太政官とは、「天下の権力総てこれを太政官に帰す」(政体書)と規定された、明治初期の日本の最高官庁。
 「太政官」の役所の所在地がどこだったかを述べる。

・慶応4(1868)閏4月21日、政体書を定め、太政官のしたに、7官2局を置く。太政官は京都御所に設置された。
・明治2(1869)年2月24日・・明治天皇東京滞在中、太政官は東京に移転することを達し、皇城内西の丸に置かれる。
・明治5(1872)年3月・・西の丸下に太政官庁舎を造営。
・明治6(1873)年5月5日・・皇城の火災により、多くの公文書類もろとも、太政官庁舎は焼失。即日、赤坂離宮が仮皇居と定めるが、太政官については、馬場先門内の旧教部省庁舎を活用することとなり、同庁舎に「太政官代」が設置。
・明治10(1877)年8月・・しかしながら、「万機を親裁」する天皇が居住する赤坂離宮と太政官庁舎との間に距離があるのは不都合であるとして太政官を赤坂仮皇居内に移転。
・明治11(1878)年6月、木造西洋式2階建ての太政官庁舎が赤坂仮皇居内に新築。以後、内閣制度発足の明治18(1885)年12月22日までは太政官庁舎となり、明治22(1889)年1月まで内閣庁舎として使用された。

(参考:国立公文書館ホームページ「デジタルギャラリー」)