蝦夷日記 注
(84-1)「ほ□」・・「ほど」で「ど」欠か。「ほど」は、「火床」を当てる。火をたく所。特に、いろりの中心の火をたくくぼんだ所。
(84-1)「本(ほん)ノママ」・・「本」は、書写されるもとの書物など、ある状況から転じて現在の姿に変わったものに対して、そのもとのものをいう。手本。
(84-5)「じやがたら●芋」・・異本は、「ジヤガタラ芋」に作り、「●」はない。
(84-5)「菜(さい)」・・食用とする草。野菜。青物。異本は、「菜かぶ」に作る。
(84-8~9)「其其」・・「其」がひとつ重複しているか。
(85-1)「近習(きんじゅう)」・・きんじゅ、きんずとも。主君の側近く仕えること。伺候すること。また、その人。近侍。近臣。近習者。近辺衆。きんしゅう。きんじゅう。きんず。
(85-1)「上下(うえしも)」・・しょうか、じょうか、うえしたとも。身分の上の者と下の者。一般に、足軽より上を「上(うえ)」、足軽以下を「下(しも)」とする。
(85-5)「押切(おしきり)」・・①櫓(ろ)や櫂(かい)の力を借りずに港の間を行く船。②櫓(ろ)五丁立ての和船。
(85-5)「夜ふとん(ママ)」・・「夜」のあと、「着」欠か。異本は、「夜着(よぎ)ふとん」に作る。
(85-4)「新井田玄番(ママ)」・・当時の松前藩の町奉行に、新井田嘉藤太がいる。
(85-6)「田嵜楽兵衛(ママ)」・・当時の松前藩の江戸詰留守居に田崎与兵衛がいる。異本は「田崎与兵衛」に作る。
(85-9)「前印(ママ)」・・異本は、「前之記」に作る。
(87-1)「チヱミヤ」・・アニワ湾東岸・中知床半島西岸のチベサニ(地辺讃)か。旧日本名の長浜。
(87-2)「トヲブツ」・・アニワ湾東岸・中知床半島西岸のトウブチ。遠淵湖畔の地名。
(87-3)「ナヱヲンナヱ」・・アニワ湾東岸・中知床半島西岸のナヱホロか。
(87-4)「ヤワンベツ」・・アニワ湾東岸・中知床半島西岸のヤマンベツか。日本名で弥満を当てる。
(87-8)「ヲロコ」・・オロッコか。オロッコは、カラフト(樺太)原住民の一種。ツングースの一支族。南カラフトでは、タライカ湖畔とその東方、およびポロナイ川下流域に、北カラフトでは、東海岸、特にトゥイミ川下流域に居住。オロッコはアイヌの称呼で、彼ら自身はウィッタ・ウルチャ・ウルチェンなどと称する。
(88-1)「●□は(ママ)」・・異本は、「烏(からす)は」に作る。
(88-7)「膝ぎり」・・衣服の丈が膝のところまでであること。
(88-8~9)「魚類おも計なり(ママ)」・・異本は、「魚類計り也」、「魚類おもなり」に作る。
(89-1)「目見(めみ)へ」・・「みえ」は動詞「見ゆ」の連用形の名詞化で、(相手から見られることの意。会う相手を敬っていう語)目上の人に会うこと。お目にかかること。御目見え。
(89-1~2)「少しもしも違いなく(ママ)」・・「しも」が重複している。
(89-5)「とむる」・・殺す。語誌は、下2段「とむ」の連体形。
(89-9)「ハツコトマリ」・・バッコトマリ。日本名で婆古泊を当てる。アニワ湾の一番奥まった港。アニワ湾の奥に、日本名で東伏見湾という小湾がある。クシュンコタンから西のタランナイまでは、その東伏見湾内の集落。
(89-10)「ウンウ」・・バッコトマリの西にある入江。