(24-1)「時々に衣服さえ」・・異本は、「に」を「の」とし、「時々の衣服さえ」に作る。文意は、「季節ごとの衣服」の意だから、「時々の」の方が妥当か。
(24-2)「命の親」・・命を助けてくれた恩人。
*(美女を「命取り」というのに対して)醜い女のこと。→「いのちとり(命取)」とは美女、「命の親」とは悪女の異名。
*「命取り」・・生命、地位、財産、名誉などを失う原因となるものや事柄。美女をいうのにも用いた。
・「あの御器量で金銀に事欠き給はぬ御暮しは、太夫様方の命取(イノチト)りといふもの」(『浮世草子・風流曲三味線』)
・「おもき顔にもにっこりと、わらひをふくむあいきゃうは、俗に所謂いのち取、男ころしといふべけれ」(『人情本・仮名文章娘節用』)
(24-3)「いたこ」・・潮来節のこと。潮来節について、ジャパンナレッジ版『日本大百科全書(ニッポニカ)』には、
<江戸中期の流行唄。江戸時代の水郷潮来(茨城県)は、東北地方の米を江戸へ送る集積地であり、また鹿島、香取両神宮への参拝客でにぎわった。そのため、舟唄とも遊女の舟遊び唄ともいわれるこの歌は、明和期(1764~72)の末にはお座敷化して江戸へ伝わり、文化期(1804~18)にかけて大流行した。7・7・7・5の26文字からなるこの詞型は、日本全域で愛唱された初めての民衆歌謡といえよう。やがて江戸では新内や祭文(さいもん)の旋律が加えられ、大坂では「よしこの」の母胎になるなど、歌い崩されて本来の旋律は失われてしまい、現代では端唄(はうた)『潮来出島』、民謡『潮来音頭』『潮来甚句』として残っているにすぎない。>
とある。
<漢字の話>「潮」を「いた」と訓じること・・ジャパンナレッジ版『国史大辞典』には、
<『鹿島志』に「板来と書たるを、西山公(徳川光圀)、鹿島に潮宮(イタノミヤ)あり、常陸の方言に潮をイタといふは興ある事とおほしてかく書改められたりと云ふ」とあるように、江戸時代に「潮来」と改称された。>
とある。つまり、「潮」を「いた」発音するのは、常陸地方の方言だという。
(24-3~4)「新内節」・・ジャパンナレッジ版『新版 歌舞伎事典』には、
<三味線音楽の一流派。江戸浄瑠璃。宮古路豊後掾の門弟加賀太夫が富士松薩摩掾となり、また、そのワキ語り敦賀太夫が鶴賀若狭掾となって、一派を樹立した。その若狭掾の門弟二世鶴賀新内のフシ落しが喜ばれ、安永(1772‐1781)末ごろ新内節の名称で統一された。若狭掾までは歌舞伎の舞台に出演していたが、〈流し〉という形態に変わり、上調子(高音(たかね)という)の発達とウレイをきかせたクドキの発達で流行するようになる。のち中興の祖富士松魯中が出て語り物をふやし、さらに七世加賀太夫が人気を博して今日も根強い人気を保っている。若狭掾作品の《蘭蝶》は歌舞伎化され、《明烏》は清元その他に移されている。ほかに義太夫節、一中節から移したものもあり、《膝栗毛》のような滑稽物もある。曲節の種類は少ないが、他流に与えた影響は大きく、〈流し〉の三味線は、歌舞伎で下町や大川端の夜更けを描く下座音楽に用いられている。>とある。
(24-6)「哥(うた)」・・「哥」は、「歌」の古字。
(24-8)「にても」・・格助詞「にて」に係助詞「も」の付いたもの。…でも。…においても。
(24-9)「嘲弄(ちょうろう)」・・ばかにすること。からかいなぶること。
(24-9)「身にし(染)みて」・・深く心に思いこんで。心からうちこんで。
(24-11)「しゐて」・・強いて。むりに。むりやりに。おして。あえて。
(25-3)「返すがえすも」・・「かえす(返)」の終止形を重ねたもの。「も」を伴うことが多い。古くは「かえすかえす」)動作、作用が繰り返し行なわれるさまを表わす。ひとえに。ひじょうに。
