*影印は「弥」か、「孫」か。・・異本は、すべて「弥右衛門」と「弥」としている。私は、ここは、クスリ場所の請負人は、米屋(佐野)孫右衛門なので、好意的に「孫」と読みたい。
(132-2)「クスリ会所」・・「クスリ」は、漢字表記地名「釧路」のもとになったアイヌ語に由来する地名。漢字表記は、ほかに、「久須利」、「久寿里」、「楠量」、「薬」、「久摺」などがみられる。「クスリ会所」は、松前藩の役所。
(132-4)「五葉の松」・・マツ科の常緑高木。北海道南部から九州までの山野に自生し、庭などに植栽もされ、また盆栽にもされる。高さ三〇メートル、径一メートル以上に達するものもある。葉は長さ二~六センチメートルの針葉で五本ずつたばになって小枝に密生する。雌雄同株。花期は初夏、雄花は新枝の下部にむらがってつき、雌花は紫紅色で新枝の先に二、三個ずつつく。松かさは長さ五、六センチメートル、径三センチメートルぐらいの卵状円柱形。種鱗は広卵形で翼をもつ。庭木、盆栽とするほか、材は建築・船舶・彫刻・楽器・薪炭材などにされる。同一種を西日本ではゴヨウマツ、東日本ではヒメコマツと呼ぶ。キタゴヨウは別種とも見られるし、また、ゴヨウマツの変種とする説もある。近縁種にアマミゴヨウ(ヤクタネゴヨウ)、チョウセンゴヨウ(チョウセンマツ)などがある。漢名として五鬚松、五釵松を当てることがある。五葉の松。学名はPinus parviflora 。ちなみに、様似町の幌満、アポイ岳は、「キタゴヨウ北限地」でもある。
(132-5)「カンチウシ」・・カンジウシ川中流域の地名。清里産業道路(道道150号線)を下りてくると、標津郡中標津町西養老牛の手前の左手に標高277メートルの「カンジウシ山」がある。カンジウシ川とケネカ川に挟まれた山。なお、現中標津町内の本文書に係る地名については、別綴の松浦武四郎著『東西蝦夷山川地理取調図』、「中標津管内図」(中標津郷土館刊『近世のなかしべつ』所収)参照のこと。
(132-6)「カンチウシフト」・・カンジウシ川がケネカ川に合流する地点。現標津郡中標津町南養老牛。
(132-7)「ケ子カ」・・漢字表記「計根別(けねべつ)」のもととなったアイヌ語の地名。ケネカ川が標津川に合流する地点を「ケネカブト」という。現標津郡中標津町中計根別。近傍には「ケネカブト」「ホンケネカブト」「ホンケネタイ」など類似の地名が多く、「ケネカ」は惣名としても用いられていたようである。
(132-9)「ケ子カ川」・・標津川の支流。計根別で標津川に合流する。
(132-10)「子モロ会所」・・「子モロ」は、漢字表記地名「根室」のもとになったアイヌ語に由来する地名。古くからネモロとよばれていた地域はキイタップ場所に含まれ、周辺一帯の流通の中心はノッカマフであったが、一七八九年(寛政元年)にクナシリ・メナシの蜂起が起こり、その指導者たちがノッカマフで処刑された。ノッカマフに居住していたアイヌはこのあとネモロに移住したという。その後ネモロに運上屋(会所)が置かれ、場所の中心地となった。仮名表記は「ネモロ」「子モロ」の表記が多いが、「ネムロ」もあり、「ねもろ」とも書かれた。漢字表記は「根諸」、「子室」もみられる。
(133-1)「チラヱワタラ」・・ポン股落(またおち)川と標津川の合流地点。現標津郡中標津町東共栄付近。『松浦図』には、「チライワタラ」とある。
(133-1)「ホンヒル」・・『松浦図』には、「ホンリウル」とある。中標津市街地を流れる小川にタワラマップ川がある。「ボンリウル川」は、1982明治25年(1982)に事業を開始し、昭和51年(1976)まで使用されたさけ・ます孵化場のあった小川。
(133-4)「フシコタヲリマフ」・・現標津郡中標津町市街地を流れ小川。現マスミ川。
(133-5)「ツナナ」・・「チナナ」とも。現標津郡中標津町市街地の東、国道272号線の東を流れる小川にチナナ川がある。『松浦図』には、「チナイ」とある。
(133-6)「ホ子セ」・・不明。『松浦図』にある「ヲゝセフ」か。
(133-8)「トヱヒラ」・・トエビラとも。標津川下流右岸地域。現在の標津町と中標津町の境界付近。
(133-9)「シベツ」・・漢字表記地名「標津」のもとになったアイヌ語に由来する地名。漢字表記は「支別」、「志平津」、「志辺津」みられる。