森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2012年08月

『船長日記』9月例会注記(1)

(19-1)「水、上に上りて」・・異本は、「水は、上に上りて」に作る。

(19-1)「船の小口(こぐち)」・・『日本国語大辞典』には、「船の早緒の上端にあって櫓(ろ)の突起物に掛ける綱の輪形のもの。櫓縄(ろなわ)。」とあるが、本書ではどこをさすのか。

(19-1)「樋」・・異本は、かなで、「とゆ」に作る。

(19-6)「水船(みずぶね)」・・打ち込む波や船体の損傷による浸水で船内に水が充満し、沈没しそうな状態の船。

(19-7)「心地(ここち)」・・心持。気持。気分。常用漢字表では、「心」の備考欄に「心地(ここち)」がある。

(19-9)「汐」・・『字通』によれば、「海潮の朝に来るものを潮、夕に来るものを汐という。また干潮を汐という」とある。

(19-11)「とま」・・苫。菅(すげ)、茅(かや)などを菰(こも)のように編み、小家屋の屋根や周囲などのおおいや和船の上部のおおいなどに使用するもの。

(20-1)「さまでもなき」・・それほどでもない。「さまで」は、副詞「さ(然)」に助詞「まで(迄)」が付いてできたもの。副詞「さ(然)」の程度を限定強調したいい方。それほどまで。そこまで。そんなに。

(20-5)「覚えず」・・動詞「おぼえる(覚)」に、打消の助動詞「ず」の付いた「おぼえず」の連用形から。自分でしようと思わないで無意識に。知らず知らず。思わず。いつのまにか。

(20-7)「戌時(いぬどき)」・・午後8時頃。

(20-7)「伊豆の大島」・・東京都に属する太平洋上の島。伊豆諸島中の最北に位置する。伊豆下田港から東方約40キロにあたる。富士火山帯に属する三原山の噴出によってできた火山島で、面積は91平方キロ、伊豆諸島中最大の島であるが、地形は急峻で地質も農業に適さず、したがって水田もない。わずかに畑作農業が行われる程度である。平地が少ないため、集落は裾野の海岸部に散在している。行政上の管轄は、明治以前は他の諸島とともに伊豆国に属し、江戸時代には幕府直轄領として韮山代官が支配した。明治2年(1869)韮山県に属し、同4年足柄県新設により同県に編入、ついで同9年静岡県に編入、ついで11年東京府に属して以後今日に至っている。離島という条件もあって江戸時代に至るまで流人の島として有名であった。宝暦3年(1753)においても七人の流人が在島したが、寛政11年(1799)以後この島への流人は停止された。図1

(20-7)「新島(にいじま)」・・東京の南方約160キロに位置する北部伊豆諸島中の島。面積23.4平方キロ。伊豆諸島中大島・八丈島・三宅島に次いで大きい。南北に細長い流紋岩質の火山島で、中央北部に最高峰の宮塚(みやづか)山(432メートル)があり、南部の向(むかい)山(300.7メートル)まで連なっている。図1.

(20-8)「かげ」・・陰。物のうしろ。後方。

(20-9)「百尋(ひゃくひろ)」・・約30メートル。日本固有の長さの単位。名称は両手をひろげた幅に由来する。「八尋殿」「千尋縄」など。尋の文字をあてたのは、中国周代の単位に尋(じん)があり、これが両肱をのばした長さであることによる。ほぼ人の体長にあたり、『淮南子(えなんじ)』にも「八尺而為尋」とある。この尺は曲尺(かねじゃく)で七寸六分の周尺であるから、尋は約六尺である。『大宝令』によって丈・尺・寸の制となっても海深などに広く用いられてきたので、明治5年(1872)太政官布告で六尺と定められた。

(20-9)「かがす」・・加賀芋綱(かがおずな)。加賀国(石川県南部)から産出する苧で作った綱。和船の碇綱として最上のもので、檜綱、麻(いちび)綱とともに廻船三綱といわれる。かがす。かがすなわ。かがそ。

(20-9)「なひたる」・・編んだ。「なひ」は「なふ」の連用形。「なふ」は、多くの糸や紐などをより合わせる。よって縄などを作る。あざなう。漢字で「綯う」を当てる。

(20-9)「なひたるたる大縄」・・「たる」が重複しているか。異本は、「なひたる太き縄」に作る。

(20-10)「碇(いかり)」・・船をとめておくため、綱や鎖をつけて水底に沈めるおもり。錨とも書き、古代は単に石に綱をつけただけのもので、『万葉集』では「重石」と書いて「いかり」と読ませている。古代から近世初期までは、木碇と呼ぶ鍵形の木の枝に石を結びつけたものを主に用い、片爪を片手碇、両爪を合せ碇と称した。以後は一部の小船を除いては丈夫で海底のかかりもよい鉄製(鍛造)の四爪(よつめ)碇が使われた。大

きさは上げ下ろしを考慮して最大百三十貫(約四八八キロ)どまりで、代りに数を多く載せた。千石積廻船では七~八個、最大の一番碇を八十~百貫とし、以下五貫ずつ軽くしたので、合計重量は五百~六百貫程度であったが、その他の場合も大体この割合に準ずる。また航海中強風で船が流される時は、船首または船尾から碇を曳かせて防止するのが通例で、これを「たらし」という。

(20-11)「三宅島(みやけじま)」・・東京都心の千代田区から南方洋上約200キロに位置する島。面積55平方キロ。伊豆諸島に属し、同諸島中三番目に大きい。複式活火山雄山(おやま)によって形成された火山島で、昭和期にも三回の大爆発を記録している。養老6年(722)謀反を誣告した罪で多治比三宅麻呂が伊豆島に流刑されたと『続日本紀』にみえており、島名はこの三宅麻呂に由来するともいう。図1

