森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2012年09月

「船長日記」10月注

(25-1)「戌亥(いぬい)」・・北東。

(25-3)「帆巻の」・・異本は、「帆、巻て」に作る。「の」は、「て」か。

(25-5)「一所(ひとところ)」・・一つの場所。同じところ。異本は、「一所」に「ひとところ」とふりがながある。

(25-5)「まどゐ」・・円居。集まってまるく居並ぶこと。くるまざ。

(25-6)「祝日(いわいび)」・・異本は、「祝ひ日」に作る。

(25-7)「氏(うじ)の神(かみ)」・・氏神。村落共同体が共通の守護神としてまつる神。また、それをまつった神社。村氏神。鎮守。産土神(うぶすながみ)。

(25-7)「神日」・・異本は、「縁日」につくる。「神」は「縁」の誤りか。

(25-9)「すはや」・・すは(すは)。人に注意したり、事態の進展に自ら驚いたりしたときに発する語。あっ。やぁ。それっ。さあ。感動詞「すは」+間投詞「や」。

(25-10)「巳(み)の時」・・午前10時ころ。

(25-10)「未(ひつじ)の時」・・午後2時ころ。

(26-1)「此後(こののち)」・・異本は、「此のち」と、「のち」を仮名に作る。

(26-3)「御惠(みめぐみ)」・・ありがたいおなさけ。

(26-3)「尊(たっと)み」・・あがめ重んじて。「尊(たっと)む」の連用形。「尊(たっと)む」は、「たふとむ」の変化した語。「尊む」はあがめ敬う意。「貴む」は、価値あるものとして大切にすること。

(26-5)「言様(ゆいよう)」・・「いいよう(言様)」の変化した語。口のきき方。言い方。

(26-67)「覚悟せずば、あ()しかり(ら)なん」・・「あ()しかりなん」は、文法的には、「あ()しからなん」が正しい。「り」は、「ら」が本来。なぜなら、係助詞「なん」は、未然形に接続するから、「あ()し」の未然形は、「あ()しから」。¥あ()しからなん」の語誌は、ク活用形容詞「あ()し」の未然形「あ()しから」+係助詞「なん(む)」。

 口語訳の直訳は、「覚悟しなければ悪いだろう」で、転じて、「覚悟するのがよい」で、意訳は、「覚悟しよう」くらいの意か。

(26-7)「のぼり船(ぶね)」・・督乗丸の出発地・故郷である尾張・師崎(もとざき)へ帰る船。「上り」は、通常は、地方から都へ向かっていくことをいうが、基本的な意味は、その過程や経路に重点がおかれた上方への移動をさす。

(26-8)「五斗俵(ごとびょう)」・・米五斗を入れた俵。五斗入の米俵。仙台米など所によってこれを用いた。

(26-8)「ならではなし」・・~しかない。「ならでは」は、あとの打消の表現に呼応する。…でなくては(…しない)。…でなければ。…以外には。

(26-9)「割合(わりあい・わりあて)」・・「わりあい」は、分割して。動詞「割合(わりあ)ふ」の連用形。

 また、「合」を「あて」「あてる」と訓じる場合もある。

(26-9)「一人前(ひとりまえ)」・・ひとりに与えるべき分量。ひとりが受け持つべき分量。

(27-1)「蘭引(らんびき)」・・

ポルトガル語「alambique」から。酒・香料・薬種などを蒸留する器具。多くは陶製の深い鍋の上に冷水を入れた鍋を蓋とし、下から火をたいて蒸留させるもの。江戸時代に用いられた。また、漂流船などで水が欠乏した場合、鍋・釜などを利用して臨時につくる蒸留水の製造装置。幕末から明治になると、既製品も現れた。図参照。漂流船では、自船の釜や桶を利用した。

船内の水は、「水樽」(はず)と呼ばれる水槽に貯えられており、通常の航海には十分間に合ったのだが、漂流した時などは、船上で水を作る必要に迫られ、「蘭引の法」が行われた。下部で火をたき、海水を煮立てて、その蒸気が上部の冷たい海水の入った器の底に触れて水滴になり、蒸留水を作るもので、陶器製のものは主に医療向きの陸上用で、船上では、釜、鍋、樽などを応急的に組み合わせたものだった。

(27-12)「重吉、工夫して蘭引をこしらえたり。先、大釜へ・・」・・異本は、「こしらえたり」のあとに、数行の文章がある。全文を引用すると、

「重吉、その暁(あけ)の夢、白衣の来り告げ給ふには、汐より水を取りて呑むべし。そのあり様は、大釜に潮を汲籠(くみこめ)て、これを煮てその上へ桶を置き、上へ大鍋を俯(ふ)せて、その鍋中に溜りたる液の流れ下るを受ければ、浄水となるべしと、くわしくこれを教へ給ふを見て、夢はさめたり。重吉、心中はなはだ有難(ありがた)く、全く金比羅の御告げならんと、翌早朝に垢離(こり)を取り、皆々に夢の告げを語り、さて夢の教へに工夫して、この水を取りけるとなり」

とあり、そのあと、「先、大釜へ・・」と続く。

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蝦夷日記9月 注

(96-1)「アサンナヱ」・・西海岸の地名。日本名で「麻内」を当てる。

(96-4)「タラントマリ」・・西海岸の地名。日本名で「多蘭泊」を当てる。

(96-7)「ヘロチナヘ」・・西海岸の地名。日本名で「広内」を当てる。

(97-4)「ライチシカ」・・西海岸の地名。日本名で「来知志」を当てる。この部分の記述は、村垣一行は、ライチシまで巡検し、ここから、シラヌシに引き返したことを記している。

(103-8)「中遣船(なかづかいぶね)」・・近世、北海道での廻船分類上の名称。百石積以上を弁才船とするのに対して四十石から九十石積までの小廻船をいう。内地の天当船に相当し、乗組は二人を定数とする。図合船(ずあいぶね)と弁才船との中間を意味する呼称。

(97-56)「夫より先へ●堀様・・御出立に相成候」・・堀は、ライチシより「先へ」行ったような記述に見えるが、実際に、堀自身は、行っていない。堀・村垣の命を受け、支配勘定上川伝一郎(うえかわでんいちろう)は、西海岸をホロコタンの先まで見分し、さらに、伝一郎に付き添って行った松前藩士今井八九郎は、進んでナツコに至った。なお、東海岸は、村垣に附いていた普請役間宮鉄次郎は、タライカまで見分している。

 したがって、ここは、「夫より(ライチシより)先へ、堀様(の命を受け)御固勢・松前附添之御役人共(は、更に北へ)御出立に相成候」と読むほうがいいか。

 それとも、異本には、「先へ」を、「先に」としているので、「堀は、村垣より先に、シラヌシ帰った」と読むのか。関連図1.

(97-6)「御固勢(おかためぜい)」・・警護の人々。「御固め」は、「防備・警戒・包囲などをすること」
(97-10)「ヲツコナヘ」・・西海岸の地名。日本名で「麻内」を当てる。「トコンボ(吐鯤保)」と「ナイホロ(内幌)」の中間の集落。

(97-10)「破船(はせん)」・・荒天・座礁または船体の不備、運航の誤りなどで船が壊れること。また、その船。難破船。

(98-1)「敷(しき)」・・和船の船腹の下部の板。

(98-5)「社堂(やしろどう)」・・神社と仏堂とを折衷した建物。また、神と仏とを合祀する社殿。または、神社や寺院。

(98-8)「カムヱトマリ」・・西海岸の地名。日本名で「鴨居泊」を当てる。「シヨウニ(宋仁)岬」の南にある。

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