森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2015年01月

『ふなをさ日記』2月学習の注

(83-1)「扨は」・・事情や状況、また、相手の発言や行動などで、思いあたることのある時に発する語。そう言うところをみると。そんなことをするところから思えば。それでは。

 *<漢字の話>「扨」・・国字。『新漢語林』は、解字を、「刄(叉)」+「扌(手)」とし、「叉」は、サ、「手」はテ、合せてサテの音を表すとしている。なお、「扠」は、「さて」と訓じることもあるが、元来は漢字。

(83-1)「いへたるか」・・ヤ行下2動詞「癒(い)ゆ」の連用形は、「癒(い)え」。「いへ」とすれば、終止形は、「癒(い)ふ」だが、どういう表現はない。ここは、「いえたるか」が正しい。

(83-2)「ゆへ」・・故。文語体では、「ゆゑ」で、「ゆへ」とはいわない。しかし、ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の「故」の語源説に、「ユはヨリ(因)の約。ヱはヘ(方)の転」とあるから、「ゆへ」とする用法もあったか。

(83-2)「からき」・・辛き。形容詞「辛(から)し」の連体形。「辛(から)し」は、残酷だ。むごい。ひどい。

(83-2)「せひばひ・・成敗。歴史的仮名遣いでも、「せひばひ」とは書かない。ここは、「せいばい」。

(83-2)「せひばひをし給ひては」・・罪人として仕置きをなされては。

(83-3)「なかなかに」・・かえって。むしろ。

(83-3)「いとほしく」・・形容詞「いとほし」の連用形。「いとほし」は、かわいそうだ。気の毒だ。

(83-3)「なかなかにいとほしくて」・・かえってかわいそうで。

(83-3)「いかで」・・「いかにて」の撥音便化した「いかんて」が変化した語。あとに、意志、推量、願望などの表現を伴って用いる。何とかして。せめて。どうにかして。どうか。

(83-3)「たべ」・・ください。動詞「給(た)ぶ」の命令形。「給(た)ぶ」は、「与ふ」「授(さず)く」の尊敬語で、お与えになる。くださる。

(83-5)「こらして」・・懲らして。過ちを責めて戒めて。

(83-7)「ゆへ」・・ここも、「ゆえ」が正しい用法。

(83-8)「いかで入てたべ」・・なんとかして入れてください。

(83-8)<脱字について>異本は、「たべ」と「きのふ」の間に、「かしと、あながちにいひける事のわりなさに、心ぐるしくは思ひながら座敷へ入れければ」がある。

(83-8)「きのふのよろこびにとて」・・昨日のお礼に来たのだといって。

(83-9)「まして」・・動詞「ます(増)」の連用形に助詞「て」が付いてできたもの。先行する状態よりも程度のはなはだしいさまを表わす語。それ以上に。他のものよりもひどく。今までよりも強く。いっそう。

(83-9)「まして、きのどくに思ひ」・・いよいよ気の毒に思い。

(83-9)「さることにてはなし」・・そんなに心配には及ばない。

(83-11)「いなみ」・・動詞「否(いな)む」の連用形。「否(いな)む」は、承知しないということを表わす。断る。いやがる。辞退する。

(84-1)「悦びて帰りける」<係り結びの法則>・・通常の文は、終止形で結ぶ。ところが、

①「ぞ」「なむ」「や(やは)」「か(かは)」を用いると、その文末は連体形で結ぶ。

 ②「こそ」を用いると已然形で結ぶ。

 テキストの場合、過去の助動詞「けり」の連体形「ける」で結んでいる。

(84-2)「童(わらべ)」・・語成は、「わらわべ」の変化した「わらんべ」の撥音「ん」の無表記から。語源説のひとつに、「その泣き声から、ワアアヘ(部)の義」があるのが、おもしろい。

(84-2)「子共(こども)」・・「ども」は接尾語。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の語誌に

