(114-1)「付送(つけおく)り」・・人や牛馬に負わせて物品を送る。異本は「附込」に作る。

(114-2)「カムイト」・・カムイエト。枝幸郡枝幸町斜内にあり、オホーツク海に突き出ている岬。北見神威岬。

積丹半島には同じ名の神威岬があり、そちらと区別するために、旧国名である北見を冠して呼ばれる。

(114-4)「突出シの島」・・現枝幸郡枝幸町目梨泊港の東岸壁の一部になっている目梨泊崎のこと。

(114-5)「アハトマナヰ」・・「松浦図」には、「ヲハトマイ」とある。

(114-6)「ヲレタロ」・・枝幸郡枝幸町目梨泊港の南の地名。

(114-7)「トヰマキ」・・漢字表記地名「問牧」のもととなったアイヌ語に由来する地名。現枝幸郡枝幸町問牧。

(114-8)「ノツカシ」・・漢字表記地名「野近志」のもととなったアイヌ語に由来する地名。現枝幸郡枝幸町問牧のうち。松浦武四郎の「西蝦夷日誌」には、「ノチカシ小岬本名ノツイカウシ」とあり、「松浦図」には、「ノツカヲマナイ」とある。

(114-8)「チヨマナイ」・・「松浦図」には、「チヨマイ」とある。「チヨマナイ」は、「ノチカシ」の西にあるから、順路が違っている。本来は、「チヨマナイ」が先。

(114-9)「ウシタベツ」・・ウスタイベ。ウスタイベ千畳岩は枝幸町市街から北約2kmにある、ウスタイベ岬先端に巨大なブロック状の安山岩が並ぶ奇観のことで、北オホーツク道立自然に指定されている。「松浦図」には、「ウシタイベ」とある。

(114-10)「ヱサシ」・・漢字表記地名「枝幸」のもととなったアイヌ語に由来する地名。現枝幸郡枝幸町の中心地。

(115-3)「根ぶか」・・根深。ねぎ(葱)の異名。冬の季語。

*「冬葱ねぎ 関西にて、ねぶかと云〈略〉ねぶかとは根ぶかく土に入こころ」(『物類称呼〔1775〕三』

 *「今朝の雪根深を園の枝折(しをり)哉」(芭蕉)

(115-5)「ヱウンナイ川」・・ウエンナイ。影印の「ヱ」と「ウ」は逆。枝幸市街地の南でオホーツク海に注ぐエサシウエンナイ川。

(115-6)「ホロベツ」・・漢字表記地名「幌別」のもととなったアイヌ語に由来する地名。現枝幸郡枝幸町下幌別。北見幌別川沿岸に下幌別原野が広がる。

(115-8)「サンケウシ」・・現枝幸郡枝幸町岡島付近。北見幌別川の南にサンケウシ岬があり、かつては、ニシンの好漁場であった。『松浦図』には「シヤンケウシ」とある。

(115-9)「トウシベツ」・・トクシベツ。漢字表記地名「徳志別」のもととなったアイヌ語に由来する地名。「松浦図」には、「トウシヘツ」とある。

(116-2)「チカツトムシ」・・漢字表記地名「近太虫」のもととなったアイヌ語に由来する地名。『松浦図』には「チカフトムシ」とある。現枝幸郡枝幸町山臼付近の地名。

(116-4)「ヲチツベツ川」・・乙忠部(おっちゅうべ)川。現枝幸郡枝幸町乙忠部(おっちゅうべ)でオホーツク海に注ぐ。

(116-6)「ヘセトコマナヰ」・・『松浦図』には「ヘセトマイ」とある。現枝幸郡枝幸町乙忠部(おちゅうべ)の東の集落。ペセトコナマイ川がオホーツク海に注ぐ。

(116-8)「フウレヅ」・・漢字表記地名「風烈布(ふうれっぷ)」のもととなったアイヌ語に由来する地名。現枝幸郡枝幸町風烈布(ふうれっぷ)。明治29(1896)にフーレップ川で最初の砂金採取が行われた。「状況報文」には「フーレップ川」河口で砂金を産し、29年夏・秋に二、三〇名の鉱夫がきたとある。「枝幸町史」によると砂金を発見したのは、もと佐賀県小城(おぎ)郡三日月(みかつき)村大字三ヶ島(みがしま)(現同県三ヶ月町)河原田太七というもので、同人は明治29年四月枝幸村に寄留し、「フーレップ海岸」において初めて砂金を発見し、6月より9月までに砂金三貫目を採取したという。

(116-10)「ヲナヲナナヰ」・・『松浦図』には「ヲナヲナマイ」とある。枝幸郡枝幸町風烈布(ふうれっぷ)。

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