森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2007年07月

江戸から佐井まで

<奥州街道と南部北通り>
幕府の道中奉行(勘定奉行の管轄)の直轄であった白河までは早くから整備ざれていた。ところが白河以北となると、脇街道的存在となっており、宿駅の数も一定せず、千住~三厩間113次、89次、75次など、増減がはなはだしい。また、「間宿(あいのしゅく)」(正規の宿駅間に設けられた休憩の宿)もあるので、余計にややこしい。街道の呼び方も、江戸期の「道中記」には、特に白河以北は、「仙台道」「仙台松前道」「南部道」など、いろいろあり、一定していない。宿名もいろいろな字があてられている。読み方もいろいろある。なお、盛岡~日本橋間は139里あり、11泊~13泊の旅程だった。
更に、盛岡以北となると、参勤交代の大名の往来も八戸南部藩、松前藩の二家が通過するだけで、宿駅といっても領内の宿屋と同程度であった。奥州街道は整備され始めたのは、北辺警備問題が起ってからである。人馬・貨物の往来の増加で、面目を一新する必要が生じた。
ところで、野辺地から分岐して田名部に至り、更に、佐井までを、「北通り」「田名部通り(道)」などといった。この地は、中世から「北郡(きたごおり)」と呼ばれ、江戸期には、「北郡」(きたぐん)と呼ばれた。「下北郡」と「上北郡」に分かれたのは、明治11年である。なお、田名部から南部城下の盛岡まで約54里で、夏は「5日路」、冬は「7日路」として旅したという。
<日光街道の宿場>
1. 千住(せんじゅ・東京都足立区)
2. 草加(そうか・埼玉県草加市)
3. 越ヶ谷(こしがや・埼玉県越谷市)
4. 粕壁(かすかべ・埼玉県春日部市)
5. 杉戸(すぎと・埼玉県北葛飾郡杉戸町)
6. 幸手(さって・埼玉県幸手市)
7. 栗橋(くりはし・埼玉県北葛飾郡栗橋町)
8. 中田(なかた・茨城県古河市)
9. 古河(こが・茨城県古河市)
10. 野木(のぎ・栃木県下都賀郡野木町)
11. 間々田(ままだ・栃木県小山市)
12. 小山(おやま・栃木県小山市)
13. 新田(しんでん・栃木県小山市)
14. 小金井(こがねい・栃木県下野市)
15. 石橋(いしばし・栃木県下野市)
16. 雀宮(すずめのみや・栃木県宇都宮市)
17. 宇都宮(宇都宮城下)(うつのみや・栃木県宇都宮市)→奥州街道へ
18. 徳次郎(とくじろう・栃木県宇都宮市)
19. 大沢(おおさわ・栃木県日光市)
20. 今市(いまいち・栃木県日光市)
21. 鉢石(はついし・栃木県日光市)
<奥州街道の宿場>
1. 白沢(しらさわ・栃木県宇都宮市)
2. 氏家(うじ
3. いえ・栃木県さくら市)
4. 喜連川(きつれがわ・栃木県さくら市)
5. 佐久山(さくやま・栃木県大田原市)
6. 八木沢(やぎさわ・栃木県大田原市)
7. 大田原(おおたわら・栃木県大田原市)
8. 鍋掛(なべかけ・栃木県那須塩原市)