 <(1)元来は「子」の複数を表わす語であり、中古でも現代のような単数を意味する例は確認し得ない。ただ、複数を表わすところから若年層の人々全般を指す用法を生じ、それが単数を表わす意味変化の契機となった。

 (2)院政末期には「こども達」という語形が見出され、中世、近世には「こども衆」という語を生じるなど、「大人に対する小児」の用法がいちだんと一般化し、同時に単数を表わすと思われる例が増える。

 (3)漢字表記を当てる場合、基本的には上代から室町末期まで「子等」であるが、院政期頃より「子共」を用いることも多くなる。近世に入り、「子供」の表記を生じた。>とある。

(84-3)<変体仮名の話>「わらんべ」の「わ(王)」・・「王」は、現代仮名遣いでは「おう」だが、歴史的仮名遣いでは、「わう」。したがって、「王」を変体仮名の「わ」とするのは、歴史的仮名遣いによる。

(84-3)「何心(なにこころ)なく」・・形容詞「何心なし」の連用形。「何心なし」は、何の深い意図・配慮もない。なにげない。

(84-45)<文法の話>「子供が戯れ」の「が」・・「が」は連体格の格助詞で「~の」。「子供戯れ」

 *「君ため春の野に出でて若菜つむわ衣手に雪はふりつつ」(『古今和歌集』)

 *「おら春」(小林一茶の句集の題名)

(84-5)「ものともおもはで」・・異本は、「ものとも」を「物しとも」としている。「物し」は、「気にさわる。不快である。」だから、異本の方が妥当か。

(84-4)「又の日」・・①次の日。翌日。②別の日。後日。ここでは①か。

(84-8)「からきめをし給ふぞ」・・つらい目にあわせなさるのか。

(84-11)「わきて」・・副詞。動詞「わく(分)」の連用形に、助詞「て」の付いてできた語。特に。格別に。とりわけ。わけて。わいて。

(84-11)「戯言(ざれごと・ざれこと・あきれごと・じゃれごと・たわぶれごと・たわむれごと)」・・

 たわむれに言うことば。ふざけて言うことば。冗談。また、たわむれてすること。ふざけてすること。

(85-2)<漢字の話>「鹿」・・

①「鹿」は部首。解字は角のある雄しかの象形。

②「牛」「犬」「羊」「虫」「貝」など、動物が部首になっている。10画以上でも、「馬」「魚」「鳥」「龜(亀)」「鼠」など。架空の動物では「鬼」「龍(竜)」がある。

 ③殷の紂王(ちゅうおう)が、庭園に酒を満し、枝に肉を懸けて宴を開き、酒池肉林の淫靡な享楽に

  ふけったが、その場所が「鹿台」。黄河流域にはたくさんの鹿が生息していた。(阿辻哲次著『部首の話2』中公新書 2006

 ④「鹿」部で、常用漢字はふたつだけ。「麗」は、「何頭かのシカが連れ立って移動する様」から、美しいことの意味を表した。もうひとつは、平成22(1010)に追加された「麓」。

(85-2)「悦(よろこび)」・・お礼。

(85-3)「なべて」・・動詞「なぶ(並)」の連用形に、助詞「て」の付いてできたもの。事柄が同じ程度・状態であるさまを表わす。すべて。総じて。一般に。概して。

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2月学習『秘書注』  

(48-1)「勘定吟味役下役(かんじょうぎんみやくしたやく)」・・勘定吟味役配下の役職。高500石、役料300俵。勘定吟味役の配下には、勘定吟味方改役(7名、役高150俵で役扶持10人扶持)、その下に、勘定吟味方改役並(5名、役高百俵、持扶持勤めで役扶持七人扶持)、さらに勘定吟味方下役(10名、持高、勤めで役扶持3人扶持)をそれぞれ設けた。

 *勘定吟味役

・設置と改廃止・・天和2年(1682)創置。元禄12年(1699)ひとたび廃止された.正徳2年(1712)新井白石の建議に基づき再置。ついで享保年中(1171636)増員され、以後おおむね四~六名が常置されて慶応3年(1867)に至り廃止された。

