森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2014年10月

『ふなをさ日記』11月学習の注 

(68-1)「二ヶ月の間也。米、実のるを」・・語調がよくない。異本は、「也」を「に」とし、「二ヶ月の間、米、実のるを」としている。

(68-1)「実のる」・・ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』は、<「実乗る」の意>とし、語源説のひとつに、<ミナル(実成)の転か>を挙げている。なお、同訓異字として、下記を挙げている。

 みのる【実・稔・酉・年・熟】

【実】(ジツ)家の中に財宝が満ちる。転じて、しっかりと中身がみのる。実をむすぶ。内容がいっぱいにみちる。「実線」「果実」「結実」《古みのる・なる・みつ・ふさく》

【稔】(ネン)穀物がみのる。穀類が熟する。「稔歳」転じて、経験などが積み重なる。物事に習熟する。熟達する。「稔熟」「稔聞」《古みのる・にきはふ・ゆたかなり・うむ》

【酉】(ユウ)酒壺。さけ。また、成熟した穀類で酒を醸す。転じて、よくみのる。成熟する。

【年】(ネン)稲がみのる。作物がみのる。「年穀」「年災」「年歳」「豊年」「祈年祭」《古みのる》

   *大有年 <大(おおい)ニ、年(ネン)有り>(中国の歴史書『左伝』)大豊作であった

【熟】(ジュク)果実がよくうれる。穀物が十分にみのる。「熟柿」「熟田」「完熟」「黄熟」転じて、物事が十分な状態になる。物事によくなれて通じる。習熟する。「塾達」「熟練」「円熟」《古うむ・あまし・むまし・なる・ねる》

(68-3)「しゐな」・・粃。からばかりで実のない籾(もみ)。十分にみのっていない籾。語源説のひとつに「シニヒイネ(死日稲)の義〔日本語原学=林甕臣〕。」がある。

 *島崎藤村は、『破戒』の中で、「空籾」に「シヒナ」とルビしている。

 「其女房が箕(み)を振る度に、空殻(シヒナ)の塵が舞揚って」

(68-4)「各別(かくべつ)」・・とりわけ。特別。現代では「格別」と、「各」は、「格」を使う。なお、「各別」と言う場合、多くは、「それぞれ別であること。また、めいめいが別々に行なうこと。」の意味に使われる。

(68-5)<変体仮名>「つねニは」の「ね」・・元になった漢字は、「祢」。

 *<漢字の話>「祢」・・①「祢」は「禰」の俗字。ともに、平成16年9月に人名漢字に追加された。

②「禰」の偏は5画の「示」で、  「祢」は、4画の「ネ」。部首はいずれも「示」部。

  ③「祢」の草体からひらがなの「ね」が、偏からカタカナの「ネ」ができた。

(68-5)「団子(だんご)」・・穀物の粉を水でこねて小さく丸め、蒸し、またはゆでたもの。醤油の付焼にしたり、あん、きな粉などをつけたりして食べる。「団子」の語誌について、ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』には、

<(1)中国の北宋末の風俗を写した「東京夢華録」の、夜店や市街で売っている食べ物の記録に「団子」が見え、これが日本に伝えられた可能性がある。

(2)「伊京集」にはダンゴ・ダンスの両形が見られ、そのダンスは唐音の形と思われる。「日葡辞書」にはダンゴの形しかなく、近世ではもっぱらダンゴが優勢のようであるが、ダンス・ダンシの形も後々まで存在する。

(3)中世まではもっぱら貴族や僧侶の点心として食されたが、近世になると、都会を中心に庶民の軽食としてもてはやされるようになった。団子を売る店や行商人も多く、各地で名物団子が生まれている。

(4)農村では、古来団子は雑穀やくず米の食べ方のひとつであり、昭和の初期までは米飯の代わりに団子汁などが食べられていた。>とある。

また、語源説のひとつに、「米麦の粉をねり団(あつめ)たものであるところから。団は聚・集の義〔愚雑俎〕。」がある。

(68-6)「ヒンフハン」・・資料『ヲロシヤノ言』P5左下段10行目に「小麦だんご ヒンピヤン」とある。

(68-7)「又の年」・・次の年。翌年。

(68-8)<見せ消ち>「古郷に」・・影印には「へ」の左に、見せ消ち記号の「ニ」があり、右に「に」と訂正している。

(68-10)「何しに」・・何為。代名詞「なに」に動詞「する」の連用形「し」、格助詞「に」の付いてできたもの。

原因・動機を不明なものとして指示する。どうして(…なのか)。なぜ、なんのために(…するのか)。

(68-1011)「牛を喰はんや」・・喰うだろうか、いや、喰わない。「喰(く)ふ」の未然形「喰(く)は」+推量の助動詞「む(ん)」の連体形「む(ん)」+反語の係助詞「や」。

(68-11)「さでは」・・それでは。副詞「然(さ)」+接続詞「では」。前の事柄に基づいて、推量・意志・疑問などを導くのに用いる。それなら。そういうわけなら。その上は。

