(143-10~144-1)「高サ弐丈五尺余・・立岩あり。都合弐ツあり。」・・現釧路町冬窓床(ブユマ)の沖のローソク岩。
(144-3)「アトイカ」・・漢字表記地名「跡永賀」のもとになったアイヌ語に由来する地名。現釧路郡釧路町跡永賀(あとえか・あとえが)村。
(144-6)「コンブムイ」・・漢字表記地名「昆布森」のもとになったアイヌ語に由来する地名。現釧路郡釧路町昆布森(こんぶもり)村。
(144-8)「チヤラシベツ」・・・漢字表記地名「地嵐別」のもとになったアイヌ語に由来する地名。現釧路郡釧路町大字昆布森(こんぶもり)村字地嵐別(ちあらしべつ)。
(144-9)「半道(はんみち)」・・一里の半分。半里。
(144-9~10)「ベツヲシヤモ」・・漢字表記地名「昆沙門」のもとになったアイヌ語に由来する地名。現釧路市桂恋のうち。『松浦図』には「ヘツシヤム」とある。現在、釧路市の地名に三津浦があるが、三津浦の地名の由来には、地内のコンブ漁村集落がアイヌ語地名ベッシャム(現昆沙門)、オコツ(現三ツ浦第一)、カンパウシ(現三ツ浦第二)の3つに分かれていたことにちなむという。
(145-1)「大穴あり、汐水打出し古今面白き岩なり」・・この海岸には、岩礁や岩場のところで、海中には奇岩がそそりたち、洞窟のような岩も多く、龍の口に似てることから、「龍神口」呼ばれている。
(145-2)「カツラコヰ」・・漢字表記地名「桂恋(かつらこい)」のもとになったアイヌ語に由来する地名。現釧路市桂恋。「桂恋」を当てるので、アイヌ語ではなく、和語かと思われるが、古くは「カツロコイ」「カチロコイ」ともいい、アイヌ語で、「カツラコイチリ」という鳥が多く集まることに由来するという。(『蝦夷地名考並里程記』)
(145-3)「クスリ」・・漢字表記地名「釧路」のもとになったアイヌ語に由来する地名。「クスリ場所」は、北海道東部、太平洋岸に設置された東蝦夷地の場所の一。釧路川流域を中心とする。場所境はたびたび変遷し、享和2年(1802)以降、西は直別(ちよくべつ)川(現釧路市音別町・浦幌町境)を挟んでトカチ場所、東は厚岸湾に面するモセウシ(現釧路町別太川河口北側)でアッケシ場所に接する。初め西は大楽毛(おたのしけ)川を境にシラヌカ場所に接していたが、享和2年(1802)シラヌカ場所がクスリ場所に併合されたことにより西へ拡大。東はアチョロベツ川(現釧路町大字昆布森村)でアッケシ場所に接していたが、さらに東のモセウシに変更された。北のシャリ場所との境は「シャリ領ワツカウイより山え上り、ルウチシと申峠を以て境に相定め候」と斜里岳から藻琴山に続く稜線に設定されていたが、その後ヲタウニが境とされた。アバシリ場所との境はヲンネナイであったが、文化4年(1807)のアバシリ越新道開削後ニマンベツ(現大空町女満別)とされた。享保十二年所附には「くすり」とみえている。場所名は「久寿里」とも記された。寛政11年(1799)まで松前藩主直営地。1770~80年代から飛騨屋久兵衛(益郷)が当場所の一括請負経営を行い、天明8年(1788)から再び漁業請負を行った。運上金は初め五〇両(蝦夷草紙別録)、その後一三〇両となり(東蝦夷地場所大概書)、一六〇両に増加した(松前随商録)。享和2年(1802)以降は幕府領となる。
文化9年(1812)に直捌が廃止されると請負経営が再開され、二二年(文政5年(1822)に米屋(佐野孫右衛門)が場所請負人となった。米屋の下で働く漁業者は道南の箱館・松前、下北地方の出身者が多かった。多くは春の鰊漁業、夏の昆布採取、秋鮭漁業に季節的に出稼し、一部は外国船警備や漁業準備のため越年した。1850年代後半は鮭漁業では引網に加え建網(定置網)を導入する時期にあたる。このため河口で鮭が大量に捕獲された結果、クスリアイヌとネモロアイヌがそれぞれ入会漁場としていた西別川の鮭漁をめぐって紛争が起こっている(ニシベツ川一件)。なお松浦武四郎はクスリ場所以東の三場所について「生産は、是実に蝦夷第一等の出嵩といふべし。尚又是に河海魚猟の具を蜜(密)にし、山野開拓の力を施さば、不日にして北海無比の一良国とならん」とその優位性を説いている(板本「東蝦夷日誌」)。明治2年(1869)漁場請負制は廃されるが、佐野孫右衛門は引続き漁場持となり、同9年(1876)まで続いた。