・職務・・職務は勘定所での金穀の出納、封地の分与、幕領年貢の徴収と郡代・代官の勤怠、金銀の改鋳、争界の訴訟など一切の監査である。さらに勘定奉行とその属吏に不正があれば直ちに老中に開陳する権限があった。

(48-1)「出役(しゅつやく)」・・江戸幕府の職制。他の役職を兼役する場合の職名。出役には役料が与えられ、兼務する役職の常勤になる場合があり、出役から昇進する例もある。

(48-1)「長谷川就作」・・『蝦夷紀行』には、勘定吟味役村垣範正の配下の勘定吟味方改役下役として「長谷川周作」の名がある。

(48-1)「御普請役」・・江戸幕府の職名。享保9年(1724)に勘定奉行支配御普請役として新設。関東諸河川・用水の御普請を担当した。宝暦3年(1753)からは勘定奉行支配となった。勘定所詰御普請役は諸国臨時御用などを勤めた。

(48-2)「代(かわ)り」・・代り役。ある人の役目を、他の人がつとめること。また、その人。だいやく。

(48-2)「福岡金吾」・・『蝦夷日記』には、勘定吟味役村垣範正の配下の天文方に「福岡金吾」の名がある。

(48-2)「津田十一郎」・・『蝦夷日記』には、勘定吟味役村垣範正の配下の天文方に「福岡金吾」の名がある。津田も、この時期、御普請役代り役だったか。

(48-2)「御小人目付(おこびとめつけ)」・・江戸幕府の職名の一つ。目付の支配に属し、幕府諸役所に出向し、諸役人の公務執行状況を監察し、変事発生の場合は現場に出張し、拷問、刑の執行などに立ち会ったもの。また、隠し目付として諸藩の内情を探ることもあった。定員50人。小人横目。

(48-2)「藤田幸蔵」・・『蝦夷日記』には、目付堀織部の配下に「藤田幸蔵」の名がある。

(48-5)「シヨウニ岬」・・シラヌシの北、カラフト南西部の野登呂半島にある地名。日本名「宋仁」を当てる。

(48-9)「イサラ」・・カラフト西海岸中部の地名。コタンウトロの北。日本名「伊皿」。「北蝦夷地西浦クシユンナイよりナツコまで足軽廻浦為致候行程荒増申上候書付」(東京大学史料編纂所刊『大日本古文書 幕末外国関係文書の十四』・以下『足軽書付』)には、「ウチヤラナイ」とあり、「此所川有、巾三間、石地、山は雑立木、小岬有、波立之節は通行成かたし」とある。

(48-10)「チトカンベ」・・カラフト西海岸中部の地名。『足軽書付』には、「チトカンヘシ」とあり、「此所出崎、嶮崖通行難相成、山道有、又滝抔有之、絶景奇岩有り」とある。

(49-5)<見せ消ち>・・「より」の左に、見せ消ちの記号「ヒ」が二つあり、右に「江」と訂正してある。ここは、「より」は誤りで読まない。「ライチシカ辺より」でなく、「ライチシカ江」と読む。

(49-6)「湖辺より北之方コタンウトロ」・・「湖」は、「ライチシカ湖」。「北之方」とあるが、『足軽書付』

を計算すると「コタンウトロ」より、6里半ほど北にある。

(49-9)「当時」・・現今。ただいま。当節。

(49-10)「故土(こど)」・・生まれ育った土地。故郷。郷土。

(50-5)「聳へ」・・文語体では、ヤ行下二段動詞「聳ゆ」の連用形は、「聳え」。「聳へ」なら、終止形は、

ハ行の「聳ふ」だが、そういう言葉はない。文語調では、ここは、「へ」は「え」で、「聳え」が本

来。

(50-6)「天度(てんど)」・・緯度。



(50-7)「ホコラ」・・『足軽書付』の「ホコラニ」の項に、「此処スメレンクル家三軒有、川有巾凡弐間、砂浜石地も少々有之、高山青木立」とある。なお、テキストP51には、「ホコラニ」とある。また、『足軽書付』の順路は、キトウシとホコラニが逆になっており、ホコラニの方が、南、つまり、ホロコタンよりである。

