森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2008年01月

今年は、カエル年

あまり知られていませんが、今年は、国際自然保護連合(IUCN)と世界動物園水族館協会(WAZA)が提唱する「国際カエル年」です。
世界中に生息する両生類5743種のうち、
2469種(43%)が減少し、
1856種(32%)が絶滅のおそれがあり、
1980年以降、120種が絶滅したそうです。
原因のひとつの「カエルツボカビ症」が、ついに日本にも上陸したとのこと。
環境省は、2006(平成18)年に日本の絶滅危惧種21種(前回平成9年は14種)の両生類を発表しました。
北海道に生息する両生類では、「利尻島・礼文島のエゾアカガエル個体群」が指定されています。
環境省は、「小規模な開発または外来生物による影響、一部の種ではペット用の捕獲による影響」と示唆しています。

「大寒」について~二十四節気は、どこで決めるか

1.「二十四節気」
いうまでもなく、「大寒」は、「二十四節気」のひとつ。「二十四」は、「にじゅうし」と読んで、「にじゅうよん」とは読まない。
「二十四節気」は、1年の太陽の黄道上の動きを視黄経の15度ごとに24等分して決められている。起点は、太陽黄経0度の春分点。今年の場合は、中央標準時3月20日14時48分。「大寒」は、太陽黄経300度。だから、今年の「大寒」は、官報で発表された国立天文台の「暦要領」によると1月21日1時44分。
「二十四節気」を、更に分解すると、狭義の「12節(気)」と「12中(気)」からなる。合わせて「二十四節気」。だから、「二十四節気」という場合、「12節気」の「節」と、「12中気」の「気」をとった言葉ということになる。
ところで、「大寒」は、「12節(気)」でなく、「12中気」のひとつ。くわしくいえば、「小寒」が旧暦の「12月節(気)」で、「大寒」は、「12月中(気)」。
2.閏月の決め方
ところで、この「二十四節気」は、旧暦の閏月を設ける基準とされており、「中気」のない月を閏月としていた。最近では、旧暦2006年7月の「節気」である「立秋」は、15日、「中気」の「処暑」が30日で、次の「節気」の「白露」が16日となり、「中気」の「秋分」は、この月にないため、この月は「閏7月」となった。つまり、現在、旧暦の「閏月」は、国立天文台発表の「二十四節気」をもとに決められることになる。
3.「二十四節気」は、どこで決めるか
 すでに述べたように、春分点を基準に「二十四節気」が決められるということは、きわめて科学的な事項であり、国立天文台が決めて、毎年2月1日に、翌年の「二十四節気」を官報で発表する。このことに関していえば、おもしろいことが起こる。
つまり、「国民の祝日に関する法律」には、「春分の日」「秋分の日」は、固定されていない。今年の「春分の日」は、3月20日だ。なぜかというと、「祝日法」では、春分の日は「春分日」、秋分の日は「秋分日」を採用するとされ、「春分日」「秋分日」というのは、太陽が、黄道上の春分点、秋分点を通過する瞬間を含む日のことだからだ。
◎まとめ
「閏月」も、「春分の日」も、「二十四節気」をもとに決められ、その「二十四節気」は、国立天文台が太陽の運行をもとにして決める、きわめて科学的な官報事項である。
◎付
 ところで、「二十四節気」をさらに5日ごと区切って、これをさらに5日ずつにわけた気象の動きや動植物の変化を表している七十二候があり、「初候」「中候」「末候」があるが、今日は、「大寒」の「初候」の「款冬華」(ふきのはな咲く)の候。「大寒」には、かすかに、春の息吹が含まれている。

「弱冠」「元服」


1.「元服」

日本では、昔は12歳ころから15,6歳頃に行われていた行事。中国では、20歳。

「元」は、冠をつけた人の象形文字で、「あたま」意味。「服」の偏の「月」は、「舟月(ふなづき)」で、舟の両側につける板の意味。転じて「本体に添える」意味を表し、「身につける」の意味がある。
だから、「元服」は、「元(あたま)に冠を服する(付ける)」ことになる。

