明治6年の松本十郎大判官、田中綱紀幹事の工事「専断」について(1)

◎はじめに
①本論は、札幌市文化資料室が実施した2008年度古文書講座上級コースの最終報告に加筆しあものである。
②私が担当したテキスト出典目録は次の4点です。
1)「明治七年 開拓使公文録 会計往復出納之部」(簿書5578)
2)「開拓使公文録 明治六年 建築之部 営繕附人夫 灯台 電信附生徒 測量 道路 橋梁附河梁 港湾」(簿書5757)
3)「明治七年 開拓使公文録 本庁往復之部 一月之分」(簿書5781)
4)「明治七年 司法省往復 全」(簿書1172)
③テキスト出典と関連文書などを読み、明治6年の松本十郎大判官(注1)、田中綱紀幹事(注2)の「専断」の経過について、報告します。
*「簿書」とあるのは、北海道立文書館所蔵文書で、数字は請求番号。

1.松本の不況対策の上申と黒田の指令
①明治6年の札幌の不況
 「新札幌市史」は、明治6年の札幌の不況の背景について、
1)明治5年10月の「札幌会議」の方針による事業縮小。
2)同6年の事業計画は、全般的建設型から予算優先型の建設方針に変更された。
3)同年8月までに前年建設予定の本庁建築、官邸、病院などが竣工し、それ以降新たな工事は開始されなかった。
などをあげ、そのため、人口の流出が相次ぎ、5年916人から、6年は3分の1の306人に減少し、商業活動も停止、農家も移住者が出て農地も荒れたとしている。
②松本の工事起工の上申
 こうした状況を受けて、松本十郎大判官は、黒田清隆次官(注3)へ、小樽港内往還、本庁土塁、豊平川路筋橋梁、新川筋修復、市中道路ノ修復、獄屋建直しなどの不況対策を上申した。(「新札幌市史」)
③黒田の指令
 これに対し、明治6年10月16日、札幌に届いた黒田の指令は、多くが見合わせや計画の変更であった。松本の「専断」による贖罪金支払処分の原因となった本庁土塁建設工事についても、「本庁土塁ハ見合之事。但、四方ヘ樹木植込べき事」と、本庁土塁工事見合を指示し、代りに「樹木植込」を命じた。(「同上」)

2.松本の本庁土塁の工事「専断」
①黒田の指令到着以前に工事入札を挙行
黒田の工事中止指令が届く4日前の10月12日、松本は、本庁土塁などの工事入札を行った。
工事落札合計金額は、「2981円39銭1厘ニ而落札」(「簿書5578」)であり、工事ごとの金額と落札者は、次の通り。
・本庁土塁・下水・門建設費    1086円42銭    (大岡助右衛門請負)(注4)(「簿書5757」)
・5角形内地形(注5)平均砂利敷き 501円49銭3厘3毛(寺尾秀次郎請負)(「簿書5757」)
・道敷            466円60銭     (森村岩次郎請負)(「簿書5757」)
・砂利運送          926円87銭7厘9毛 (大岡助右衛門請負)(「簿書5757」)
   合計          2981円39銭1厘2毛(「簿書5578」は、「2毛」を切捨てている。)
 なお、この費用については、松本は会計局への文書で、「定額金(注6)之内ニ而相弁じ候間、篠路味噌醤油製造(注7)御見合ニ付、減金4500円ノ口ヨリ御出方御取計有之度」としている。(「簿書5757」)
②松本の「専断」の理由
 松本は、10月31日付で、開拓使東京出張所へ松本の工事着工専断の理由を書き送っている。(「簿書5757」)
 松本は、「実地情、黙止し難く」、「専断之罪知リナガラ」工事着工に踏み切った理由を
1)「御落成(開拓使札幌本庁舎の落成のこと。6年10月29日落成した。)之上・・外と囲構これ無きは、四方より馬、輻湊(ふくそう)し・・実に不体栽」である。
2)「土塁・・の区域これ無きは、折角盛大の御造営・・遺憾の至り」だ。
3)「区域限り無きは、野飼いの数百馬、植樹を踏み荒し、盛木成り難」い。
4)「職方、手違いの季節」になった。
5)「御指揮相待ち候得ば、雪中に相成・・明春に至り候はば、とても右金員(現在の費用)を以て出来」ない。
6)「本庁落成、諸局・・総容引き移り、是までのまま差し置き候得ば、凸凹甚だしく、往来不便」である。
7)「市中不景気も大いに振起(しんき)の勢い」となっている。
として、「伺いを経ず、只今より取懸り候」と、工事の「専断」実施に踏み切った。
 なお、「簿書5757」には、「本庁御構内見取縮図」が綴られているが、彩色された原本を見ると、本庁舎構内には、幾本もの小川が流れており、松本の挙げた理由のひとつの「本庁落成、諸局・・総容引き移り、是までのまま差し置き候得ば、凸凹甚だしく、往来不便」は、当を得たものと思う。
③工事の完成
 松本は、11月29日付け東京出張所への文書で、黒田の「工事見合」指示は、「承知いたし候」としながらも、「其侭難捨置ニ付・・土塁、下水並御門5ケ所、柵矢来、5角形内地形平均砂利敷、下水水吐、橋等一切・・此節追々出来之義ニ付、此段承知可有之候」と通知しているから(「簿書5578」)、明治6年の年内には、それら諸工事は、完成したと思われる。