(69-2)<見せ消ち>「偽(いつわり)を」・・「偽」が見せ消ち。

(69-4)「カンハラ」・・資料『ヲロシヤノ言』P5左中段4行目に「かれい カンバラ」とある。

(69-4)「かう」・・甲(こう)。歴史的仮名遣いは、「かふ」だが、「こふ」「かう」も見える。

(69-7)「初メの程(ほど)」・・初めのころ。「程(ほど)」は、物事の種々の段階をある幅を持った範囲として示す語。時分。ころ。

(69-7)「不通(つうぜざる)」・・不通。サ変動詞「通(つう)ず」の未然形「通(つう)ぜ」+打消の助動詞「ず」の連体形「ざる」。

(69-9)<見せ消ち>「是々は」・・「是々」の「々」が見せ消ち。

(69-9)「すめぬかほ付(つき)」・・済めぬ顔付。納得しない顔付。「すめぬ」は、下2動詞「済(す)む」の未然形「済(す)め」+打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」。

(69-11)<漢字の話>「問聞(といきく)」・・「問」も「聞」も、「門」があっても部首が「門」部(門がまえ)でない漢字。

 ・「問(モン・とウ)」・・口部

 ・「聞(モン・ブン・きク)」・・耳部

 ・「悶(モン・もだえル)」・・心部

 ・「誾(ギン)」・・言部。

(70-3)「その名を言(いう)を、其書付おきたる下へ書て」・・重吉は、帰国後、

 オホーツクでロシヤ人から聞き、書き留めたロシヤ語の言葉を、「ヲロシヤノ言」という5枚刷りを刊行した。この「ヲロシヤノ言」について、平岡雅英撰『日露交渉史話』(筑摩書房刊 1944)に、「本邦における和露対訳集の上梓は、恐らくこれが嚆矢であろう」とし、「出版の年月は明らかでないけれども、重吉等は異国の鬼となった同僚供養のため建碑を志し、ロシヤから持帰った衣服器物類を展覧して奉加銭を集めたから、『ヲロシヤノ言』もそのをり刷って販売し、資金の一端としたに相違ない。それならば帰国後間もないころである」と記している。

 *別冊資料「ヲロシヤノ言」(玉井幸助校訂解説『大東亜海漂流譚 船長日記』育英書院刊=1931=所収)参照

(70-4)「覚へ」・・「覚へ」は、文法的には、本来は、「覚え」。下2動詞「覚ゆ」の連用形は、「覚え」。

(70-7)「初(はじめ)の程(ほど)」・・初めのころ。「程(ほど)」は、おおよその程度を表わす語。物事の種々の段階を、ある幅を持った範囲として示す語。本文では、時間的な程度を表わす。時分。ころ。

(70-910)「サテシ」・・資料『ヲロシヤノ言』P4右下段9行目に「腰懸る事 ザデヱシ」とある。

(70-10)「せうぎ」・・床几(しょうぎ)。腰掛。

(70-11)「いわず」・・文法的には、本来は、「いはず」。ハ行5段動詞「いふ」の未然形は、「いは」。ところが、現代語の「言う」は、ワ行で、未然形は、「言(い)あ」でなく、「言(い)わ」だから、文法的にも、揺れていたか。

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11月『蝦夷地見込書秘書』注  

(35-2)「平遠(へいえん)」・・平坦で遠くひらけていること。はるかに広がっていること。また、そのさま。

(35-3)「寄洲(よりす)」・・水流や風波のために、河口・海岸などに土砂が吹き寄せられて自然に生じた州

 *<漢字の話>「洲」と「州」・・元来は、「洲」は「州」の俗字。のち州県の字と区別して、川の洲や大陸の名に用いる。「中洲」「五大洲」など。なお、現代表記では、「州」に書きかえる。

(35-3割注右)「黒竜江(こくりゅうこう)」・・中国東北部とロシア国シベリア州との国境線を流れる大河。アムール河とも呼ばれる。全長4,350キロで世界8位。ケンテイ山に源を発して、外蒙古のオノン・ケルレン両河となり、漠河の西方で合流してからその下流を黒竜江といい、支流の松花江・ウスリ江などを入れて間宮海峡に注ぐ。結氷期の十月下旬から四月中旬までを除き、可航水路は本支流を合して5,700キロにも及び、重要な交通路となっている。漢語では早く黒水の名で呼ばれているが、それは満洲語の「サハリャン=ウラSahalien-ula」の意訳という。元・明以後に黒竜江の呼称となる。なお、オホーツク海の流氷は、アムール川からの流水により塩分濃度が薄くなったことによって凝固点が高くなった海水が氷結して形成される。

