Ⅱ.北辰旗制定の経過と変遷

1. 太政官布告で外国形輸送船には国旗と省府藩旗が掲げることになった。
明治3(1870)年1月27日、太政官布告第五十七号」『郵船商船規則』

2.「蛯子末次郎の伺」(資料②)
・(右)
「今般 樺太運送御用御取運被遊候ニ就テハ御軍
艦諸廻漕船区別ノ為メ左書雛形ノ通青色地ニ
北晨星ヲ象り北海道旗章被立置候テ如何
哉 此段奉伺候 以上
申正月     御用係
               蛯子末次郎」
・(左)
「此五陵形旗章ノ原因タルヤ北晨星ヲ
象リ則青色地ニ赤色ヲ點付ス」

・明治5(1872)1月、蛯子末次郎は、開拓使に「北海道旗章立置方、伺」を提出。(「北晨」の文字は、この「伺」以外には、見当たらない。)
<蛯子末次郎>
・天保13(1842)年箱館生まれ。
・武田斐三郎(あやさぶろう=五稜郭、弁天岬砲台の設計者)門下に入る。
*「蛯子は、恩師・武田の作った五稜郭をイメージして星の旗章を考えた」とする意見もある。(「北ノ星ヲメザシテ」=北海道ポータルサイト・北海道人)
・明治5年(1872)1月、開拓使御用係となり、樺戸丸船長を命じられる。
この月、「北海道旗章立置方、伺」提出。
・その後、弘明丸、函館丸、矯龍丸、玄武丸の船長となる。

2. 明治5(1872)年2月、開拓使、附属船旗章を定める。
①「本使附属船旗章ヲ蒼色五稜形ニ定ム」(開拓使事業報告)
②「開拓使より大蔵外務両省へ差回 達」(明治5年2月15日 「開拓使公文録」)
「  大蔵省
外務省 御中                開拓使
当使船艦旗章 別紙雛形之通相定候間 為御心得御達申候
尤、縦横寸法等ハ船之大小ニ寄差別有之一定致ガタク候ニ付、
書載不致、此段為念申達置候也
  壬申二月十五日」
・北辰旗は、明治5年(1872)2月、3隻の開拓使附属船(安渡丸、辛未丸、石明丸)に最初に掲げられた。
青地に朱色の五稜形であった。

3. 明治6(1873)年10月竣工の開拓使本庁舎に掲げられた北辰旗の地の色は、青か白か(佐藤京子論文)

・御雇米人ホルトの絵(「新撰北海道史 巻3」所収)は、紺地赤5稜星。
・札幌本庁舎完成直後の写真(明治6年=1873=10月、北海道大学附属図書館所蔵)、
別海缶詰所開所式の写真(明治11年=1878、北海道大学附属図書館所蔵)は、白か
・明治7(1874)年、札幌本庁から東京出張所あて開拓使旗章の注文に
「旗章用品ハ白繻子(しゅす)呉呂(ゴロ)並緋呉呂類相当ノ品」とある。
・明治10(1877)年の小樽分署の「旗章新調願」の旗の材料は紺と朱の旗布。

5. 黒田清隆開拓次官の「旗章更正伺」(資料⑤)
・明治5(1872)年9月19日、黒田清隆開拓次官は、青地に赤7稜星の雛形を正院(せいいん。「しょういん」とも。明治維新政府の最高政治機関。明治4年(1871)の官制改革で太政官内に左院・右院とともに設置され、太政大臣・左大臣・右大臣・参議などで構成された。同10年廃止。)へ提出。

「當使官邸並用船等ヘ章建用候大小旗
章、先般雛形を以申上置候処、今般、
別紙旗影之通、致更正候間、御布
告相成候様、仕度此段奉伺候也
 壬申九月十九日    黒田開拓次官
     正院 御中         」(「稟裁録」
・正院は、却下する。その理由(「赤れんが」佐藤京子論文)

*明治5(1872)年8月30日、開拓使は、函館に邏卒(警官)を置く。その徽章は7稜星。

*黒田清隆開拓次官は、なぜ7光星の旗章への変更を申請したか。

6. 保任社用船の旗章
・清国商人は、北海道海産物、特に昆布輸出の商権を独占、過酷な条件で生産物を買い占めた。開拓使は、清国商人を排除して直接清国に輸出する対策が考えられた。
・明治6(1872)1月、保任社創立(総頭取・榎本六兵衛、木村万平は副頭取のひとり)
・開拓使から北海丸の貸与と官費の補助を受け、多くの船舶を購入して海運に当たった。
・明治7(1873)年4月、わずか1年余で解散。(社員と結託した官吏の背任行為が原因とも=新北海道史=)
*社用船の徽章・・二重の5光星。旗地・中の星は「彩色なし」、外側の星は朱。

7. 北辰旗掲揚の取りやめ
・明治11(1878)年1月で本庁はじめ、各関係機関の旗章掲揚は取りやめになった。
「乙第2号             各局分署
 従来本庁竝工業局、警察署、官公立学校、病院、其他出張所、分署等ノ内、標旗掲揚致来候向モ有之候処、自今官衙(かんが=役所)ハ総而掲ルニ不及候条、此旨更ニ
相達候事
   明治十一年一月十日     札幌本庁 開拓大書記官  堀 基」

Ⅲ.(付)北海道旗について
・開道百年記念事業の一環で制定
「道旗は、本道開拓使が使用した北辰旗と、当時着想されていた七稜星のイメージを現代的に表現したもので、地色の紺色は北の海や空を意味し、星を囲む白は光輝と風雪を表し、七光星の赤は道民の不屈のエネルギーを、またその光芒は未来への発展を象徴したものです。」(昭和42年=1967=5月1日制定)
・蛯子長三郎の異議
「道章は、すでに決まっている。赤の五稜星である。なぜ今更変える必要があるか」(高倉新一郎 論文)

◎まとめ
・北辰旗は、明治5年(1872)2月、3隻の開拓使附属船(安渡丸、辛未丸、石明丸)に最初に掲げられた。青地に朱色の五稜形であった。
・開拓使本庁舎に翻った「北辰旗」の地の色は、いまだ、解明されていない。

<調べ終えて・・・・突飛な私のロマン・感想>
1. 蛯子末次郎が、伺を出した「北晨旗」の青地に赤5光星は、古代中国の二十八宿の東方・青龍の域にある赤い星=さそり座アルファ星・アンタレスをイメージしたものであるのではないか・・
2.黒田清隆と榎本武揚の男の友情が、七稜星の旗章の提起になり、今日、北海道旗として、蘇った。