蛇足ながら、「月」偏は、「朝」「朔」「朗」「朧」などの天体の「月」を意味するものと、「肌」「肩」「肺」など身体の各部の名称に関する文字が多い「肉部」が偏になるときは、「月」となる。もともとは、「朝」などの「月」とは、違う部首・「肉」部だが、同じ「月」部にいれている辞典が多い。つまり、「月」部は、「日月(ひづき)」「舟月(ふなづき)」「肉月(にくづき)」があることになる。「月」偏の字は、「なに月」かを考えると、文字の意味がはっきりする。


2.「弱冠」

「弱」は、儀礼用の飾りの弓がふたつある会意文字で、転じて「しなやか」「なよやか」「よわい」「わかわかしい」という意味になり、更に、「柔軟性に富む二十歳」の意味も表わすようになった。
つまり、「弱冠」は、男子が「弱(二十歳)」で「元服する(冠をかぶる)」ことから、本来は、「男子の二十歳」のことをいう。
原典は、「礼記」の「二十曰弱、冠」(ニジュウをジャクと曰=いい=、カンす)。
だから、「弱冠」だけで、「(男子の)二十歳」のこと。「弱冠二十歳」は、「朝食を食べる」と同じで、正しくないことになる。
まして、「弱冠十七歳の浅田真央」ということは、年齢においても、男子でないことにおいても、二重三重の間違いということになる。
菊池寛は、
「父が打たれたときに、弱冠であった忠三郎が敵の面体を確かに覚えているはずがない」(「仇討三態」)
とちゃんと使っている。さすがだ。

「冬」の部首

 今日の道新の文化欄は、「漢字人気支える白川文字学」と題する特集が組まれていました。

私も、「冬」について、漢和辞典などをひも解いてみました。

◎旧字体の部首・・・「冫」(にすい)

・「夂」の足(下部分)は、「冫」で、部首は、「冫」(にすい)であった。(私のパソコンの文字入力システムではこの旧字体は出てこないので、漢和辞典で確認してください。)もとの字形は、「入」をふたつ重ねた象形で、氷の結晶にかたどり、「氷」の原字で、「水が凍ったときに表面にできる、ひきつったような形をかたどった象形文字」(阿辻哲郎「部首のはなし」中公新書)

・「冫」には、「冷」「凍」「凛」「凝」「冽」など、こおるなどの意味を含む文字がでている。「寒」も旧字体の足は、「ヽ」ふたつではなく、「冫」。また、「終」の旧字体も旁(つくり・右側)の「冬」の足は、「冫」。「冬」は、「季節のおわり」の意味もあるから、「終」は、もともと、「糸の結び目=おわり」の意味を表した。

・「氷」も今は「水」部にあるが、元来は、「冫」(にすい)の「冰」(ヒョウ・こおり)の異体字。

・「冬」にしても「寒」にしても「終」にしても、旧字体が、漢字の成り立ちを表している。新字体では、その意味が、わからない。

・なお、「冫」は、「にすい」と読むが、「氵」を「三水(さんずい)」というのに対して、2画で書かれるので「二水(にすい)」という。



◎新字体・・すいにょう・ふゆがしら(冬頭)・なつのあし(夏の足)

・「漢語林」(大修館書店)では、「夏」も「冬」も同じ部首としている。「冬」は、「夂」が上(あたま)にある。「夏」は、「夂」が下(あし)にある。でもって、「夂」の部首の名前を「ふゆがしら(冬頭)・なつのあし(夏の足)」と呼ぶ。

・「冬」は、新字体になって、「冫」(にすい)から、「夂」に移って、部首名に「ふゆ」が入って救われた・・・か?

