森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2006年05月

開拓使本庁舎と桜

<特大>札幌は、5月12日、桜の満開が発表されました。
開拓の村の桜も、満開でした。
img20060514.jpg

札幌市都市景観重要建築物

■指定建築物等

第1号 「日本食品製造合資会社旧工場」

 所在地:札幌市西区八軒1条西1丁目13-1
 建築年:昭和4(1929)年
 構造:れんが造
 指定年月日:平成13(2001)年7月31日


第2号 「北星女学校宣教師館」
      (現北星学園創立百周年記念館)

 所在地:札幌市中央区南4条西17丁目2
 建築年:大正15(1926)年
 構造:木造
 指定年月日:平成17(2005)年3月3日 


第3号 「三谷牧場牛舎・サイロ」

 所在地:札幌市西区発寒8条13丁目1
 建築年:昭和3(1928)年
 構造:れんが造
 指定年月日:平成17(2005)年3月3日

第4号 「小熊邸」
       (現ろいず珈琲館)

 所在地:札幌市中央区伏見5丁目1875-33の内
 建築年:昭和2(1927)年
 構造:木造
 指定年月日:平成17(2005)年3月3日 

第5号 「石山郵便局」
       (現ぽすとかん)

 所在地:札幌市南区石山2条3丁目1-26
 建築年:昭和15(1940)年
 構造:石造(札幌軟石)
 指定年月日:平成17(2005)年3月3日 

第6号 「杉野目邸」

 所在地:札幌市中央区南19条西11丁目
 建築年:昭和8(1933)年
 構造:木骨れんが造
 指定年月日:平成17(2005)年3月3日

 ※個人宅につき非公開。
   敷地内無断立入り禁止。 


平成18年3月7日に以下の5件が新たに指定されました。
第7号 「日本基督教団札幌教会礼拝堂」

 所在地:札幌市中央区北1条東1丁目
 建築年:明治37(1904)年
 構造:木骨石造
 指定年月日:平成18(2006)年3月7日

  

第8号 「旧吉田善太郎別邸」
     (現八紘学園栗林記念館)

 所在地:札幌市豊平区月寒東1条12丁目
 建築年:明治42(1909)年
 構造:木造
 指定年月日:平成18(2006)年3月7日
  

第9号 「旧吉田牧場畜舎・サイロ」
     (八紘学園資料館)

 所在地:札幌市豊平区月寒東1条13丁目
 建築年:明治37(1904)年
 構造:木造(畜舎)、石造(サイロ)
 指定年月日:平成18(2006)年3月7日

  

第10号 「旧石切山駅」
      (現石山振興会館)

 所在地:札幌市南区石山1条3丁目
 建築年:大正7(1918)年
 構造:木造一部石造
 指定年月日:平成18(2006)年3月7日

  

第11号 「旧中井家リンゴ倉庫」
      (現平岸天神太鼓道場)

 所在地:札幌市豊平区平岸3条2丁目
 建築年:昭和10(1935)年
 構造:れんが造
 指定年月日:平成18(2006)年3月7日

*詳しくは札幌市のホームページの「さっぽろの都市計画」の「都市景観重要建築物等」を参照ください。
↓です。
http://www.city.sapporo.jp/keikaku/keikan/rekiken/index.html

江戸時代の蝦夷地の支配体制 略年表

江戸時代の蝦夷地の支配体制 略年表

【松前藩領】
○文禄2(1593).1.2・・蠣崎慶(よし)広(ひろ)(松前家5世・初代松前藩主)、肥前・名護屋の陣営で朝鮮侵攻のため滞在中の豊臣秀吉に拝謁、志摩守に任じられる。
○同年.1.6・・慶広、秀吉より朱印状の交付を受け、蝦夷島の支配者として公認される。
○慶長4(1599).11.7・・慶広、大坂城で家康に拝謁。氏を「蠣崎」から「松前」に改める。
○慶長9(1604).1.27・・慶広、家康より黒印状を賜る。

*松前藩の地域区分と呼び方
・松前地(和人地ともいう)・・福山城を中心に東西25キロ、東は亀田(のち山越内まで拡大される)、西は熊石にいたる間とする。
・東西蝦夷地・・亀田から東を「東蝦夷地」、熊石から「西蝦夷地」と。のち、東西蝦夷地の奥を知床半島で境とした。はじめは海岸線だけの区分を内陸部にも及ぼし、知床半島から蝦夷地を横断してイザリ(現恵庭市)を通り、熊石にいたる線で分けられることになった。
・口蝦夷地・奥蝦夷地という呼び方もある・・「口」は、松前に近い方、「奥」は遠い方をさし、東は襟裳岬、西は神威岬(または雄冬岬)を境とした。

【前期幕府直轄】
○寛政11(1799).1.16・・幕府、東蝦夷地(ウラカワより知床及び東奥島々まで)を当分(7ケ年)、試みに仮上知する旨、松前藩に通達。
○同年6月・・松前藩、シリウチ川以東ウラカワまでの追上知と、仮上知の替地を内願。
○同年.8.12・・幕府、シリウチ川以東の追上知を認める。
○同年.9.28・・幕府、代地500石の地として武蔵埼玉郡のうち、12ケ村を下知する旨を松前藩に達す。以後、享和2(1802)7月まで約3か年間、飛地として領有。
<武蔵埼玉郡のうち12ケ村>
・中(なか)閏(うるい)戸(ど)村、根(ね)金(がね)村、根金村新田(現埼玉県蓮田市のうち)
・小久喜(こぐき)村、小久喜村新田、実(さね)ケ(が)谷(や)村(現埼玉県白岡町のうち)
・久喜(くき)村、所(ところ)久喜村、下清久(しもきよく)村、上早見(かみはやみ)村、下(しも)早見村、樋口(ひぐち)村(現埼玉県久喜市のうち)
○享和2(1802).2.23・・幕府、蝦夷地奉行を新設。
○同年.5.10・・幕府、蝦夷地奉行を箱館奉行と改称。
○同年.7.24・・幕府、東蝦夷地の仮上知を改め永上知とする旨、松前藩に申渡す。仮上知の代価として、年々3500両ずつ下付し、仮上知の代価として支給してきた武蔵埼玉郡のうち12ケ村の所務を廃止。
○文化4(1807).3.22・・幕府、松前・西蝦夷地一円を召上げる。これにより、松前・蝦夷地の全部が幕領になる。
・松前藩は、奥州伊達郡梁川(現福島県伊達郡梁川町)9000石に移封。
○同年.10.24・・幕府、奉行所を箱館より福山に移し、松前奉行とする。

【松前藩復領】
○文政4(1821).12.7・・幕府、蝦夷全島を松前氏に還与する。

【幕府再直轄】
○嘉永7(1854).6.26・・幕府、箱館および同所より6里四方を上知。
○同年.6.30・・幕府、箱館奉行を置く。
○安政2(1855).2.22・・幕府、松前藩に東部木古内村以東、西部乙部村以北の全蝦夷地を上知させ、箱館奉行の管轄とする。
・松前藩、奥州伊達郡梁川、出羽国村山郡東根(現山形県東根市)合わせて3万石を与えられた。また、出羽国村山郡尾花沢1万4000石を込高として預り地となった。
○慶応元(1865).9月・・松前崇(たか)広(ひろ)(松前藩12代藩主)、陸海軍総奉行に就任の際、乙部~熊石の8ケ村が返還された。
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