9. 越堀(こしぼり・栃木県那須塩原市)→<間宿>寺子(てらご・栃木県那須塩原市)
10. 芦野(あしの・栃木県那須郡那須町)→<間宿>板谷(いたや・栃木県那須郡那須町)→<間宿>寄居(よりい・栃木県那須郡那須町)
11. 白坂宿(しらさか・福島県白河市)
12. 白河宿(しらかわ・福島県白河市)
<仙台松前道の宿場>
1. 根田(ねだ・福島県白河市)
2. 小田川(こたがわ・福島県白河市)
3. 太田川(おおたがわ・福島県西白河郡泉崎村)
4. 踏瀬(ふませ・福島県西白河郡泉崎村)
5. 大和久(おおわぐ・福島県西白河郡矢吹町)
6. 中畑新田(なかはたしんでん・福島県西白河郡矢吹町)
7. 矢吹(やぶき・福島県西白河郡矢吹町)
8. 久来石(きゅうらいし・福島県岩瀬郡鏡石町)
9. 笠石(かさいし・福島県岩瀬郡鏡石町)
10. 須賀川(すかがわ・福島県須賀川市)
11. 笹川(ささかわ・福島県郡山市)
12. 日出山(ひでやま・福島県郡山市)
13. 小原田(こはらだ・福島県郡山市)
14. 郡山(こおりやま・福島県郡山市)
15. 福原(ふくはら・福島県郡山市)
16. 日和田(ひわだ・福島県郡山市)
17. 高倉(たかくら・福島県郡山市)
18. 本宮(もとみや・福島県本宮市)→<間宿>南杉田(みなみすぎた・福島県二本松市)→<間宿>北杉田(きたすぎた・福島県二本松市)
19. 二本松(二本松城下)(にほんまつ・福島県二本松市)
20. 油井(ゆい・福島県二本松市)
21. 二本柳(にほんやなぎ・福島県二本松市)
22. 八丁目(はっちょうめ・福島県福島市)→<間宿>浅川新町(あさがわしんまち・福島県福島市)
23. 清水町(しみずまち・福島県福島市)
24. 福島(福島城下)(ふくしま・福島県福島市)
25. 瀬上(せのうえ・福島県福島市)
26. 桑折(こおり・福島県伊達郡桑折町)
27. 藤田(ふじた・福島県伊達郡国見町)
28. 貝田(かいだ・福島県伊達郡国見町)
29. 越河(こすごう・宮城県白石市)
30. 斎川(さいかわ・宮城県白石市)
31. 白石(白石城下)(しろいし・宮城県白石市)
32. 宮(みや・宮城県刈田郡蔵王町)
33. 金ヶ瀬(かながせ・宮城県柴田郡大河原町)
34. 大河原(おおがわら・宮城県柴田郡大河原町)
35. 船迫(ふなばざま・宮城県柴田郡柴田町)
36. 槻木(つきのき・宮城県柴田郡柴田町)
37. 岩沼(いわぬま・宮城県岩沼市)
38. 増田(ますだ・宮城県名取市)
39. 中田(なかだ・宮城県仙台市太白区)
40. 長町(ながまち・宮城県仙台市太白区)
41. 国分町(芭蕉の辻・仙台城下)(こくぶんちょう・仙台市青葉区)
<南部路・松前道の宿場 >
1. 七北田(ななきた・仙台市泉区)
2. 富谷(とみや・宮城県黒川郡富谷町) *「新町」とも。
3. 吉岡(よしおか・宮城県黒川郡大和町)
4. 三本木(さんぼんぎ・宮城県大崎市)
5. 古川(ふるかわ・宮城県大崎市)
6. 荒谷(あらや・宮城県大崎市)
