官職名としての国司
◎はじめに
ある研究会で、「淡路守、出羽守などというが、淡路とか、出羽などの国によって位の上下あったのか」という質問が出された。
官職は、律令時代と江戸時代では、大きく異なるので、まとめてみた。結論からいうと、律令時代は、由緒ある正式な職で、名前によりランクが付けられていたが、江戸時代の大名や幕吏が国司などの官職を名乗る場合は、形骸化し、名前による上下はなくなっていた。

Ⅰ.律令時代(大化改新後~奈良時代・平安前期まで)
別紙添付の表は、「官職要解」(和田英松著、講談社学術文庫)である。これを見るとわかるが、もともと、律令制では、国は、大・上・中・下の4等に分けられていた
1. 4等級は、何を基準に分けられたか。
・和田英松氏は、前掲書のなかで、「詳細のところはわからない」としながら、諸文献を引用し、「住民の多少、開墾が行き届いておるかおらぬかによったので、つまり、国庫収納の多少をもとにして定められたものらしく思う」と述べている。
2. 律令時代の国司の官職
・国司(こくし)は、国々を収める役人で、「クニノツカサ」ともいわれた。京都の役人を「内官」といったから「外官(げかん)」ともいわれた。
・国司が政務をとるところを、「国府」とか「国庁」などと呼ばれた。
・国司長官は「守(かみ)」、次官は「介(すけ)」、以下「掾(じょう)」「目(さかん)」「史生(ししょう)」があった。
さらにいえば、「守」の下に「権守(ごんのかみ)」があり、「掾」「目」には、大少があったから、全部の官職を上から並べると、
守、権守、介、大掾、少掾、大目、少目、史生という順になる。
・なお、諸国のうち、上総(かずさ)、常陸(ひたち)、上野(こうずけ)は、親王の任国であったので、長官を太守(たいしゅ)といった。したがって、この3国では、もっぱら「介」が政務をとっていたから、この3国の「介」は、「守」ともいった。
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