(51-2)「キトウシ」・・『足軽書付』の「キトウシ」の項に、「此処川有、巾三間、鱒漁多シ、スメルンクル家弐軒有、砂浜連山青木立、別而高キ大山有、ライチシカよりナツコ迄最一ノ高山ニ而、頂草生、其形リイシリ山之如シ」とある。

(51-4)「薙髪(ていはつ・ちはつ)」・・髪を剃る。剃髪。

(51-5)「乾隆の小銭」・・「乾隆」は、中国清朝6代皇帝乾隆帝在位(1711~1799)の時代。「小銭」とは、「制銭―つまり清朝が正規に発行した銅銭―以外の品質の悪い銅銭」(黨武彦著「乾隆末年における小銭問題について」=『九州大学東洋詩論集312003=)

(51-8)「するどき」・・形容詞「鋭(するど)し」の連体形。「鋭し」は、勇ましくてつよい。精鋭である。

(51-8)「剣下」・・『蝦夷地廻浦録』は、「釼」を「腰」とし、「腰下」としている。なお、影印の「釼」っは、「剣」の俗字で、日本では多く姓氏に「つるぎ」として用いられる。

(51-9)「大指(おおゆび・おおよび・おおおよび)」・・手足の指のうちで、もっとも太い指。おやゆび。

(51-9~10)「闘諍(とうそう)」・・いさかい。

(51-1011)「矢狭間(やざま)」・・城壁や櫓(やぐら)などの内側から外をうかがい矢を射るためにあけた小窓。矢間。

(51-11)「閉籠(へいろう・へいろ)」・・家などにとじこもって外に出ないこと。

 

古文書解読学習会のご案内

札幌歴史懇話会主催

私たち、札幌歴史懇話会では、古文書の解読・学習と、関連する歴史的背景も学んでいます。約100名の参加者が楽しく学習しています。毎月第2月曜日13時~16時・エルプラザ4階男女共同参画センター大研修室で例会を行っています。古文書を学びたい方、歴史を学びたい方、気軽においでください。くずし字、変体仮名など、古文書の基礎をはじめ、北海道の歴史・民俗、学習しています。初心者には、親切に対応します。

参加費月350円です。まずは、見学においでください。初回参加者・見学者は資料代600円をお願します。おいでくださる方は、資料を準備する都合がありますので、事前に事務局(森)へ連絡ください。

◎日時:2015年2月9日(月)13時~16時

◎会場:エルプラザ4階男女共同参画センター大研修室(札幌駅北口 中央区北8西3

◎現在の学習内容

①『ふなをさ(船長)日記』・・文化10(1813)末から1年半近く太平洋を漂流し、英国船に救助されてカムチャッカに送られ同13(1816)に送還された尾張の督乗丸の船長重吉の漂流談です。

『蝦夷地見込書秘書』・・安政元年(1864)、カラフトにおける国境見込地の調査と蝦夷地状況の視察に派遣された目付堀織部と勘定吟味役村垣与三郎(後、両名とも箱館奉行となる)の諸復命書。幕吏上川伝一郎、間宮鉄次郎、松岡徳次郎、松前藩士今井八九郎の報告も含む。
問い合わせは、森勇二まで moriyuzi@fd6.so-net.ne.jp

1月学習『秘書』注(2)

(45-3)「帰(き)し」・・「帰(き)す」の連用形。「帰(き)す」は、罪などをある物や人のせいにする。負わす。かこつける。なすりつける。

(45-3)「候共(ろうろうとも)」・・発音は「ソーロートモ」。意味は、「~でありましても」。

 *「候」について:笹目蔵之助著『古文書解読入門』(新人物往来社刊 1979)参照

 ◎「候(現代仮名遣いは「そうろう」。発音は、「ソーロー」。「~ます」「~です」「~であります」に当る。

  ・「候ハヽ」(そうらはば。ソーラワバ。~でありますならばの意)