(25-3)「しんに」・・真に。本当に。まことに。また、真剣に。本気で。
(25-3)「あしざま」・・悪樣。悪いよう。悪いふう。「あしざまに(言う)」の形で、悪意をこめて事実よりも悪く言うのに用いることが多い。
*CF「よざま(善樣)」・・よいさま。よいふう。
(25-4)「くどけば」・・くどくどと繰り返していえば。「くどく(口説)」は、嘆きのことばを繰り返す。しつこくいう。愚痴(ぐち)をいう。
(25-4)「その事その事」・・相手の言うことに共鳴する意を表わすのにいう。それがよい、それがよい。その通りだ、その通りだ。
*「『藤さんはきれい好であらっしゃるから』『その事その事』」(『人情本・春色恵の花』)
*「『奥山へ行って、一杯やらうぢゃあねえか』『其事々々、寒くって堪(こて)えられねえ』」(『歌舞伎・歳市廓討入』
*「『まアそんな事はどうでもいいや。仲直りに今の酒を奥でやると仕ようぢゃねえか』『其事其事、サア来ねえ』」(『歌舞伎・今文覚助命刺』)
(25-5)「さも」・・副詞「さ」に助詞「も」が付いてできたもの。副詞「さ(然)」を強めたいい方。そのようにも。その通りにも。
(25-8)「彼城(かのしろ)」・・シトカのロシア人の要塞をノボ・アルハンゲリスク。当時、重吉らは、ロシア領アメリカ(現アメリカ合衆国アラスカ州)のアレキサンダー諸島のパラノフ島西部の町・シトカに滞在していた。シトカは、ロシア国策会社であるロシア・アメリカ会社の初代支配人アレキサンドル・バラノフが組織した統治・交易の中心地であった。彼らはその要塞をノボ・アルハンゲリスク(バラノフが生まれたアルハンゲリスクに因む)と名づけた。
(25-8~9)「日本人を連来れと仰事あり」・・前掲の『船長日記 その信憑性と価値』(風媒社 2013)で著者の村松氏は、「重吉等はピゴットに伴われ、ここを訪れているようだ。バラノフは重吉に会った時、すでに七十歳ほどの老人であった」と記している。「仰事」を発したのは、バラノフということになる。文化12年7月のことであった。
(25-9)「今は」・・異本は、「今日は」に作る。
(25-9)「月代(さかやき・さかゆき・さかいき・つきしろ・つきびたい)」・・中古以来、成人の男子が、日常、冠または烏帽子をかぶったためにすれて抜けあがった前額部の部分の称。また、室町期、武士が兜を付けるときに剃った前額部の称。近世、露頭が日常の風となった成人男子が、額から頭上にかけて髪を剃(そ)ること。また、その部分の称。
*「月代」を「さかやき」と読む語源説・・諸説あるが、「昔、冠を着けるときに、前額部の髪を月形に剃ったところから、サカは冠の意、ヤキ(明)は鮮明の意。」が、比較的わかりやすく、面白い。
(25-10)「惣髪(そうはつ)」・・男の結髪の一つ。額(ひたい)の上の月代(さかやき)を剃らず、全体の髪を伸ばし、頂で束ねて結ったもの。また、後ろへなでつけ垂れ下げただけで、束ねないものもいう。江戸時代、医者・儒者・浪人・神官・山伏などが多く結った髪型。四方髪。なでつけ。そうがみ。そうごう。
(25-11)「こよのふ」・・こよなく。この上なく。
*<文法の話>「のふ」・・諸説あるが、一説に、打消しの助動詞「ず」の未然形の古い形「な」に接尾語「ふ」の付いた「なふ」の「な」が、さらに「の」に変化し、「のふ」になったとも。
(26-2)「苧(お・からむし)」・・イラクサ科の多年草。茎の繊維から織物をつくる。
(26-4~5)「ざん切(ぎり)」・・散切。月代(さかやき)をそらないで、頭髪をうしろへなでつけて結ばず、切り下げたままにした髪形。なでつけ。散切髪。