◎武士社会の官位
・律令官位は、律令制が崩壊し、実質的な意味が無くなっても発給が続けられた。これらの名目上の官位は、武士階級において権威付けとして用いられた。徳川幕府は、官位を武士の統制の手段として利用した。「禁中並公家諸法度」により武家官位を員外官(いんがいのかん)とすることによって、公家官位と切り離し、武家の官位の任命者は事実上将軍とした。
その「官位」部分を「官途名(かんとめい)」という。
たとえば、「南部大膳大夫利敬(としのり)」の「大膳大夫」部分、「松前若狭守章広」の「若狭守」部分が、官途名である。
律令時代は、「大膳大夫(だいぜんのだいぶ)」といえば、実際に、「大膳職」という役所の「大夫(だいぶ、長官)」であったが、武士社会では、単に、みずからを権威づけのための官途名に過ぎない。
「若狭守」も、律令時代は、実際に「若狭」国の「守(かみ、長官)」であったが、松前藩主を権威づける「官途名」に過ぎない。
◎明治政府も利用した官位
・明治政府も律令時代の官位を利用した。
・律令時代、「民部省」「兵部省」などという役所である「省」の4等官(カミ、スケ、ジョウ、サカン)は、順に「卿(かみ)」「輔(すけ)」「丞(じょう)」「属(さかん)」といった。なお「輔」「丞」「属」には、それぞれ大少があり、「大輔」「少輔」と細分化されていた。
・明治政府は、これを使い、「省」の官名を「卿(きょう)」「輔(ふ)」「丞(じょう)」「属(ぞく)」と読んだ。たとえば、「内務省」の場合、大久保利通「内務卿」、大山巌「内務大輔」というたぐいである。
◎開拓使の職名について
ついでながら、明治政府の開拓使の官位を述べておく。
・律令時代、「勘解由使(かげゆし)」などの「使」の役所の4等官(カミ、スケ、ジョウ、サカン)は、順に、「長官(かみ)」「次官(すけ)」「判官(じょう)」「主典(さかん)」と読んだ。これも「判官」「主典」には、大少があった。
・開拓使の職名もこの官位を使った。読み方は、「長官(ちょうかん)」「次官(じかん)」「判官(はんがん)」「主典(しゅてん)」と音読みに変わった。黒田清隆「開拓長官」、松本十郎「開拓判官」というたぐいである。