 *<漢字の話>「竜」と「龍」

①ジャパンナレッジ版『字通』は、<「竜」は「龍」の初文。「龍」はその繁文。>とある。とすると、「竜」が古いか。

  ②日本における「竜」「龍」の漢字表の変遷

   ・昭和265月・・「龍」が人名漢字に選ばれた。

   ・昭和293月・・「竜」が、当用漢字補正案に選ばれた。その際、人名漢字の「龍」は「滝」に合せて

「竜」に字体整理された。

   ・昭和5610月・・常用漢字制定時にも「竜」の字体が選ばれた。その際、康煕字典体の活字として括弧内に「龍」が掲げられ、現在に至っている。

   ・昭和5610月・・「龍」が人名漢字許容字体となった。

   ・平成169月・・「龍」が人名漢字に追加された。

  ③「竜」の部首は、ほとんどの漢和辞典は、16画の「龍」部に入っている。

(35-3割注右)「万古(ばんこ)」・・大昔から今に至るまで。久しい間。永久。永遠。

*<漢字の話>「万」・・

①「マン」は呉音。「万葉(まんよう)」「万引(まんび)き」など。

②「バン」は、漢音。「万全(ばんぜん)」「万事(ばんじ)」「万端(ばんたん)」など。

③「バン・マン」の両方の読みがある熟語には、「万人(まんにん・ばんにん)」「万歳(まんざい・ばんざい)」など。

(35-3割注右)「流注(りゅうちゅう・るちゅう・るじゅう)」・・流れそそぐこと。流れ込むこと。また、流し込むこと。

(35-3割注左)「砂土(しゃど・さど・すなつち・いさごづち)」・・砂の多い土地。なお、日本農学会法により粘土分の重量組成割合が12.5%以下の土を砂土とよんだ。

(35-3割注左)「嶼磧(しょせき)」・・「嶼」は、小山。「磧」はかわら。

(35-4割注右)「彫刻(ちょうこく)」・・ここでは、版木を彫ること。

(35-4割注右)「黒龍口と流注海口」・・『蝦夷地御開拓諸御書付書類』は、「黒龍江流注の海口」とある。

(35-4割注右)「海口(かいこう)」・・港のこと。

(35-4割注左)「島嶼(とうしょ)」・・「島」は大きなしま、「嶼」は小さなしま。いくつかのしまじま。しま。

(35-4割注左)「接聯(せつれん)」・・つらなり続くこと。「聯」は、現代表記では「連」の置きかえる。

(35-5割注右)「喬岳(きょうがく)」・・高い山。そびえ立つ大きな山。

 *<漢字の話>「喬」・・象形文字。解字は、高い楼閣の上に旗が建てられた形をかたどり、「高い」の意味を表す。「驕」「僑」「嬌」など、「喬」を音符に含む文字は、「高い」の意味を持つ。「橋」は、谷川に高く懸けられたはしの意味を表す。

(35-5割注右)「平莎(へいさ・へいしゃ)」・・平沙。平坦で広大な砂原。

 <漢字の話>「莎」・・影印の「莎」は、はまずげ。

(35-5)「険易(けんい)」・・むずかしいことと、やさしいこと。難易。本文では、(海岸の)険しさとなだらかさ。

(35-7) 「分界(ぶんかい)」・・境目をつけてわけること。また、その境目。

(35-8)「合考(ごうこう・あわせかんがえ)」・・他の事柄と合わせ考えること。

(35-10)「冱寒(ごかん)」・・寒さにとじこめられること。

 *『沙氏伝』より

其蔵冰也    其の冰(ひょう)を蔵するや

深山窮谷    深山窮谷(きゅうこく)の

固陰冱寒    固陰(こいん)冱寒(ごかん)す

于是乎取之   是(ここ)に於(おい)てか之(こ)れを取る

  <意訳>氷をしまいこむところは、深い山中の谷の奥、日もささず水気も無いひえびえと冷たいところ。その場所から、夏のはじめに取りだすのでございます。

 *<漢字の話>「冱」

  ①ジャパンナレッジ版『字通』には、

   <〔荘子、斉物論〕に、至人の徳を称して「河漢冱(こお)るも寒(こご)えしむること能はず」という。わが国では寒さのさえることをいい、「冴」の字を用いるが、字形を誤ったものであろう。互に連互する意があり、広く結氷してゆく状態をいう。>とある。

  ②「」の部首は「冫」(二水。にすい)。「氵」を三水(サンズイ)というのに対して、いう。

  ③「冫」(にすい)部には、「冷」「冴」「凍」など、「こおる」「さむい」の意を含む文字でできている。

  ④常用漢字の「冬」は、現在の漢和辞典では、「夂」(すいにょう・ふゆがしら・なつのあし)部としている

が、旧字体のは、「冫」(にすい)部。冬はさむいので、「冫」(にすい)部の方が、意味があっていい。

  ⑤同様に、常用漢字の「寒」は、現在の漢和辞典では「宀」(うかんむり)に属している。旧字体は、で、「冫」(にすい)部。どうして、「冫」のままにしなかったのか。「宀」では、意味不明。

(35-1011)「窮陰(きゅういん)」・・きわめて暗いこと。

(36-1)「如何御手広」・・『蝦夷地御開拓諸御書付書類』は、「如何」のあとに、「様」があり、「如何様」とある。

(36-2)「後来(こうらい)」・・こののち。ゆくすえ。将来。

(36-2)「禍患(かかん)」・・わざわい。不幸。苦難。

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