7. 高清水(たかしみず・宮城県栗原市)
8. 築館(つきだて・宮城県栗原市)
9. 下宮野(しもみやの・宮城県栗原市築館町)
10. 沢辺(さわべ・宮城県栗原市金成町)
11. 金成(かんなり・宮城県栗原市金成町)
12. 有壁(ありかべ・宮城県栗原市金成町)
13. 一関(いちのせき・岩手県一関市)
14. 山目(やまのめ・岩手県一関市)
15. 平泉(ひらいずみ・岩手県西磐井郡平泉町)→<間宿>瀬原(せばら・岩手県奥州市)
16. 前沢(まえざわ・岩手県奥州市)→<間宿>折居(おりい・岩手県奥州市)
17. 水沢(みずさわ・岩手県奥州市)
18. 金ヶ崎(かねがさき・岩手県胆沢郡金ケ崎町)
19. 鬼柳(おにやなぎ・岩手県北上市)→<間宿>黒沢尻(くろさわじり・岩手県北上市)
20. 成田(なりた・岩手県北上市)
21. 花巻(はなまき・岩手県花巻市)
22. 石鳥谷(いしどりや・岩手県花巻市)
23. 郡山(こおりやま・岩手県紫波郡紫波町)
24. 盛岡(盛岡城下)(もりおか・岩手県盛岡市)
25. 渋民(しぶたみ・岩手県盛岡市)
26. 沼宮内(ぬまくない・岩手県岩手郡岩手町)
27. 小繋(こつなぎ・岩手県二戸郡一戸町)
28. 中山(なかやま・岩手県二戸郡一戸町)
29. 一戸(いちのへ・岩手県二戸郡一戸町)
30. 福岡(ふくおか・岩手県二戸市)
31. 金田一(きんだいち・岩手県二戸市)
32. 三戸(さんのへ・青森県三戸郡三戸町)
33. 浅水(あさみず・青森県三戸郡五戸町)
34. 五戸(ごのへ・青森県三戸郡五戸町)
35. 伝法寺(でんぽうじ・青森県十和田市)
36. 藤島(ふじしま・青森県十和田市)
37. 七戸(しちのへ・青森県上北郡七戸町)
38. 野辺地(のへじ・青森県上北郡野辺地町) →南部北通りへ
39. 馬門(まかど・青森県上北郡野辺地町)
40. 小湊(こみなと・青森県東津軽郡平内町)
41. 野内(のない・青森県青森市)
42. 青森(あおもり・青森県青森市)
43. 油川(あぶらかわ・青森県青森市)
44. 蓬田(よもぎた・青森県東津軽郡蓬田村)
45. 蟹田(かにた・青森県東津軽郡外ヶ浜町)
46. 平舘(たいらだて・青森県東津軽郡外ヶ浜町)
47. 今別(いまべつ・青森県東津軽郡今別町)
48. 三厩(みんまや・青森県東津軽郡外ケ浜町)
<南部北通り(田名部通り)の宿場>
1. 有戸(ありと・青森県上北郡野辺地町)
2. 横浜(よこはま・青森県上北郡横浜町)
3. 田名部(たなぶ・青森県むつ市)
4. 関根(せきね・青森県むつ市)
5. 正津川(しょうずがわ・青森県むつ市正津川)
6. 大畑(おおはた・青森県むつ市大畑)
7. 下風呂(しもぶろ・青森県下北郡風間浦村)
8. 異国間(いこくま・青森県下北郡風間浦村)
9. 蛇浦(へびうら・青森県下北郡風間浦村)
10. 大間(おおま・青森県下北郡大間町)
11. 奥戸(おこっぺ・青森県下北郡大間町)
12. 佐井(さい・青森県下北郡佐井村)

