【廿(にじゅう)考】

「首相、また漢字間違え」という見出しで、麻生首相が書き初めの落款に「平成廿十一年新春」と書いたことが記事になっていた。
正しくは「平成廿一年新春」で、「廿」は一文字で「にじゅう」を意味するから「十」は不要、と報道されていた。
以下、私の「廿」考。

1.「廿」の読み方

・ 国字ではなく、れっきとした漢字。漢音で「ジュウ」と発音するからややこしい。
解字はわかりやすく「十」+「十」。訓は「十(じゅう)」が「二(に)」で、「にじゅう」。
常用漢字ではないが、平成16年9月に人名漢字に追加された。
・ 広島県にある「廿日(はつか)市」の「はつ」、「二十歳(はたち、はたとせ)」の「はた」も訓。
語源は、「ふた」から転じたという説や、戦国時代、二十歳になる武士は、主君の紋を染めた旗を背負って戦場に出たが、その旗竿に「旗乳(はたち)」と呼ばれる輪を二十個つけたということから「はたち」と呼ばれるようになったという、もっともらしい説もある。
・ 「廿里」と書いて「とどり」と読む難読文字(地名・姓)がある。戦国時代、武田氏と北条氏の古戦場「廿里(とどり)古戦場」(現東京都八王子市)が知られている。
「十(とお)」がふたつ重なっているから「とおとお」、転じて「とど」となったという説はわかりやすい。

2.「廿」の部首

「漢語林」(大修館書店)は「十(じゅう)」部に入れ、近刊の「新潮日本語漢字辞典」(新潮社)は、「廾」部とし、「にじゅうあし」「こまぬき」と読んでいる。「こまぬき」は、「拱(こまね)く」から。「拱く」とは、左右の手を胸の前で組み合わせること。脚になったとき、「廿」の異体字(俗字)「A(注1)」に似ているので「にじゅうあし」と呼ばれる。

(注1)「A」・・「廿」の異体字(俗字)に4画目の横棒のないのがある。
2画目が「廾」の2画目のように「左はらい」せず、まっすぐ縦棒「|」になっている。


その字がワープロでは、出ないので、スキャンし添付する。以下、その異体字(俗字)を「A」とする。

3.「廾」

「廾」は、漢音で「キュウ」、呉音で「ク」と読む。解字は、両手でささげる形をかたどり、ささげるの意味を表す。(漢語林)
「弁」「弄(もてあそ)ぶ」「弊(へい)」などが、この「にじゅうあし」部にある。
ところで、「廾」は、「廿(にじゅう)」の異体字である「A」とは、まったく別の字である。
なのに、「にじゅうあし」部というから、ややこしい。

4.「廿(にじゅう)」と「卅(さんじゅう)」
 古文書では、よく「三十」を一文字で「卅」と書く場合がある。これも漢字。
漢音・呉音とも「ソウ」と発音する。訓では「さんじゅう」とか、「卅(みそ)路」「卅一(みそひと)文字」などの場合の「みそ」。
 ところで、「卅」(4画)が正字で、異体字(俗字)は、「丗」(5画)と、5画目に横棒を書く。
 4画目に横棒を書く「廿」(4画)が正字で、横棒のない3画の「A」が異体字(俗字)だから、これまた、ややこしい。