需品の移入のため、海運はその生命線
② 移民導入のうえからも、士族移民団の遭難の多発で海上交通の安全確保が重大関心事
③ 明治政府自体、日本船の航海権を確保することは、政治的にも国防上からも要請され、積極的に西洋型船舶の導入を図った。開拓使の海運政策もこれに沿って進められた。
④ 開拓使の管轄が樺太、千島を含み、また陸路の交通手段が未整備でいきおい海運手段に頼らざるをえなかった。
⑤ 地方庁、中央省庁という開拓使の二重性から、たえず中央との連絡を必要とした。

2.開拓使附属船(外国船雇用・西洋型船の所有)の経過
○明治2(1869)年2月・・東久世道禧(みちよし、ミチトミとも)開拓使2代長官が政府に提示した14ケ条の「開拓施策要項」の中で「附属船を備ふる事」の項目を掲げ、太政官に帆船・汽船各1隻の交付を要求。
○明治2年9月・・咸臨丸、昌平丸が交付された。
○2隻では、需要をまかないきれず、開拓使は、高運賃の外国商船を雇用。しかし、事業が煩雑になるに従い、不当な傭船にたよるわけにはいかなくなり、外国船の買取りを計画。まず、康午丸、辛未丸を購入。
○そのほか、政府から貸下げを受けるとか、国内船を買い上げるなど、開拓使所有船の充実を図り、開拓使廃止の明治15(1882)年まで、開拓使附属の汽船・西洋型帆船はのべ29隻に達している。(資料①)