◎兵部省は「会津降伏人」を北海道各地へ移住開拓させることとし、明治3~4年にかけ、入植した。
◎入植戸数・人数(「瀬棚町史」参照)
・瀬棚郡瀬棚村(現せたな町本町。明治4年5月、字名が「会津町」となった。)・・13戸43名
・山越郡山越内村(現八雲町字浜松町)・・7戸18名
・同郡長万部村(現長万部町)・・入植記録があるも詳細は不明
・歌棄郡作開村(現黒松内町字作開)・・28戸135名
・太櫓郡太櫓村(現せたな町北桧山町字太櫓)・・不明
◎瀬棚入植者の窮状
・転職、離農が相次ぎ、明治18年の「戸籍帳」に「農」と記されている者は2戸のみで、分解、没落の激しさを物語っている。
◎入植戸数・人数(「瀬棚町史」参照)
・瀬棚郡瀬棚村(現せたな町本町。明治4年5月、字名が「会津町」となった。)・・13戸43名
・山越郡山越内村(現八雲町字浜松町)・・7戸18名
・同郡長万部村(現長万部町)・・入植記録があるも詳細は不明
・歌棄郡作開村(現黒松内町字作開)・・28戸135名
・太櫓郡太櫓村(現せたな町北桧山町字太櫓)・・不明
◎瀬棚入植者の窮状
・転職、離農が相次ぎ、明治18年の「戸籍帳」に「農」と記されている者は2戸のみで、分解、没落の激しさを物語っている。