◎要旨
開拓使の役所がどこにあったのか、なかでも、在京の開拓使の庁舎がどこのあったか、歴史書でもあいまいな記述が多いので、名称も含め、論じて見たい。
とりあえず、東京、札幌(周辺を含む)、函館に限って書く。
【東京】
◎「開拓使」の最初の庁舎は、大名小路・旧稲葉家上屋敷内に置かれた。
・明治2.7.8・・太政官制改革で「開拓使」設置。最初の使庁は、民部省内におかれた。
 民部省は地方行政を管掌する主要行政機関であり、当初は現在の外務省(千代田区霞ヶ関1丁目1番地)の旧黒田長知(くろだ・ながとも=筑前福岡藩主)邸に置かれた。
◎2度目の開拓使の庁舎は、「東京城西丸」に移転した。
・同年8月、開拓使は、民部省内から太政官内に移転した。
<経過>
・慶応4.4.11・・討幕軍江戸城入城、慶喜水戸へ退去。
・同年閏4.21・・太政官制 制定。
・同年7.17・・江戸を「東京」と改称。
・同年9.8・・「明治」と改元
・明治元.10.13・・江戸城を皇居とし、「東京城」と改称。
・明治2.2.24・・太政官を京都から東京城・西丸に移す。
*<なぜ本丸でなく、西丸か?>文久3年(1863)6月、江戸大火で本丸、西の丸類焼し、西の丸は翌元治元年(1864)に再建されるが、以後、本丸は、再建されなかった。
ちなみに、江戸城天守閣は、明暦3年(1657)1月、いわゆる「振袖大火」で炎上、以後、天守閣は再建されていない。
・明治2年8月に、民部省内から太政官内に移転。つまり、2度目の開拓使の庁舎は、「東京城西丸」に移った。
・明治3.2.13・・「樺太開拓使」設置。「開拓使」は「北海道開拓使」となる。(明治4.8.8、樺太開拓使廃止までの名称)
・明治3.閏10.10・・在京の「開拓使」は、「北海道開拓使東京出張所」(樺太開拓使廃止後は「開拓使東京出張所」)と改称。

◎3度目・・「開拓使東京出張所」は、蛎殻(かきがら)町(現東京都中央区日本橋蛎殻町付近)の北海道物産所に移転。

◎4度目・・のち、稲荷(とうかん)堀(現東京都中央区日本橋小網町付近)に移転。

◎5度目・・明治4.8.27・・芝の増上寺本坊に移転(のち、同寺の方丈跡へ移転)
さらに、明治5.9.20・・芝の増上寺境内の威徳院に移転。以後開拓使廃止まで
の「開拓使東京出張所」の庁舎となった。

【札幌】
・明治2.10.12・・①銭函に「開拓使仮役所」設置(鰊漁家・白浜園松宅,現銭函郵便局付近)
・明治3.4.-・・②「開拓使仮役所」を小樽信香(のぶか)町の旧兵部省小樽役所跡に移転。
・明治4.4.-・・③開拓使仮庁舎竣工(東創成通=現北4東1、鉄道病院付近)
・明治4.5.-・・「札幌開拓使庁」設置(役所は仮庁舎を使用)
・明治5.9.14・・「開拓使札幌本庁」となる。(旧仮庁舎が最初の本庁舎)
・明治6.11.24・・④開拓使、札幌本庁舎の落成を布達。落成は10月29日。現在の北海道立文書館(「赤レンガ」)の北側。
・明治12.1.17.午後7時50頃、開拓使本庁舎出火。
・翌18日、⑤仮事務所を札幌農学校演武場(上川通=北2西3=)に設置。
・1.19・・⑥仮庁舎を旧札幌女学校跡(それ以前は、「脇本陣」)へ移す。以来、この仮庁舎は、明治21年12月14日、北海道庁庁舎(赤レンガ)の落成まで、10年近く、開拓使庁舎、札幌県庁舎、北海道庁庁舎として使用された。

【箱館(函館)】
・文久4(1864).6.15・・五稜郭竣工。箱館奉行所を箱館山山麓の「御殿坂」(現基(もとい)坂の函館市元町の元町公園付近)より移転
・慶応4.4.12・・箱館裁判所設置(箱館奉行所を接収)
・慶応4.閏4.24・・箱館府と改称。・12月15日、榎本軍の政庁になる。翌明治2.5.18榎本降伏、庁舎は箱館府に復帰、同年7月24日、箱館府廃止。
・明治2.9.30・・①五稜郭内の旧箱館奉行所(のち、旧榎本軍政庁)に開拓使出張所開庁。
・明治4.-・・五稜郭の庁舎取り壊し。②基坂の旧箱館奉行所を改修して移転。以後、昭和25年まで、開拓使函館支庁、函館県県庁、北海道庁函館支庁、渡島支庁の庁舎となった。
<参考文献>
・「新札幌市史」
・「新北海道史年表」