森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2006年08月

前島密と蝦夷地・北海道

わが国郵便制度の創始者・前島密と蝦夷地・北海道とのつながりを記す。

◎安政5年から巻退蔵と自称しこの年の11月、箱館におもむき諸術調所に入門、武田斐三郎に航海学を学び、安政6年、奉行から預けられた箱館丸に乗り、北海を巡航し、更に転じて南海に出て、摂津・播磨・上総・下総から陸奥を経て南部の宮古に越冬し、翌万延元年箱館にもどる。翌文久元年には、亀田丸に乗ってロシア領ニコライエフスクにも航海した。
 当時、航海術を実地に学べるところは箱館と長崎より他になく、特に武田斐三郎の実用主義教育は、後にわが国の産業、文化に頁献する有為の人材を生むに至った。門下生には山尾庸三、井上勝、蛇子末次郎、今井兼輔などがおり、前島密もその一人であった。

◎明治元年3月、蝦夷地開拓につき陳情。明治初期開拓使設置当初のころ、開拓使はその地名に漢字をあて政府に報告していたが、密は北海道の地名はアイヌ語よりその源を発しているので、仮名で書くのが適当ではないかといい、以来北海道との深い関わりが生れた。(「はこだて人物史」より転載)

◎明治新政府の首都について、江戸遷都を説く。首都としての江戸の長所を6項目挙げ、その第一に、「蝦夷地開拓が進むと、江戸は日本の中央になる」と論じた。

幕府の蝦夷地直轄の背景・経過と松前藩の代地・移封

○東蝦夷地ウラカワ以東の仮上知
<背景と経過>
・寛政元年(1789)クナシリ・メナシ地方のアイヌの蜂起、同4年ロシア使節ラックスマンの来航、寛政8・9年(1796~97)ブロートン指揮する英国船プロビデンス号内浦湾へ来航・・幕府は、蝦夷地対策の具体的行動を迫られた。
・寛政10年(1798)3月、目付渡辺久蔵らに蝦夷地巡見を命じる。11月帰府、幕府に詳細を報告。
・幕府、蝦夷地直轄の方針を固め、同年12月、書院番頭・松平忠明に「蝦夷地御用」を命じる。
・寛政11(1799).1.16・・幕府、東蝦夷地を当分の間試みに上知する旨松前藩に通達。
・同年2.11・・上知の期間を7ケ年、範囲をウラカワよりより知床及びクナシリまで)試みに仮上知する旨、松前藩に通達。

○シリウチ川以東の追上知
・同年6月・・松前藩、シリウチ川以東ウラカワまでの追上知と、仮上知の替地を内願。
<背景>
・幕吏の松前藩支配下の東蝦夷地通行の負担が増大し、東蝦夷地の領有がかえって負担になるという状態にみまわれた。
・いずれ箱館を含む和人地も上知の対象となることを予測し、少しでも有利な条件を手に入れるため、先手を打ったという見方もある(松前町史)
・同年.8.12・・幕府、シリウチ川以東の追上知を認める。
・同年.9.28・・幕府、代地5000石の地として武蔵埼玉郡のうち、12ケ村を下知する旨を松前藩に達す。以後、享和2(1802)7月まで約3か年間、飛地として領有。
<武蔵埼玉郡のうち12ケ村>
・中(なか)閏(うるい)戸(ど)村、根(ね)金(がね)村、根金村新田(現埼玉県蓮田市のうち)
・小久喜(こぐき)村、小久喜村新田、実(さね)ケ(が)谷(や)村(現埼玉県白岡町のうち)
・久喜(くき)村、所(ところ)久喜村、下清久(しもきよく)村、上早見(かみはやみ)村、下(しも)早見村、樋口(ひぐち)村(現埼玉県久喜市のうち)

○享和2(1802).2.23・・幕府、蝦夷地奉行を新設。
○同年.5.10・・幕府、蝦夷地奉行を箱館奉行と改称。

○東蝦夷地の永上知
<背景と経過>
・箱館奉行、幕府に対し、松前藩が蝦夷地警備に何ら力を注がないとして、①「蝦夷東西一円永上知」②「東蝦夷地のみ永上知、西蝦夷地は松前家に任せ、成績があがらなければ、残らず上知」の二案を建議。
・享和2年(1802).7.24・・幕府、東蝦夷地の仮上知を改め永上知とする旨、松前藩に申渡す。永上知の代価として、年々3500両ずつ下付し、仮上知の代価として支給してきた武蔵埼玉郡のうち12ケ村の所務を廃止。
松前藩の財政は、大きく圧迫された。

○蝦夷地一円の上知
<経過>
・文化4(1807).3.22・・幕府、松前・西蝦夷地一円を召上げる。これにより、松前・蝦夷地の全部が幕領になる。
・松前氏の移封・・文化4年7月27日、新領地が示された。
<新領地>
・陸奥伊達郡内[代官竹内平右衛門支配下]梁川村(現福島県伊達市梁川町)、泉沢村、金原田村(現福島県伊達市保原町金原田)の3ケ村5048石余
・陸奥伊達郡内[代官岡源右衛門支配下]大門村(現福島県伊達市梁川町字大関大門)、大久保村(現福島県伊達市飯野町字大久保)、西五十(いさ)沢(ざわ)村(現福島県伊達市梁川町字五十沢)3ケ村3954石余・・・合計9002石余
・常陸国信太(しだ)郡・鹿島郡[代官岡田清助支配下]4373石余
・同国河内(こうち)郡[代官萩野弥五兵衛支配下]323石余
・上野国甘楽(かんら)郡[代官吉川栄左衛門支配下]3626石余
・同国群馬郡[代官吉川栄左衛門支配下]1300石余

総領知高 18,626石余

○同年.10.24・・幕府、奉行所を箱館より福山に移し、松前奉行とする。

松前藩の梁川移封

○文化4(1807).3.22・・幕府、松前・西蝦夷地一円を召上げる。これにより、松前・蝦夷地の全部が幕領になる。
・松前氏の移封・・文化4年7月27日、新領地が示された。
<新領地>
・陸奥伊達郡内[代官竹内平右衛門支配下]梁川村(現福島県伊達市梁川町)、泉沢村、金原田村(現福島県伊達市保原町金原田)の3ケ村5048石余
・陸奥伊達郡内[代官岡源右衛門支配下]大門村(現福島県伊達市梁川町字大関大門)、大久保村(現福島県伊達市飯野町字大久保)、西五十(いさ)沢(ざわ)村(現福島県伊達市梁川町字五十沢)3ケ村3954石余・・・合計9002石余
・常陸国信太(しだ)郡・鹿島郡[代官岡田清助支配下]4373石余
・同国河内(こうち)郡[代官萩野弥五兵衛支配下]323石余
・上野国甘楽(かんら)郡[代官吉川栄左衛門支配下]3626石余
・同国群馬郡[代官吉川栄左衛門支配下]1300石余
総領知高 18,626石余

「石狩挽歌とニシン漁」

日時:2006年8月17日(木)13:30~15:40
場所:札幌市東区民センター2階視聴覚室(札幌市東区北11条東7丁目)
参加費は無料。ご希望の方は直接会場へ。(予約不要)
主催:札幌市社会教育協会
演題:「石狩挽歌とニシン漁~笠戸丸の生涯を中心に~
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