◎はじめに
「蝦夷紀行」は、北海道立文書館(以下、文書館)所蔵の「旧記」である。文書館編の「北海道の歴史と文書」によると、「旧記」とは、「主として近世後期から明治初期までに成立した北海道関係の地誌・紀行・日記・歴史関係の記録等」のことである。文書館所蔵の旧記は2341点あり、「蝦夷紀行」の請求番号は「旧記1782」である。
1. 原本と写本の来歴
① 原本・・著者・館野瑞元の文化4年(1807)9月29日付、長橋右膳宛の手紙。
② 「定所主人」の「抄写本」
・奥書に、翌文化5年(1808)9月18日付けで、「原文繁して、且ながければ刪潤してうつし置」とある。原文はもっと長かったことが窺える。「刪潤」とあるから、削ったばかりでなく、補った箇所もあることになる。「定所主人」は館野の原本を見たことになる。彼は、原本を写したのではなく、「刪潤」したのだから、写本でなく、いわゆる「抄写本」ということになる。
・また、「蝦夷紀行」と題したかどうかについては、「此書簡・・蝦夷地に行たる事を記したる也」とあるから、まだ、「蝦夷紀行」とは題されていないことになる。
・「定所主人」は、不明。彼が、「原文」を入手した経過もわからない。
③ 「岡野みなもとの義知」(以下「岡野氏」)の写本
・さらに、「定所主人」の奥書の後に、岡野氏の奥書があり、「ある書房にて・・かひもとめ・・つたなき、ふんてとりて、かく写しぬ」とある。だから、「抄写本の写本」ということになる。
・岡野氏は、「此蝦夷紀行」を買ったのだが、当初から「蝦夷紀行」と題されていたのか、彼が題をつけたのか、または、題はなく、単に「蝦夷地の紀行の本」だったのかは、分からない。
・現在、道立文書館所蔵の「蝦夷紀行」は、岡野氏が購入し所蔵したものであり、「蝦夷紀行」と表題がある。
 <その根拠>
 ・奥書の最後に、岡野氏の署名と朱印2つがある。ひとつは丸印で「義知」、もうひとつは、角印で「岡野」とある。
 ・さらに、表紙裏に「岡野氏文庫」という縦長の朱印がある。
◎岡野義知について
○著書
「鬼怒川小貝川用悪水路図」
・彩色 60.3×209.5cm、明治大学図書館蘆田文庫所蔵)
・奥書・・「嘉永元年葉月中の十五日 岡野義知しるす」
*「蝦夷紀行」の奥書・・ 「卯月末の九日」
○写本
「蝦夷島奇観」の手写し(坂本龍門文庫所蔵)
岡野義知は幕末の絵師   → 「蝦夷紀行」の付図も岡野の手になる
2. 道立文書館所蔵の来歴
① 旧記の収集・・前掲書によると、北海道では、開拓使以来、献納、購入、書写などして、精力的に旧記の収集に努めた。これらには、所蔵に帰した時代と担当係、その後の引き継ぎ経過によって、「開拓使印」「函館支庁印」「記録局編輯課」「札幌県図書印」「北海道庁之印」などの蔵書印が押され、その来歴を知ることができる。
② 札幌県時代・・「札幌縣圖書印」
・「蝦夷紀行」の表紙の蔵書印がふたつあり、そのひとつは「「札幌縣圖書印」。
・明治15年(1882)2月8日、開拓使が廃止され、「札幌県」など3県が置かれた。札幌県では、翌16年12月、「札幌県図書取扱手続」を達し、図書にはすべて「札幌県図書印」を押し、旧記は記録局編輯課が保管することになった。
・「蝦夷紀行」には、「開拓使印」はないので、札幌県時代に収集されたと思われる。
・なお、旧所蔵の「星野氏」に関する印は、墨で「×」され、さらに、その上に和紙
   されている。「蝦夷紀行」の所有が、星野氏から、札幌県に移ったことがわかる。
③ 北海道庁時代・・「北海道廳圖書之印」
・明治19年(1886)、3県を廃止し北海道庁が置かれた。図書の管理は第一部記録課の所管になり、20年、北海道庁訓令で図書管理が規定され、「北海道廳圖書之印」を押すことになった。
 ・明治42年(1909)1月12日、赤れんが庁舎火災のおり、図書類も損害を蒙ったが、「蝦夷紀行」は、難を免れた。
④ 道立文書館
・「蝦夷紀行」など旧記や諸文書の保管・利用は、その後、総務部文書課史料編集係を経て、昭和43年(1968)に、総務部行政資料室(のち課)が設置された。
・昭和60年4月1日、「北海道立文書館条例」が公布され、7月1日開館した。旧記をはじめ、諸文書が保存されている。
◎まとめ
・文書館にある館野瑞元の「蝦夷紀行」は、館野の手紙の「抄写本の写本」ということになる。
現在、「蝦夷紀行」は、北海道総務部法制文書課の中の組織である北海道立文書館が保存・利用にあたっている。・したがって、「蝦夷紀行」の筆跡は、「岡野みなもとの義知」なる人物である。
<参考文献>
・「北海道の歴史と文書」(北海道立文書館編、北海道出版企画センター刊、1987)