(52-2)「又の日」・・①次の日。翌日。②別の日。後日。ここでは、①か。
(52-2)「そこに一年計居ける」・・「そこ」とは、北千島のオンネコタン島。実際には7ヶ月ほど。
(52-2)「明(あく)る年」・・文化11年(1814)。
(53-4)「そこたち」・・「たち」は接尾語。対等以下の複数の相手にやや丁寧な気持をこめて用いる。
(53-4)「賄(まかない)」・・費用を出すこと。
(53-5)「いぶかしく思ひ」・・「いぶかし」は、疑わしい。よくわからない。語源説に、<イブカシキ(息吹如)の義で、イブキは、口から吹かれる息の意とも、霧の意ともいう>などがある。
*<漢字の話>「訝」・・「いぶかる」は、「訝る」と書くが、「訝」の解字は、「言」+「牙」で、音符の「牙」は、つきだすきばの意味。疑いの気持をつきだし、言葉で確かめる、いぶかるに意味をも表す。
(54-1)「賄賂(わいろ)」・・自分に都合のよいようにとりはからってもらう目的で他人に贈る品物や金銭。まいない。そでのした。
*<漢字の話>1「賄」・・解字は、「貝」+「有」。「貝」は、財貨で、むかし貝殻を貨幣としたのでいう。音符の「有」は、食事を手にして人にすすめるの意味。財貨を人に贈るの意味を表す。
*<漢字の話>2「賂」・・解字は、「貝」+「各」。音符の「各」は、いたるの意味。財宝をもたらす・おくるの意味を表す。
(54-2)「いやしむる」・・下2動詞「いやしむ」の連体形。「いやしむ」は、いやしいものとして見下げる。軽んずる。さげすむ。いやしぶ。賤しい。
*<漢字の話>「賤」・・解字は、「貝」+「戔」。音符の「戔」は、小さい、すくないの意味。金品が少ないの意味から、身分が低いの意味を表す。
(54-3)「振廻(ふるまい)」・・振舞。「舞」に「廻」を当てることもある。
*「昔は大身小身は申に及ばず、軽き壱人も召仕ふ程の者、町人迄も正月は椀飯振廻(ワウバンブルマヒ)とて、親類縁者子供まで、洩さずよび集め、夫々分限相応に結構して、目出度とことぶき、うたひののしり、酒もりして遊ぶ。〈略〉是故に疎なる親類の中も、椀飯振舞に亦したしく成事あり」(随筆・『八十翁疇昔話』1716年頃か)
*<日本語の話>「椀飯振廻(おうばんぶるまい)」・・「椀飯」の「おう」は、「わん(椀)」の変化したもの。
「椀飯(おうばん)」・・王朝時代、公卿たちが殿上に集まったときの供膳。鎌倉・室町時代には将軍家に大名が祝膳を奉る儀式となり、年頭の恒例として、また、慶賀の時などに行なった。応仁の乱以後はあまり行なわれなくなり、江戸時代には、民家で正月に親類などを招いて宴を催すことをいった。大供応。盛饗。
なお、「大盤振舞(おおばんぶるまい)」と書くのは、「おうばんぶるまい(椀飯振舞)」から転じて「大盤」などの字をあてるようになったもの。
また、「椀飯(おうばん)」と「大盤(おおばん)」は、ルビが違う。
(54-4)「髪剃(こうぞり・かみそり)」・・「こうぞり」は、「かみそり」の変化した語。髪をそる小型の刃物。こ
うずり。かみそり。中古から中世にかけては「かうぞり」とも言ったが、近世には「かみそり」が一般化した。
かみそりは、現在ではひげを剃る理容器具の一種であるが、本来は僧侶が剃髪をするのに用いた物である。『和
名抄』には「加美曽利」という文字が僧坊具の一つに数えられている。つまり仏教の伝来とともに中国からも
たらされたもので、僧侶が厳しい戒律によって、剃髪具として用いたことに始まるといえる。(ジャパンナレ
ッジ版『日本大百科全書(ニッポニカ)』)
現在、「剃刀」に「かみそり」を当てるが、熟字訓という。
*熟字訓・・漢字二字、三字などの熟字を訓読すること。また、その訓。常用漢字表付表にない熟字訓に、土筆(つくし)、水母(くらげ)、私語(ささやき)、故郷(ふるさと)がある。
平成22年(2010)に改定された常用漢字表の付表には、これまでの110個から6個追加されて116個の熟字。
*<わたくしごと>「髪剃菜(こうぞりな)」・・コウゾリナ。キク科の多年草。顔剃菜(かおそりな)または剃刀菜(かみそりな)のなまったものといわれる。私が生活した日高の様似町のアポイ岳には、特別天然記念物の固有種エゾコウゾウリナがある。毎年、その花を見に、アポイに登った。
(54-9)「皆人(みなひと)」・・その場にいる人、全員。すべての人。
(54-11)「懇(ねんごろ)」・・「ねもころ」の変化した語。心をこめて、あるいは心底からするさま。熱心である
さま、親身であるさま。また、手あついさま。語源説のひとつに、「ネは根、ゴロは如の義。草木の根の行き
渡るがごとき心配りの意」がある。
(54-11)「つらつき」・・面付き。顔つき。おもだち。つらがまえ。
(55-4)「ヲンテイレハン」・・P54は、「ヲンテレイハン」。「イ」と「レ」が逆。
(55-5)「都よりのは仰には」・・「都よりのは」の「は」は誤記か。異本には、この「は」はなく、「都よりの仰
せには」としている。
(55-8)「そこ立(たち)は」・・「そこ達は」。「達」に「立」を当てている。あなた達は。