「教育漢字」はいつ学習することになっているか

教育漢字
◎現行の教育漢字は、小学校学習指導要領(平成14年4月1日から施行)の「第2章各教科第1節国語」の「別表の学年別漢字配当表」にある1006字である。なお「教育漢字」という表現はないが、ここでは、通常用いられている「教育漢字」という。
◎不正確な教育漢字の定義
・多くの書物で「教育漢字」についての記述では「小学校で学習する漢字」といしている。「漢語林」(大修館書店)では「小学校六年間に学習する漢字」とし、新刊の「新潮日本語漢字辞典」(新潮社)は、「小学校で教える漢字」としている。
◎配当表の漢字は、読めるようになる学年
・指導要領には、例えば、「第2学年においては,学年別漢字配当表の第2学年までに配当されている漢字を読むこと。また,第1学年に配当されている漢字を書き,文や文章の中で使うとともに,第2学年に配当されている漢字を漸次書くようにすること」とある。つまり、配当表の漢字の配当は、読めるようになる学年で、書く学習は次の学年ということになる。
・では、6学年ではどうなるか。指導要領では、「第5学年及び第6学年の各学年においては,学年別漢字配当表の当該学年までに配当されている漢字を読むこと。また,当該学年の前の学年までに配当されている漢字を書き,文や文章の中で使うとともに,当該学年に配当されている漢字を漸次書くようにすること。」とある。6学年に配当されている漢字を書くのは、中学1年ということになる。
◎中学校学習指導要領の表現
○読むこと
・第1学年・・「小学校学習指導要領第2章第1節国語の学年別漢字配当表(以下「学年別漢字配当表」という。)に示されている漢字に加え,その他の常用漢字のうち 250字程度から 300字程度までの漢字を読むこと。」
・第2学年・・「 第1学年までに学習した常用漢字に加え,その他の常用漢字のうち 300字程度から 350字程度までの漢字を読むこと。」
・第3学年・・「第2学年までに学習した常用漢字に加え,その他の常用漢字の大体を読むこと。」
○書くこと
・第1学年・・「学年別漢字配当表の漢字のうち 900字程度の漢字を書き,文や文章の中で使うこと。」
・第2学年・・「学年別漢字配当表の漢字のうち 950字程度の漢字を書き,文や文章の中で使うこと。」
・第3学年・・「学年別漢字配当表に示されている漢字を書き,文や文章の中で使うこと。」
つまり、1006字の教育漢字全部を書くことは、中学3年までにできるようにするということ。ちなみに、中学1年では、900字、2年で950字。
◎まとめ
教育漢字は、「小学校で学習する漢字」ではなく、「広辞苑」にある「義務教育期間に読み書きできるように指導することが必要であるとされる漢字」が正しい表現といえる。

