森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2008年09月

松本十郎の生涯

◎日時:2008年11月12日(水)14:50~15:40
◎会場:札幌市社会福祉総合センター(札幌市中央区大通西19丁目4F大研修室)
◎申込不要:直接会場へ。
受講料:無料
◎テーマ:松本十郎の生涯
◎概要:アツシ判官と呼ばれ開拓判官として活躍した松本十郎の波乱に満ちた生涯を追います。
◎主催:札幌市社会教育協会

なぜ「錦織」を「にしこり」と読むのか。

全米オープンで注目された「錦織」選手の姓は、「にしこり」と読む。
◎これは、反切(はんせつ)読み。

反切とは、漢字の発音表記法のひとつで、漢字の音(読み方)を示すのに、他の漢字2字を借りてする方法のこと。
上の字(父字、音字)の頭子音と、下の字(母字、韻字)の韻を合わせて、その漢字の音を表す。
例1(大辞林)・・「三(さん、SAN)」の読みを表すのに、「思 甘 反」と書く。「思(SI)」の頭子音「S」と「甘(KAN)」の韻「AN」を
合わせて、「SAN(三)」。「反」は、「反切」の意味。

例2(広辞苑)・・「台(たい、TAI)」を「徒 哀 反」と書けば、「徒(TO)」の頭子音「T」と「哀(AI)」の韻「AI」を合わせ、「TAI(台)」

数式にすると、
A=(Bの頭子音)+(Cの韻)

この原理を日本語にも応用し、日本語の語形変化について説明することも行われた。(「大辞林」)

◎「錦織」の場合
1.「錦」は国訓で「にしき」。その3音目の「き(KI)」の「K」と
2.「織」(おり)・・ORIを合わせて
→「KORI」(こり)
→でもって、「にし」+「こり」で、「にしこり」

エトロフ島有萌の戸田又大夫の墓

エトロフ島有萌の戸田又大夫の墓

1. ロシア人のエトロフ襲撃
文化4年(1807)4月23日、ロシア人フヴォストフらは、エトロフ島ナイボ、ママイの番屋を襲撃し、番屋、倉庫を焼き、米・塩・衣類などを
略奪した。いわゆる文化丁卯事件が起こった。
29日には、同島の箱館奉行の会所のあるシャナを襲撃、会所、
南部番屋、津軽番屋などに火を放ち、掠奪をほしいままにした。
2. 戸田又大夫の自殺
当時、シャナ会所の責任者の菊池惣内は、エトロフにたどりついた
陸奥・牛滝村の慶祥丸の漂流民を箱館へ護送のため留守で、
次席の戸田又大夫が指揮を執っていたが、戸田は会所を捨てて退き、
アリモイで自殺した。
3. 品川法禅寺
戸田の墓所についての記録は、私の知る限りなかったが、
札幌歴史懇話会で解読中の幕臣宮崎成身の「視聴草」第7集所収の
「文化丙寅騒動都下風聞」に、記載がある。
読み下しにすると
「戸田又大夫、寺、品川法禅寺のよし、この寺へは、又大夫、
臍(へそ)の緒をしるしに埋め候となり」
とある。品川法禅寺は、北品川宿にある増上寺末の浄土宗の寺院。
「墓所」とは、はっきりと書かれていないが、「臍の緒をしるしに埋め」
たとすれば、「菩提寺」と推測する。
4. エトロフの戸田の墓
「明治大正期の北海道」(北海道大学図書刊行会)に、
エトロフの戸田又大夫の墓の写真が所収されているので、紹介する。
墓碑銘は、縦書き3行で
「文化四丁卯年
 戸田亦大夫藤原常保墓
 五月○○」
と読める。3行目の2文字は、かすれてよくわからない。
なお、この写真には、次のような説明文がある。
「明治廿五年四月廿七日 戸田亦大夫ハ 幕府ノ臣ニシテ 
文化四年五月一日
 露西亜人入寇之際 我兵不振 多クハ遁走スルヲ以テ 
単身奮戦スト雖(いえども)
 勢之挽回スル能ハス 遂ニ有萌山下ノ沢ナカニ入リ 
国恥ヲ思ヒ自刃シテ死ス
 墓ハ 有萌山下海岸丘ニ今尚存ス」
この写真の撮影者は、遠藤陸郎となっている。
遠藤は、明治24~25年にかけて、明治天皇の勅命で
千島探検中の片岡利和侍従に随行した人物。
片岡一行は、明治24年11月17日、エトロフに着き、
シベトロで越年している。
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