(56-4)「仙台の善六」・・「仙台(藩内、石巻)の善六」。寛政5年(1793)、11月27日、16人が乗組み石巻を出
帆した若宮丸の乗組員。寛政8年(1796)3月、乗組員中最初にイルクーツクで洗礼、洗礼名ピョートル・ステ
ファノビッチ・キセリョーフ。同年夏、イルクーツクで日本語学校教師補。文化12年(1815)、同校正教師に
なる。レザノフの日本渡航時、通訳としてカムチャッカのペトロハバロフスクまで同行。文化10年(1813)、
福山に囚われていたゴローニンらの受け取りにリコルドの通訳として箱館に来た。善六は、文化13年(1816)
イルクーツクで死亡している。したがって、重吉がカムチャッカに着いた時には、善六は、イルクーツクに存
命であった。
*善六とロシアの日本語学校・・ロシアにおける最初の日本語学校は、1737年、ペテルブルクの科学アカデミー附属して設置された。その後、1753年イルクーツク移転が決定され、1754年イルクーツク航海学校が開設されたとき、その中に日本語学校が付設された。1816年に閉鎖されるまで、約80年間続いた。その間の日本人漂流民が教師として係ったことを略記する。
・1736~1739(ペテルブルク)・・ゴンザとソーザ(薩摩漂流民)
・1746~1785?(ペテルブルク・イルクーツク)・・竹内徳兵衛配下7名。(南部佐井の漂流金)「さのすけ」の息子は、露日辞典『レキシコン』を作る。
・1791~1796(イルクーツク)・・光太夫配下の庄蔵、新蔵(伊勢漂流民)
・1796~1810(イルクーツク)・・新蔵、善六(仙台石巻の若宮丸漂流民)。新蔵、「和露辞典」著す。
・1810~1816(イルクーツク)・・善六(仙台石巻の若宮丸漂流民)、善六、レザノフの「露和辞典」に寄与。
◎漂流民の日本語学校の活動は、教師が学のない漂流民であり、ロシア東洋学史にさほど大きな足跡を残さなかった。他方、まさに学のなかったことが、貴重な日本方言資料を生み出し、日本語学校は、日本方言学にきわめて大きな寄与をなしている。(この項、村山七郎著「ロシアの日本語学校について」=早稲田大学図書館刊『早稲田大学図書館紀要』第5号 1963=参照)
*若宮丸・・石巻出帆後、塩屋崎沖で漂流し、寛政6年(1794)5月10日、アリューシャン列島に漂着。その後、
シベリヤを横断してイルクーツクに到着、更に首都ペテルブルグに行き、アレクサンドル1世に謁見、帰国の
意思を確認された漂流民にうち、津太夫ら4名が帰国を希望した。帰化した6人はロシアに残ることになった
が、帰化組のひとり善六は、通訳として世界一周の旅に同行することになった。5名を乗せたナジェジダ号と
ネヴァ号は、1803年7月23日サンクトペテルブルグのクロンシュタット港から出航した。世界一周艦隊は、
コペンハーゲン、ファルマス(イギリス)、カナリア諸島、サンタカタリーナ島(ブラジル)南太平洋のマル
ケサス諸島を経て太平洋を渡り、カムチャッカ半島のペトロハバロフスクを経て長崎に到着した。彼らは、期
せずして、最初に世界一周した日本人となった。
資料2.若宮丸漂流民の足跡(『世界一周した漂流民』所収)
(56-3)「ユクーツカ」・・イルクーツク。ロシア連邦中部の都市。イルクーツク州の州都。バイカル湖の南西約
70キロメートル、アンガラ川とイルクート川の合流点に位置する。シベリア東部の経済・交通の要地であり、
化学・機械などの工業が盛ん。人口、行政区58万(2008)。17世紀半ばにコサックが砦(とりで)を築いたこと
に起源し、毛皮の集散地として発展。帝政ロシア時代は政治犯の流刑地だったほか、第二次大戦後は日本人の
主な抑留地の一つだった。なお、イルクーツクの日本語学校のついては、別添の東出朋著「ロシアにおける日
本語教育のあけぼのーロシアの東方政策から考えるー(九州大学比較社会文化学府刊『比較社会文化研究』第
34号 2013)参照。
(56-4~5)「カピタン」・・ポルトガル語のcapitãoに由来し、もとは、船長または船隊司令官の意である。カピ
タン=モールは、ポルトガル人の海上での最高司令官であるとともに、アジア在任地での首席・長官をさした。
一五五〇年代に、ポルトガルは日本貿易にもこの制度を設けた。日本人はこれを略して甲比丹と呼んだが、の
ちに平戸のイギリス・オランダの商館長をもそう呼び、特に鎖国以後は、もっぱら長崎のオランダ商館長をさ
すことになった。本書では、イルクーツク長官の意味か。
(56-5)「日本詞」・・「日本通詞」。「通」欠か。異本の多くは「日本通詞」とする。
(56-7)「徃来には十八ヶ月」・・ちなみに、現在のシベリヤ鉄道のウラジオストック~モスクワ間は、9,259キロ
あり、6泊7日かかる。
(56-11)「不便(ふびん)」・・「不憫・不愍」とも書くが、あて字。かわいそうなこと。気の毒なこと。また、そのさま
(56-11)「内々(ないない)」・・ひそかに。内密に。
(56-11)「非是」・・「是非」の誤記か。ルビは「せ(ぜ)ひ」としている。