◎はじめに
北海道文化財保護協会の会報「文化情報」299号に、新川寛氏の「縄文尺」と題した論文を読んだ。
 要旨は、「青森の三内丸山遺跡のような大型住居跡の配置は、縄文尺ともいうべき基準物差しがあったと考えられる」という高島成侑氏(八戸工業大学教授)の「縄文尺」提唱を紹介しながら、度量衡の歴史、なかでも、古代の尺度に触れている。
 そこで、新川論文の紹介と、古代の物差しについて調べてみたので、紹介する。

◎「弥生尺」
 私が興味を持ったのは、「弥生時代の日本人は、稲束を両手にぶらさげて、自由に家(作業場)の中に出入りする幅を一間(けん)とした」という記述だ。
 「間(けん)」の語源を初めて知った。であれば、「間(けん)」という単位は「弥生尺」ともいうべき物差しといえると思う。

◎身体の一部を基準とした単位
・「寸(すん)」・・親指の幅。
・「尺(しゃく)」・・「尺」は象形文字で、手の姿を描いたもの。それから、「人の手幅」をいう。指十本の幅が「一尺」。
・「束(つか)」・・「束」は、会意文字で、「木+○印(たばねるひも)」で、たき木を集めて、その真ん中にひもをまるく回してたばねることを示す。
 「一束」は、指四本をにぎった幅の長さ。
 「束(つか)の間」は、ほんのひとにぎりの間。ほんのしばらく。
・「あた」・・手のひらの下端から中指の先端までの長さ。一説に親指と中指を開いた長さ。
・「尋(ひろ)」・・「左+右+寸」の会意文字。左手と右手をのばした長さ。

◎世界に例のない複雑な単位の流通
 明治18年(1885)、日本は国際メートル法に参加、同24年(1891)公布された。さらに、明治42年(1909)にはヤードポンド法も交付され、尺貫法と合わせて3系統62単位が入り乱れ、日本は世界に例のない複雑な単位が流通した。 
 その後、多くの曲折を経て、メートルによる統一の必要が認められ、昭和34年(1959)1月1日をもって。メートル法が実施され、他の度量衡は廃止された。