(145-10)「クスリ川」・・釧路川(くしろがわ)。釧路地方を流れる一級河川。流路延長154.1キロ、流域面積2510平方キロ。屈斜路湖を水源として、屈斜路カルデラや摩周カルデラが形成されるまでの火山活動に由来する、厚い火山噴出物が地表面を覆う丘陵地帯を南東に流下する。途中で弟子屈町を貫流し、西から鐺別(とうべつ)川が合流する。本流は標茶町内で流れを南西に変え、同町五十石(ごじつこく)付近で釧路湿原に入り、釧路町では湿原の東縁部を流れて、さらに釧路市の市街地を通って太平洋に注ぐ。湿原の北にある丘陵地帯から流下するオソベツ川・ヌマオロ川・久著呂(くちよろ)川・雪裡(せつつり)川などが湿原の中で本流に次々と合流している。釧路川では洪水による被害が度々発生した。その後洪水防止と釧路港への土砂の流入を防ぐことを目的にして、釧路町の岩保木(いわぼつき)から釧路市の新富士(しんふじ)地先に至る延長12キロの人造河川が開削された。現在は平成13年(2001)四月五日付の国土交通省告示によって人造河川のほうを「新釧路川」、市の中心部を流れる川を「釧路川」とよぶことになった。
(146-2)「ベトマイ」・・漢字表記地名「別途前」のもとになったアイヌ語に由来する地名。「別途前川」は、現在、釧路市星が浦付近のJR根室線に沿って、線路の南側を流れる小川。
(146-3)「此間小川」・・川は、阿寒川か。阿寒川は、阿寒町と釧路市を流下する二級河川。流路延長98.4キロ、流域面積717.9キロ。阿寒国立公園内阿寒町の阿寒湖南東岸から流出、南に流れて飽別(あくべつ)川・徹別(てつべつ)川・舌辛(したから)川・大楽毛(おたのしけ)川などを合流して、釧路市の西部、大楽毛で太平洋に注ぐ。阿寒川は、もとは釧路川に注いでいた。1800年頃のクスリ・シヤリ・シベツ間里程絵図(近藤重蔵蝦夷地関係史料)にはアカン沼(阿寒湖)から流れ出て蛇行しながら流下し、「ヲタノシケ」北東でクスリ(釧路)川に合流する川筋が描かれている。また当川の流路は太平洋岸からオホーツク海岸に抜けるアバシリ山道の一部として活用され、松浦武四郎は安政5年(1858)にヲタノシケから阿寒湖へ抜けている(「久摺日誌」など)。下流域には明治17年(1884)・同18年(1885)の両年にわたり鳥取県旧士族105戸が移住したが、阿寒川の洪水に悩まされた。いっぽう釧路川河口に近代港湾を修築するにあたって阿寒川と釧路川の分離が計画され、大正7年(1918)に阿寒川の流路を変更し、当時の釧路町別途前(べつとまい)(現釧路市新富士町)で太平洋に注ぐ阿寒新川(新放水路)を開削する工事が完成した。しかし同9年(1920)8月に発生した洪水で、阿寒川と大楽毛川の間に掘られていた分水路を本流とする河川に変わり、釧路川から完全に分離した。現在釧路市鳥取大通付近で新釧路川に合流している仁々志別(ににしべつ)川の下流部は、大正7年開削の阿寒川の新放水路にあたる。現在河谷に沿って国道240号(通称まりも国道)が通過、沿線に釧路空港もあり、阿寒国立公園への観光ルートとなっている。
(146-4)「ヲタノシケマフ」・・漢字表記地名「大楽毛」のもとになったアイヌ語に由来する地名。現釧路市大楽毛(おたのしけ。流域一帯は近代に入り、「大楽毛川」以西は庶路(しよろ)村(現白糠郡白糠町庶路)に、以東は釧路郡釧路村(現釧路市)に包含された。
(146-5)「コヱトヰ」・・漢字表記地名「恋問」のもとになったアイヌ語に由来する地名。現白糠郡白糠町コイトイ。
(146-6)「ツロロ川」・・「ツロロ」は、ショロ。『松浦図』には、「シヨロヽ」とある。「ツロロ川」は、庶路川。白糠町の東部を流れる二級河川。流路延長66.8キロ、流域面積328.7平方キロ。阿寒富士の南西麓の白糠丘陵中に発したコイカタショロ川・コイボクショコツ川が合流して庶路川となり、クッチャロシベツ川・シケレベ川などの支流を集めながらやや南東へ流下し、庶路原野を貫流し、下流域で庶路市街を右曲後東進して太平洋へ注ぐ。河口部ではコイトイ川が合流している。
(146-7)「此所より●シヤリ山越」・・いわゆるアバシリ越新道。現白糠(しらぬか)町の庶路(しよろ)を起点に庶路川を遡行、阿寒(あかん)湖の南岸から西岸に回り、現釧北峠付近のルウチシ(ルチシ)で山を越えて網走川上流へ出、同川沿いに北行、美幌・女満別・網走を経て斜里に至る道。一八〇七年文化4年(1807)に新しく整備されて休泊地が定められたため新道とよばれた。アバシリ山道ともいう。『地名考并里程記』は「文化四年卯年八月、西地人馬継立のため、小荷駄馬引越させ候砌、通路いたす」と述べ、経路地と休泊地(チブタナイ、シタカラブト、ヲフイチセナイ、ヌヲン子イ、アバシリヲン子ナイ、カムイショブイ、ヲン子ナイ、シマンベツ、トラブツ、シャリ)をあげ、「シラヌカよりシヤリ会所許迄、行程凡六十里程ある由」と記している。なおヲタノスケ(大楽毛)からの山道がシタカラ(舌辛)でこの道に合流していた。明治期には近呼新道とよばれ、現在は釧北峠付近から美幌までは国道240号、美幌から女満別までは国道39号にほぼ引継がれている。
(146-7)「サクジス」・・漢字表記地名「刺牛(さしうし)」のもとになったアイヌ語に由来する地名。「サクシヽ」「シヤクシウシ」「サクジヽ」とも。『竹四郎廻浦日記』には、「シヨロベツ」と「シタヌカ」の間に「サシユヽ」がある。現白糠郡白糠町刺牛(さしうし)。