中国文学者の一海知義氏のエッセイー「一海知義の漢詩閑談」(『しんぶん赤旗』2012年4月20日付文化欄所収)で、清国外交官が仮名文字のすばらしさについて言及している漢詩を紹介しているので要点を引用する。
明治初期、清国外交官として来日した詩人黄遵憲(こうじゅんけん)氏の『日本雑事誌』の一首で、仮名文字について作詩している。一海氏は、その漢詩の書き下しを記している。
「伊呂波(いろは)四十七文字、已(すで)に衆音(あらゆる発音)を綜(す)ぶ。点画(てんかく)もまた簡(かん)、習い識(おぼ)ゆるには易(やす)し。故に彼の国の小児は、語を学びて以後、能(よ)く仮名(かな)に通すれば、便(すなわ)ち能(よ)く小説を看、家書(てがみ)を作る」
一海氏は、この詩は、黄氏の「自国の識字情況への反省をふくむ」と述べている。
私は、日本語を学ぶひとりとして、かねがね、日本人は、漢字渡来以来、日本の風土にあった文字を作り出し、縦横に読み書きするようになった歴史的経過を学ぶにつけ、そのすばらしさに感嘆している。一海氏のエッセーを読んで、私のひとりよがりでなく、中国の詩人の目からの観察でも証明されたと思った次第である。