  ・「候共」(そうろうとも。ソーロートモ。~でありましてもの意)

  ・「候ヘハ」(そうらえば。ソーラエバ。~でありますからの意)

  ・「候ヘ共」(そうらえども。ソーラエドモ。~でありますがの意)

(45-3)<欠字の体裁>「帰し候共 御国」・・「共」と「御国」の間のスペース(空白)は、尊敬の体裁の欠字。

(45-3)「所置(しょち)」・・処置。

(45-4)「混同河」及び(45-7)「混同江」・・混同江。松花江(しょうかこう)の古名。松花江は、中国東北部地区の大河。朝鮮国境の長白山頂天池に発源する二道白河が、二道江・第二松花江と名をかえ、松花湖を経て松花江となる。支流の輝発河・伊通河を加え、西北より来る嫩江を併せて東北に向かい、呼蘭河・牡丹江などをいれ、同江に至って黒竜江に合する。全長約一九三七キロ。古くは粟末水・混同江・黒水・松阿(宋瓦)里などとも称した。沿岸には吉林・哈爾浜(ハルビン)・依蘭など多くの都市を有し、十一月より四月までの結氷期を除いては小汽船を通じ、経済・交通・運輸の大動脈をなす。

 *「川・河・江」・・

  ①小さいのを「川」、大きいのを「河」と使い分ける習慣がある。今は混同して用いる。また、現在日本では、河川の名称は、「川」と書くようになってきている。

  ②中国の河川については、中国の呼称をそのまま用いるのが普通である。なお、長江を「江」、黄河を単に「河」と呼んでいた。中国の河川名は、長江より北はほとんどが「河」、長江より南は「江」と呼ばれている。

 *<漢字の話>「河」の解字・・音符の「可」は、かぎの形に曲がるの意味。曲がってながれる黄河の意味から、一般に河の意味を表す。

  **「河清(かせい)を俟(ま)つ」・・常に濁っている黄河の水の澄むのを百年もかかって待つの意。いつまで待っていても実現のあてのないことをいう。

    河之清、  <河の清(す)むを俟(ま)つも>

人壽幾何。   <人寿(じんじゅ)壽何(いくばく)ぞ> 『春秋左氏伝』

(45-4)「営柵(えいさく)」・・とりで。

(45-5)「蚕食(さんしょく)」・・蚕が桑の葉を食べるように、他国または他人の領域や物などを片端からだんだんと侵してゆくこと。影印の「蚕」は、旧字体の「蠶」。

(45-5)「思念(しねん)」・・心に思うこと。考えること。また、常に心にかけていること。

(45-6)「アンモル川」・・アムール川。アムールはAmur 「黒い川」の意。ロシアと中国の国境付近を流れる大河。モンゴル北部のオノン川とシルカ川を源流とし、東流してタタール海峡に注ぐ。全長4350キロメートル。黒龍江。黒河。

(45-8)「屯(たむろ)いたし」・・「屯(たむろ)」は、兵士、また、一定の職にある者たち、ある仲間などが群れ集まること。「たむろ」の語源説に、「タムレ(手群)の転。一手の兵が群れ居る意」がある。