3.松本十郎への処分
①松本の進退伺と待罪書
松本は、史官(注8)あてに工事入札の翌日の10月13日、「土塁建築専断之儀ニ付、進退伺候書付」を提出している。その進退伺いの中でも、「再伺ヲ不経、土塁取建」てた理由を次のように綴っている。
「黒田次官ヘ指令有之度旨、開申致候処、右土塁ハ見合、但、四方ヘ樹木植込候様、指令有之候得共、既ニ官邸周囲土塁出来、本庁土塁無之候而ハ、御失体之儀ト存量候間、再応可申立之処、遠隔之儀、彼是日間相掛候而ハ、其機会ヲ失ヒ、自ラ御入費多寡ニ相管シ、加え寒境無程氷雪之時ニ臨ミ、土塁出来不致成行可申ト不得止、再伺ヲ不経、土塁取建候」(「簿書5781」)
 また、7年1月8日付の松本から開拓使東京出張所官吏あて文書では、黒田から、「専断之儀ニ付・・其侭差置候而ハ、自然各支庁(注9)、今後之取締ニも相関シ候ニ付、公然処分可相伺」と、待罪書提出の要請があったので、松本は、待罪書を提出し、「可然御執達有之度」と処分を待った。
 なお、「③明治6年の松本の専断」の述べるように、この年8月に、松本は、別件で「待罪書」を提出している。
②松本への処分
 松本への処分が、司法省から、開拓使へ通知があったのは、翌明治7年3月2日付けである。(「簿書1172」)。
 処分書は、「司法卿大木喬任(注10)之印」があり、次のような朱書に綴られている。(「簿書5781」)
「再ビ長官ニ申請セズ、司庁ノ土塁ヲ建設スルモ、時日還延ヲ失スルヨリ止ムヲ得ザルニ出ルヲ以テ、
 事応奏不奏条、上司ニ申ス可クシテ申セザル者 懲役30日、公罪例ニ照シ
 贖罪金  6円」
 処分事案は、「司庁ノ土塁ヲ建設」、処分理由は、「事応奏不奏条、上司ニ申ス可クシテ申セザル」、処分内容は、「懲役30日、公罪例ニ照シ贖罪金6円」。
 なお、この「贖罪金6円」は、松本大判官の当時の月給350円の1.7%に当たる。
③明治6年の松本の専断
 松本は、明治5年札幌本庁主任となり、翌6年1月6日、開拓大判官に任じられており、札幌本府建設の責任者となっていた。
ついでながら、松本は、この年、本庁土塁建設以外にも、黒田の承認を得ないで、「専断」した事案が、他にもあるので、述べる。
1)「鴨々川水門の水防工事」・・6年春の融雪期に豊平川が増水し、6年4月から8月にかけて、黒田の許可を地取る前に1800円で工事を行った。(「新札幌市史」)
2)「病院並2番邸(注11)外西洋官邸廻り土塁工事」・・1552円79銭で実施。(「簿書5578」・資料P3、「簿書5757」)
3)「白石手稲両村家作」・・松本は、白石手稲両村の家屋の窮状を憂いて154戸に1万1505円(1戸当75円)を家作料として支出した。(中濱康光「士族移民 北海道開拓使貫属考のⅡ 白石・上白石・手稲村開拓史」)
 この、「白石手稲両村家作」の「専断」に関して、松本は、黒田へ、6年8月21日付で、「白石手稲両村家作ニ付、専断ノ罪ヲ奉伺候書付」を提出している。(「明治6年開拓使公文録・職官之部」・「簿書5513」)。この中で、2)の「官邸並病院新規ノ分外廻リ土塁建築モ・・専断ニ繰替ヘ仕候」と、(「同上」)「専断」事項を2つ挙げ、「御罰被下度」と、待罪書を提出している。(つづく)