己 已 巳

己・・キ・コ おのれ・つちのと
     (用例)知己(ちこ・ちき)
已・・イ すでに やむ のみ はなはだ
     (用例)已上、已来、已後、已而(すでにして、やみなん、やまん)
      無已(やむなし)、不得已(やむをえず)
巳・・シ み
      (用例)巳年
◎覚え方①
・キ・コ(の声)、おのれ・つちのと 
下に付き・・・(己)
・イ・すでに、半ばして やむ・のみ・・・(已)
・シ・み(は)皆付く・・・(巳) 
◎覚え方②
・おのれ(己)、すでに(已)して、へび(巳)

◎己・已・巳を使ったことば
*己巳(キシ・つとのとみ)  *明治二年の箱館戦争を「己巳(きし)戦争」ともいう。函館に「己巳役海軍戦死碑」がある。
*難読奇姓に已已巳己(いいしき・いえしき)がある。

官位としての「守(かみ)」の変遷

◎はじめに
 「筑前守」などの呼称の変遷について述べる。「筑前」は、地方行政区画の名前で、「守(かみ)」は、上代から律令時代に制定された「国司(こくし)」(地方を治める役人)の「官」(制度上の地位)名。
1. 律令時代・・国司(こくし)としての「守」
「国」(地方行政単位)を治める役人を「国司」(コクシ。またクニノツカサ)といった。今の県知事のようなもの。なお、上代には、地方行政単位である「国」のことを「県(あがた)」ともいった。
 つまり、「国司」は、「国」の行政官として中央から派遣された役人で、四等官があり、「守(かみ)」、「介(すけ)」、「掾(じょう)」、「目(さかん)」を指す。その下に「史生(ししょう)」がいた。
<平安期の「国」の等級区分>
国力(住民数、開墾面積など)の基準で、大国・上国・中国・下国の4等級に区分されている。区分の違いによって国司の官位等級にも差がつけられた。
○大国(たいこく・13カ国)
大和国・河内国・伊勢国・武蔵国・上総国・下総国・常陸国・近江国・上野国・陸奥国・越前国・播磨国・肥後国
○上国(じょうこく・35カ国)
山城国・摂津国・尾張国・三河国・遠江国・駿河国・甲斐国・相模国・美濃国・信濃国・下野国・出羽国・加賀国・越中国・越後国・丹波国・但馬国・因幡国・伯耆国・出雲国・美作国・備前国・備中国・備後国・安芸国・周防国・紀伊国・阿波国・讃岐国・伊予国・豊前国・豊後国・筑前国・筑後国・肥前国
○中国(ちゅうこく・11カ国)
安房国・若狭国・能登国・佐渡国・丹後国・石見国・長門国・土佐国・日向国・大隅国・薩摩国
○下国(げこく・9カ国)
和泉国・伊賀国・志摩国・伊豆国・飛騨国・隠岐国・淡路国・壱岐国・対馬国
2. 戦国~安土桃山時代の武家官位
 律令官位は、律令制度が崩壊し、実質的な意味がなくなっても発給が続けられた。これらの名目上の官位は、武士階級において権威付けとして用いられた。この傾向は戦国時代に入り顕著になり、領国支配の正当性や戦の大義名分としても利用されるようになる。その例として、織田信長の父織田信秀、今川義元そして徳川家康が三河支配のため三河守に任ぜられたケースなどがある。
 さらに、朝廷からの任命を受けないまま、官名を自称・僭称するケースも増加した。織田信長が初期に名乗った上総守もその一つである。また、官途(かんど)、受領(ずりょう)といって主君から家臣に恩賞として官職名を授けるといったものまで登場した。豊臣秀吉が織田家重臣時代に使った筑前守もこの一つである。
また、秀吉が公家の最高位である「関白」として天下を統一すると、諸国の大名に官位を授けて律令官位体系に取り込むことで統制を行おうとした。ところがただでさえ公家の官位が不足気味だったところへ武家の任官が相次いだために官位の昇進体系が機能麻痺を起こしてしまう。秀吉の死去後は、内大臣徳川家康が最高位の官位保有者であるという異常事態に至った。
