『2~2・開拓使公文録』「開拓使公文録明治六年建設之部」(道文・簿書5757~86)

【第一文書】
(付札)
「十一月十六日  
本庁周囲土塁道敷其他
着手ノ件
  松本大判官外一名ヨリ西村正六位
  外三名ヘ来」

十一月十五日、コレア号(1)便          十九日    
十ノ六十六号  
  
西村正六位殿
安田 定則殿       松本大判官 (「松本」)
内海 利貞殿       田中 幹事 (「田中」)
時任 為基殿 
先般於其表、定則殿御伺数件之中、本庁
土塁之儀、御見合、樹木植込之御指揮(2)
有之候得共、兼而ご案内之通、実地情態
速ニ樹木植込区域之経界相立候場合ニ
及兼、既ニ御落成(3)之上、是非共、外ト囲構
無之ハ、市街地近傍之曠野故、四方ヨリ馬、輻
湊(4)、実ニ不体栽且四方御門取建、道路
修理相成候共、土塁等之区域無之は、
折角盛大之御造営(5)所欠有之ニいたり、
遺憾之至候。仮令植込相成候共、其区域
限無之ハ野飼之数百馬(6)、植樹ヲ踏荒、盛
木難成、何程馬追共ニ厳命布告候共、
長キ月日之中ニ自然勝手、従横ニ乗込、
到底不都合之事而已多キハ顕然且ハ、
現今、職方手違之季節ニ付、別紙仕様
書之通、金高弐千三百七拾二円四拾
弐銭ヲ以入札申付候処、落札千八拾六円四拾
弐銭ニ相成、格外(7)之減金ニ而出来形(8)ニ相成
右は、一応伺之上、施行可致ハ勿論候得共、
最早季候相遅レ、御指揮相待候得ハ、
雪中ニ相成、第一、明春ニ至候ハバ、迚も右
金員ヲ以出来候理無之、不得止専断之
罪知リナガラ、実地情難黙止、専断いたし候
事情、篤ト御了察、次官殿ヘ宜御弁向
有之度、尤、定額金之内ヲ以御入費ニ
相充而、別段御出方不相願候事。
一 本庁御構内道路修繕許可ニ相成
  仕様積書(9)ヲ以至急ニ相伺候様、御指揮
  候得共、取調書ヲ以東京ニ相伺候上ニ取
  懸候事なれバ、前文之通、時節遅レ、
  当年之間ニ合不申、然ルニ、本庁落成、
諸局(10)共、総容(11)引移、是迄之侭差置
候得バ、凸凹甚敷、往来不便理、一同時節遅レ
殊更難渋不大方候間、又候専断ニ相渉リ
候得共、到底御建築ニ相成候事なれば、
当年御下手之方ハ、御出方も格別減縮
市中不景気も大ニ振起(12)之勢有之
旁以別紙仕様書之通、金高四千六円
九厘之調ニ入札為致候処、落札金千八百
九拾四円九拾七銭壱厘、格別御減金之
出来形、且以、当年中、格別なれバ、上下共
便利不少候間、前条之減金なれば、
御異存も有之間敷ト被存候間、不経
伺、只今ヨリ取懸候事。
一 市街修繕之義、今度許可ニ相成、
  最前仕様金弐千八百七拾壱円七拾六銭
  壱厘之処、入札為致候処落札金千六百
三拾壱円五拾弐銭弐厘出来形相成候間、
唯今取係候事。
   但、仕様書先般御検印済ニ付、今度不相伺候事。
一 病院並西洋造官邸廻り土塁最前
  積高金四千百五円三拾銭壱厘之処、
  入札出来形千五百五拾弐円七拾九銭ニ而
  取懸候事。
一 豊平川新橋(13)之義ハ、昨今其筋ニおいて
  取調中ニ候。到底当年中ハ御下手相成
  兼候ニ付、次便ヲ以可申進候。旧橋殊之外
  破損ニ付き修繕加ヘ置申候事。
一 新川修繕之義ハ、今度絵図面ヲ以御指
  揮有之候得共、定則殿実地之体裁
  御案内之通、両岸ニハ砂利多し而、絵図
  面通り致候得バ返而患害(14)ヲ引出ニ
  近ク、兎角難被行候間、尚、別ニ仕様
  取調可申進候事。
  右之件々可然様、次官殿ニ被御
  申立度、此段及御懸合候事。
     明治六年十月三十一日
【第一文書】注
(1)「コレア号」・・戊申戦争の際、官軍奥羽鎮撫隊を運んだロシア船に「コレア号」が見える。欄外に書かれたこの行は、影印では見えない。原本に当たって確認した。
(2)「指揮」・・さしずすること。
(3)「落成」・・開拓使札幌本庁の落成のこと。明治六年(一八七三)十月二十九日落成。落成布達は十一月二十四日、開拓使札幌本庁が仮庁舎から落成した庁舎に移転したのは、明治七年(一八七四)一月一日。
(4)「輻湊(ふくそう)」・・(輻=や=が、轂=こしき=にあつまる意から、方々から集まること。
「輻(や)」は、轂(こしき。車輪の中央にあって軸をその中に貫き、輻をその周囲にさしこんだ部分)から車輪の輪に向かって出ている放射状の細長い棒。「湊(みなと。ソウ)」は、あつまるの意。
(5)「盛大之御造営」・・開拓使札幌本庁舎の構内は、南北三百四十四間(約六百二十メートル)、東西二百四十六間(二百五十メートル)。
(6)「野飼之数百馬」・・明治三年(一八七九)虻田、有珠、浦河の牧場にいた多数の馬が、駅逓備馬あるいは農家へ払い下げとなったが、札幌には、三百二十一頭が送られ、元村に牧場を開いた。四年(一八七一)一月に札幌市民及び近村に百二十頭が貸し付けられ、翌五年(一八七一)にそれらを売り渡している。(「新札幌市史」)
(7)「格外」・・並はずれ。
(8)「出来形(できがた)」・・工事施工が完了した部分のこと。工事竣工をいう。
(9)「積書(つもりがき)」・・見積書。
(10)「諸局」・・明治六年(一八七一)六月三日、本庁事務機構を六局(庶務・会計・農業・工業・物産・刑法)二十四課、別に学校(三課)、病院(三課)と定めた。
(11)「総容(そうよう)」・・一同。
(12)「振起(しんき)」・・盛んになること。ここでは、不景気が拡大することの意。
(13)「豊平川新橋」・・豊平川に最初に橋が架けられたのは、明治四年(一八七一)。その後毎年新築橋が架けられている。毎年のように流された。なお、本文書の明治六年(一八七三)の春の融雪期に豊平川が増水し、鴨々川水門が破損して市街に被害が出そうになり、松本は、黒田の許可をとる前に四月から八月まで一八〇〇円をかけて鴨々川水門の水防工事を行った。(「新札幌市史」)
(14)「患害(かんがい)」・・わざわい。

