【ロタノスケは、クシュンコタンのムラヴィヨフ哨所の副官海軍中尉ルダノフスキー】
嘉永6年(1853)8月29日、ロシア海軍大佐ネヴェリスコイは、ロシア政府から樺太占領の命を受けて、陸軍少佐ニコライ・ブッセ(後、アニワ港駐屯ロシア軍総兵官)その他の将校とともに、陸戦隊73人を率い、露米商会の汽船ニコライ号にて樺太クシュンコタンに来航、9月1日に上陸を開始し、哨所(20間四方)に兵舎、士官宿舎など5棟、風呂場、物見櫓(高さ6間、6角形、上の方で10畳)、穴蔵をつくり、柵をめぐらした陣営を築いた。いわゆる「ムラビヨフ哨所」。翌嘉永7年(1854)5月18日、ロシア船4隻は駐留のロシア兵を撤収してクシュンコタンを去った。いわゆる、ロシアのクシュンコタン占拠事件である。
そのムラヴィヨフ哨所の副官は、日本の文書では、「ロタノスケ」と表現されている海軍中尉ルダノフスキー。
彼は、のち、安政4年(1857)6月14日、ロシア船「アメリカ」号の船長で西海岸ナヨロに来航、7月8日、クシュンナイに回航した。
北海道大学付属図書館所蔵の絵図にムラヴィヨフ哨所とその砦の中の「ロタノスケ居小屋」が描かれているので紹介する。
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ムラヴィヨフ哨所とロタノスケ居小屋
絵図は、北海道大学付属図書館所蔵「寅年北蝦夷地クシュンコタン魯人造家一条」拡大図