<官途状(かんどじょう)>
武家文書の一様式。武家社会での主従関係を明確にさせるため、幕府・大名が臣下に官職を与える際の文書。正式には推挙状によって朝廷に奏請していたが、戦国期には儀礼・簡略化され、大名が個別の書式で独自に発給している。この内とくに国司名を与えた場合を受領宛行状という。
<受領名(ずりょうめい)>
室町時代以降、功績の家臣や被官に対して、朝廷の正式な位階の伴わない、非公式な官名を授ける風習が生まれる。これが受領名。多くの場合、大名の傘下にあって城や領地、兵力を有する国人や武将がその対象であった。この風習が転化し、自官や百官名、東百官という人名呼称が武士の間において定着するようになる。
3. 江戸時代の武家官位
<官位叙任権が朝廷から将軍家へ移行した経緯>
家康が江戸幕府を開くと、豊臣政権時代の苦い経験から官位を武士の統制の手段として利用しつつもその制度改革に乗り出した。
①慶長11(1606)年4月、家康は朝廷に参内して武家の官位は幕府の推挙によって行うことを奏請。
②元和(げんな)元年7月、「禁中並公家諸法度」により武家官位を員外官(いんがいのかん)とすることによって、公家官位と切り離した。(「禁中並公家諸法度」第7条「武家之官位者可為公家当官之外事」)
これによって武士の官位保有が公家の昇進の妨げになる事態を防止した。また、武家の官位の任命者は事実上将軍とし、大名家や旗本が朝廷から直接昇進推挙を受けた場合でも、将軍の許可を受けねばならなかった。
なお、官位を授ける権限は、徳川将軍家が持っていたが、任命書(口宣案と位記)は朝廷が発給した。
 秀吉、家康、秀忠の時代までは、全国の大名は競って高位・高官を望んだが、家光の時代になると官位には重みはなくなった。しかも、家光以降の大名は、官位は家柄と年齢によって決められるものとなり、その年齢がくれば自動的に幕府から朝廷に奉送された。したがって、家光以降の朝廷の作業は、全国の大名の官位の記録係となった。
なお、幕府から奉送された「筑前守」などの国司名は官位とはいわず、「権官」とか「通称官名」とか「名乗り」と呼んだ。
<官名名乗りの特例>
なお、幕府は、一部官名に特例を設けるなどして、大名統制に利用している。
・同姓同官名の禁止・・混乱を避けるため。
・大国大名の領国名優先使用・・前田氏の加賀守、越前松平氏の越前守など。
・領国名独占・・伊達氏の陸奥守と島津氏の薩摩守。
・大廊下、大広間詰め大名以外の老中と同一名乗り禁止・・老中昇進時に同名乗りの大名及び配下の幕府役人は遷任。
・大名以外の領国名使用禁止・・肥前の松浦氏(肥前守、他には壱岐守)、信濃の真田氏(信濃守、他には伊豆守)、対馬の宗氏(対馬守)等は例外として許可。
・三河守(津山松平家のみ可)や武蔵守や山城守(慶応3年3月25日より)の禁止・・幕府と朝廷を憚って。
<百官名(ひゃくかんな)>
 幕府や大名が被官に対して官途状を発給した受領名は、朝廷の関知しない僭称であったが、憚って、官名を略したり、違う表現に置き換えたりした。また、先祖が補任された官職を子孫が継承するケースも現れるなど、武士が自ら官名を名乗る「自官」という慣習が定着していくこととなる。やがて戦国時代の頃から、武士の間で官名を略したものを自分の名前として名乗る風習が生まれ、江戸時代後期までその風習が続いた。
 「国名」を取って名乗った例として、
宮本「武蔵」・・剣豪
田中「土佐」・・幕末期の会津藩家老
伊達「安芸」・・仙台藩家老
原田「甲斐」・・仙台藩家老