【第二文書】
(付札)
「別紙」

写東京行
    会計局      松本大判官 (「松本」)
本庁土塁並ニ五ケ所御門御入用金
千八十六円四十弐銭、定額金之内ニ而
相弁じ候間、篠路味噌醤油製造
御見合ニ付、減金四千五百円ノ口ヨリ
御出方御取計有之度、此段申進候事。
    六年十月廿日


【第三文書】
十月廿三日 御検印済(1)
写東京行
        ○黒(印)
       大判官  (「松本」)     工業局 (「岩」)(「前田」) (「宮」)
        幹事  (「田中」)    会計局  (「村井」)(「山崎」)
一 金千八拾六円四拾弐銭、大岡助右衛門(2)
右ハ本庁御構内土塁、水吐並御門五ケ所
  柵矢来、橋共、御入費凡積之上、入札申付、開
  札仕候処、別紙之通、安値段有之候得共、小内
  訳取調高不相当ニ付、御出来形ニ相響キ
  可申哉。依之、凡積比較仕置当高六番
  札落値段ニ可申付哉。尤、落成間数
  検査之上、坪当を以、猶増減仕候。則、
  仕様内訳帳添、此段相伺候也。
     十月十二日

【第三文書】注
(1)この行は欄外に書かかれており、綴りの喉(のど)のため影印では見えないが原本で確認した。
(2)「大岡助右衛門」・・請負人。天保七年(一八三六)五月武蔵国久良岐(くらき)郡大岡村(現横浜市南区のうち)の農家に生まれる。安政五年(一八五八)箱館五稜郭建設には大工頭としてたずさわる。明治四年(一八七一)には、札幌本陣の建設に着手。その後、札幌農学校、豊平橋、豊平館の建設を請負う。

【第四文書】
   本庁御構土塁並水吐、御門五ケ所  
   御取建、其外御入費入札

金 千五百七拾六円八拾六銭      森村岩次郎
金 八百六拾八円三拾銭九厘五毛    大谷平次郎
金 千五百七拾六円弐拾弐銭      森川三太郎
金 千弐拾壱円八拾九銭二厘      前田市太郎
金 千百七円六拾八銭         吉田 茂八(1)
金 九百四拾九円六拾壱銭五厘五毛   寺尾秀次郎
金 八百九拾七円九拾八銭       中山 藤吉
金 千八拾六円四拾弐銭        大岡助右衛門
金 弐千九百七拾八円五拾銭      小宮 与吉
金 千四百八拾壱円八拾七銭四厘八毛  石田福太郎
金 八百八拾円九拾九銭三厘壱毛    佐藤 幸吉
金 千三百円三拾三銭三厘       水原 寅蔵(2)
金 千三百七拾三円弐拾壱銭      中川源左衛門(3)
   第十月十二日
【第四文書】注
(1)「吉田茂八」・・文政三年(一八二〇)十月福山に生まれる。創成川の開削者。請負業者として成功。
(2)「水原寅蔵(すいばらとらぞう)」・・文化十五年(一八一八)近江国甲賀郡三雲村(現滋賀県湖南市のうち)の農家に生まれる。後、越後国水原(すいばら)に住む。越後の松川弁之助の蝦夷地渡航に同行。明治四年(一八七一)札幌に移住。開拓使御用請負人となる。
(3)「中川源左衛門」・・請負人。天保九年(一八三八)阿波国三好郡白地村(現徳島県池田町白地)の生まれ。明治三年(一八七〇)、札幌開府の請負人統卒を命じられる。開拓使仮庁舎、官舎、札幌神社、偕楽園、市中道路建設などすべての土木建築工事に采配をふるった。