(21-1)「麾(まねき)」・・さしずばた。本来の意味は、軍中で目印に立てたりする旗。図2

(21-2)「流船(ながれぶね)」・・荒天などで、航行の自由を失って漂流する船。

(21-2)「出しくれよかし」・・出してほしい。「かし」は、文末用法。終止した文に付き、聞き手あるいは自らに対して念を押し、強調する。中古に現われた助詞で、会話に多く用いられる。

(21-3)「菰(こも)」・・むしろ。

(21-9)「戌亥(いぬい)」・・北西。

(21-10)「名残(なごり)」・・「波残(なみのこり)」の変化したものといわれる。ふつう「余波」と書く。浜、磯などに打ち寄せた波が引いたあと、まだ、あちこちに残っている海水。また、あとに残された小魚や海藻類もいう。風が吹き海が荒れたあと、風がおさまっても、その後しばらく波が立っていること。また、その波。なごりなみ。なごろ。転じて、ある事柄が起こり、その事がすでに過ぎ去ってしまったあと、なおその気配・影響が残っていること。余韻。余情。

 なお「名残」を「なごり」と訓じることに関して、『古典基礎語辞典』(角川学芸出版)は、

 「naminokori→namnokori→namngori→nangori→nagoriという変化を経たか」としている。また、常用漢字表

 は「残(ざん)」の備考欄に「名残(なごり)」を記している。

(21-11)「山の端(は)」・・対して念を押し、強調する。中古に現われた助詞で、会話に多く用いられる。なお、「端」を「は」と訓じる例として、常用漢字表は例欄に「半端(はんぱ)」「端数(はすう)」「軒端(のきば)をあげている。ほかに、「木っ端(こっぱ)」「下っ端(したっぱ)」などがある。

(22-5)「釣香炉(つりこうろ)・・紐でつり下げるようにした香炉。空薫(そらだき)して香をくゆらせるもの。

(22-7)「けふ」・・歴史的仮名遣い。今日。発音は、「キヨウ」。

(22-7)「う(憂)き」・・「う(憂)し」の連体形。つらく。

(23-1)「実(げ)にも」・・「現に」の変化した語かという。他人の意見・態度を肯定するときの、納得した気持を表わす。いかにも。おっしゃる通り。

(23-2)「金比羅大権現」・・金毘羅大権現。香川県琴平町の象頭山(ぞうずさん=琴平山)の金刀比羅宮(ことひらぐう)にまつられる神。また、金刀比羅宮の旧称・通称。もとは大物主神(おおものぬしのかみ)であるが、金毘羅の垂迹(すいじゃく)として、大権現と呼ばれる。海神として船乗りなどの信者が多い。象頭山金毘羅大権現。金毘羅権現。金毘羅とは本来インドのガンジス川にすむ鰐(わに)を神格化した水神の名である。サンスクリット語のクンビーラKumbhiraの漢訳語で、仏法守護神の薬師十二神将の一つ。その金毘羅が海神、水神として信仰され、象頭山に鎮座の神と神仏習合し、金毘羅大権現と称されるようになったのであり、同社を勧請(かんじょう)した各地の神社も同様によばれた。

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蝦夷日記8月注

                                   

 (90-1)「トマリヲンナヘ」・・ウンウの西の地名。

(90-1)「蝦夷屋(ママ)」・・ここは、「蝦夷小屋」で、「小」欠か。2行目の割注も同様。

(90-2)「シレユヤ」・・ウンウの西の地名。

(90-2)「段々沼海に成る」・・東伏見湾の奥の狢捕川周辺の湿地のことをいうか。

(90-3)「ルヱカヲマナイ」・・狢捕川河口の地名。

(90-3)「此所大川有」・・「大川」は、狢捕川か。

(90-4)「ウ子(ネ)ホンヤトマリ」・・能登呂半島東岸の付け根の地名。

(90-5)「小網●候(ママ)」・・異本は、「小網立候」に作る。それに従うと、「立」欠か。

(90-6)「ヲタツコタンラヱチシカ」・・留多加川河口東岸の地名。日本名で川口か。

(90-7)「ユウタカ」・・日本名で留多加。資料1図参照。

(90-7)「此所大川有り」・・「大川」は、留多加川。

(90-8)「ソウ(ママ)」・・異本は、「リウ」に作る。近くに「利良(りう)川」があるから、ここは、「リウ」が正しいか。資料1図参照。

(90-9)「タラアンナヰ」・・タランナイ。日本名で多蘭内。現在のロシア名も「タラナイ」としている。資料1図参照。

(90-9)「此所大川有り」・・「大川」は多蘭内川。

(91-1)「ウルウ」・・能登呂半島東岸の中央部の地名。日本名で雨龍浜。資料1図参照。

(91-4)「ヘシウトル」・・能登呂半島東岸の地名。ヒストル。日本名で菱取。資料1図参照。

(91-4)「此所に大川あり」・・菱取は、小菱取川、菱取川の河口にある。

(91-5)「ヘチリナヘホ」・・ハチコナイ。日本名で鉢子内。能登呂半島東岸の地名。資料1図参照。

(91-6)「ホンヘリウ」・・能登呂半島東岸の地名。日本名で古江。資料1図参照。

(91-7)「ソヤトマリ」・・異本は、「リヤトマリ」に作る。能登呂半島東岸の地名。日本名で「利屋泊(りやどまり)」だから、ここは、「リヤトマリ」が正しいか。資料1図参照。

(91-11)「コンフイ」・・能登呂半島東岸の地名。

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