コンブ・鹿児島・沖縄戦~私の「北海道と沖縄」・3つのキーワード~

コンブ・鹿児島・沖縄戦
~私の「北海道と沖縄」・3つのキーワード~


1. コンブ・・北海道と沖縄を結ぶ昆布ロード
・那覇のコンブ購入量は全国一。現在沖縄で消費されるコンブはほとんど根室、釧路産の長昆布。1戸あたりの昆布消費量は沖縄が
・沖縄に北前船を使って昆布をもたらしたのは、江戸時代、薩摩藩の密貿易にかかわった富山の薬売りといわれている。富山売薬「薩摩座」、長者丸、密田家。
・江戸末期、中国・琉球昆布貿易の取り扱い量は平均120トン、日本昆布生産量の10%にもなる。また、沖縄から中国向け積荷重量の平均85%。中国からは薬が一番多く輸入された。
・琉球「昆布座」・・対清昆布貿易の中枢。「在番奉行所」(薩摩藩の琉球支配の心臓部)→明治12年の「琉球処分」(琉球藩廃止、沖縄県設置)後は沖縄県庁に。その後「倹徳館」(貴賓公館)になる。
・「薩摩藩は清国との昆布交易で財政を立て直し、蓄財もなしました。そして、嘉永6年(1853)には、鹿児島にガス灯・ガラス・陶磁器・紡績・火薬・弾丸・小銃・大砲などの洋式の製造所(集成館)を建設した。この集成館でつくった武器で、薩摩藩は倒幕へと至った。昆布が日本の近代の扉を開く原動力となった」説も。
・沖縄料理に欠かせないこんぶ・・クーブイリチー、足ティビチ、ソーキ骨のお汁、大煮、イラブー料理。沖縄料理の基本の「豚肉」と、「昆布」。アルカリ性の昆布が豚肉のコレストロールを体外に排出し、健康の良いとも・・。

・琉球漆器の提重(さげじゅう)、硯箱などが松前城内の資料館にあった。
2. 薩摩(鹿児島)の支配
① 薩摩藩の琉球支配・・「琉球使」・・薩摩の琉球支配後,琉球の首里王府から徳川将軍ならびに島津氏に派遣された使節。将軍への使節には将軍の襲職時にそれを賀する慶賀使(けいがし,賀慶使)と琉球国王の即位時にそれを謝する謝恩使(しゃおんし,恩謝使)との二種の使いがあり,薩摩の命令と監督のもとに両使が江戸に上ることを「江戸上り(えどのぼり)」と称した。江戸上りは,寛永11(1634)年から嘉永3(1850)年までの間に18回(延20回)あった。江戸上りの目的は日本の最高権者たる将軍に対し,「城下之盟」を襲職と襲封の度ごとに新たにするものであるが,薩摩藩は江戸上りを将軍に対する儀礼と化することによって幕府の信頼を高め,琉球支配の権威の誇示を領国的なものから全国的なものに拡大していった。そのために使節団にことさら大和風(日本風俗)を禁じ,服装や言葉,立居振舞に至るまで異国風(中国風)を強制した。つぎに島津氏への使者とは上国使(じょうこくし)のことで,その一つに年頭使があった。年頭使は新年の礼を述べることによって,島津氏に対する臣従の誓いを新たにするもので,慶長18(1613)年から派遣が恒例化している。これとならんで慶弔の際の諸使の派遣も頻繁となっている。また,琉球国王の襲封にあたっては,まず薩摩の許可を得ることが必要であり,そのための使いの上国(薩摩上り)が元和7(1621)年にあった。さらに,琉球国は中国を宗主国(そうしゅこく)とする冊封体制にあったから,中国に対しても朝貢使や冊封を懇請するための請封使(せいほうし)などを派遣していた。
② 薩摩と北海道・・明治以降、北海道開拓の中心人物は旧薩摩藩士たち
○開拓使時代・・多くの薩摩藩出身者を官僚に登用。「薩摩の芋づる」といわれるほどだった。
・黒田清隆(開拓次官→開拓長官)
・永山武四郎(屯田兵本部長)
・村橋久成(官営ビール工場の責任者)
○3県1局時代の最高幹部はすべて旧薩摩藩士
・時任爲基(ためもと。函館県令)、調所広丈(ひろたけ。札幌県令)、湯地定基(根室県令)、安田定則(事業管理局長)
○鹿児島藩の北海道分領支配・・明治2~3年、十勝・日高の3郡を支配。

3.  沖縄戦での死亡者・・沖縄以外の都道府県では北海道の死者がもっとも多い。
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