文化4年の中村小市郎

◎「蝦夷紀聞」・・文化3~4年(1806~1807)のロジア人による樺太・エトロフ襲撃事件についての公私の文書、風聞の類を日付順に収録したもので、全15巻。
◎小市郎の名前・・そのうち、小市郎の名前は、3巻の最後の方に出てきます。
南部藩主の南部大膳大夫から幕府への届書のなかです。日付は文化5年5月晦日。
◎当時の状況・・ロシア人がエトロフを襲撃したのは、文化4年4月23日から29日にかけてのことで、その報が箱館に届いたのが5月18日のこと。
いろいろな風評がかけめぐり、公私の文書も飛び交いますが、この南部藩主の文書はそのひとつです。
◎事件当時の小市郎・・小市郎は、文化4年の事件当時は、クナシリ詰めでした。クナシリ会所は同島のトマリにあり、詰めていたのは、向井勘助と小市郎でした。「休明光記」によると、クナシリ北部のルシアで「大筒の音相聞」えた折、向井勘助は現地ルシアにおり、小市郎は、勘助に「心付」せず、「自分持場」、つまり、トマリに帰ったという理由で、「急度叱置」という処分を受けることになります。一方、勘助は「誉置」という論功行賞を受けます。
◎「蝦夷紀聞」の小市郎関係部分・・書き下しすると、次のようになります。
「去る三日、クナシリ島詰の者、同所会所へ呼出、中村小市郎、向井勘助立会にて・・(以下略」)
この後の文を読むと、要するに、クナシリ詰の南部藩士が、箱館奉行役人の小市郎、勘助より、エトロフ事件を聞かされ、小市郎らは、南部藩士にそれぞれ、藩で防備を固めるよう指図し、南部藩士は、箱館詰の南部藩士へ、その指示を伝えます。南部藩では、派兵準備をしていたが、奉行からは、「南部藩は、前年のカラフト事件の際、すでに500人を派遣していたので、再度の増派は不要」との達しがあり、その経過を、在所(盛岡)より、江戸詰の藩主・大膳大夫へ報告があったので、その旨を幕府に届けた。という内容です。
小市郎は、クナシリのトマリ会所で、エトロフ事件とその善後策を南部藩士に申し渡したということが、南部大膳大夫の届書に登場したことになります。
◎以前にいただいた小市郎の掛図との関係・・このあと、小市郎には、帰還命令が出て、クナシリを離れ、シャリ(掛図では「社里」)経由で箱館へ帰りますが、帰途「阿寒河」で乗った舟が暴風に遭い転覆することになります。

元日、元旦、朔日、正月

○「元」・・呉音「ガン」。漢音「ゲン」。部首は「ニンニョウ」

かんむりをつけた人の象形で、「あたま」「かしら」「根本」の意味。

    ・「元凶」(ゲンキョウ)「悪人のかしら」で、「大悪人」

    ・「元日」(ガンジツ)「1年の日のあたま」で。「1月1日」

・「旦」・・部首は「日」部。「日」に、地平を示す「一」。明るくなっていく早朝の意味。

    ・「旦」を含む形声文字に「平坦」の「坦」などがある。

    ・「元旦」は、「朝のあたま」だから、1月1日の朝をいう。

    ・「元旦の朝」は、「朝の朝」になり、「満開に開く」「食事を食べる」の類で、正しくないことになる。

・「朔」・・「サク」。部首は「月」(つき・ひづき)部。

・左の「屰」(ギャク)は、「さかさま」「あとに戻る」の意味だから、「朔日」は、「欠けた月がもとへ戻る日」の意味で陰暦の「ついたち」をいう。

     ・なお、国訓の「ついたち」の語源は「月立ち」(つきだち)からともいわれる。

     新暦の「1日」は、新月とは限らないから、新暦の「1日」を「ついたち」というのは、正しくないことになる。

     ・江戸期以前の古文書の日付は、ほとんど「朔日」と書かれている。読むときは、「さくじつ」でも国訓の「ついたち」でもどちらでもいい。

     ・ところが、明治5年(1872)11月9日、明治政府は太陽暦採用の詔をだし、「明治5年12月3日」を「明治6年1月1日」と改正したので、これ以降は、「1日」と書かれた場合、「ついたち」でなく、「いちにち」と読むべき。

     ・「正月1日」は、「正朔」(せいさく)。

     ・ちなみに、2008年1月1日の月齢は22日で、下弦の月。(弓張月)「朔の日」、「朔日」(ついたち)ではない。

・「正」・・部首は「止」部。甲骨文は「口」+「止」。「口」は、「国やむら」の象形で、「止」は、「足(あし)」の象形で、「正」は、(他の)国にむかってまっすぐ進撃する意味で、転して「まっすぐ」「ただしい」の意味。また、「かしら」の意味にも転じたので、「正月」は、「1年のかしらの月」で、1月のことになった。

    古文書では「1月」をほとんど「正月」と書かれている。

    ・ところで、「政治」の「政」は、もともと、「ただす」の意味がある。



◎「政治」が、漢字の意味の通りに行われることを願ってやみません。
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