(45-8)「打沈(うちしずみ)」・・影印の「沉」は、「沈」の俗字。

(45-9)「伊豆守」・・松前藩12代藩主松前崇広(たかひろ)。伊豆守叙任は、嘉永2年(1849)7月28日。

(45-10)「今井八九郎」・・今井八九郎は寛政2年(1790)、松前藩下級藩士の子として松前に生れた。通称を八九郎、正式には信名(のぶかた)という。蝦夷地は19世紀初頭の文化年間に江戸幕府の直轄地となり、それまで統治を任されていた松前藩は東北に移封された。このとき今井家は藩から財政難により放禄されたものの、松前奉行の同心として幕府に仕えることとなった。同じ奉行所には間宮林蔵が出仕しており、今井八九郎は林蔵から伊能流の測量技術を学んだ。
文政4年(1821)、再び蝦夷地を領地とされた松前藩は、八九郎を召命して蝦夷地全域の測量を行なわせた。奥尻・利尻・礼文・北蝦夷地(樺太)・国後・色丹・択捉・歯舞などの島嶼部をも含む測量活動はあしかけ10年に及んだ困難な作業であった。天保12年(1841)からは製図作業にかかり、蝦夷島やその周辺島嶼部の地図が完成した。八九郎の清書図は松前藩に提出されたが、明治維新の箱館戦争で失われた。
 東京国立博物館所蔵の「今井八九郎北方測量関係資料」の絵図・地図類は、清書図の控えとして今井家が所蔵していた資料を、大正3年(1914)に東京国立博物館が今井家から購入したものである。これらの絵図・地図には伊能忠敬や間宮林蔵が測量していなかった島嶼部について精度の高いものがあり、豊富なアイヌ語地名の記載もみられる。松前藩への献呈本が失われた現在では、江戸後期の蝦夷地をうかがい知ることのできる貴重な歴史資料・民俗資料といえよう。南下したロシアの動静を伝える「北蝦夷地ホロコタンより奥地見聞風説書」をはじめとする文書・記録類とともに重要文化財の指定を受けた。

(45-11割注左)「通辞(つうじ)」・・通訳。

 *「通詞」「通事」・・江戸時代の長崎では、中国語の通訳官を唐通事、オランダ語の通訳官を蘭通詞と区別する習慣があった。ともに当初は小人数であったが、しだいに人数も増大し、組織も複雑化していった。貿易・外交にまつわる通訳にとどまらず、来航する唐人・蘭人から聴取した海外諸事情を「風説書」として当局に報告する役割もあり、蘭通詞の中には、西洋の知識技術を身に付ける者も現われた。

(45-11割注左)「清水平三郎」彼は、栖原家の支配人と蝦夷通詞も兼ねており、また、松前藩の士席先手組にも取たてられていた。ロシアのクシュンコタン占拠の際、清水は、松前藩の通訳をつとめ、また、単独でもしばしばムラビヨフ哨所を訪れ、ロシア将校と対談している。彼は、のち、安政2(1856)2月、箱館奉行支配同心に抱え入れられ、同年5月には調役下役に任じられて、北蝦夷地詰となり、山丹交易の任に当った。彼は明治維新では、榎本軍に従事し、箱館戦争では、榎本軍の「陸軍奉行添役介・裁判役並」だった。

(45-11割注左)「異同(いどう)」・・異なっていること。違っている点。相違。

(45-11割注左)「粗(あらあら・ほぼ)」・・おおよそ。

(46-2)「一价(いっかい)」・・一介。多く「の」を伴って連体修飾語として用いられる。わずかなこと。少しばかりのこと。また、一人(ひとり)。価値のない、つまらないひとり

(46-2)<漢字の話>「書翰(しょかん)」の「翰」・・部首は「羽」。解字は、「羽」+「倝」。「倝」は、旗ざおの意味。旗ざおのように長い羽のやまどりの意味を表し、羽で作ったふで、転じてふみ(文)の意味をも表す。現代表記では、「簡」に書きかえることがある。

(46-2)「而己(のみ)」・・漢文の助辞。文末に置かれて限定・強意の語気を表す。~だけである。~にすぎない。

(46-3)「姦謀(かんぼう)」・・邪悪なはかりごと。

(46-5)「清主(しんしゅ)」・・この時期の清朝皇帝は、9代咸豊帝(かんぽうてい) 愛新覚羅奕詝。

(46-5)駛(はせ)」・・「駛る」は、はせるの意。音読みは「シ」。ジャパンナレッジ版『字通』には、<駛は六朝以後にみえる字で、梁の簡文帝の詩に「馬を駛(は)す」「春、駛せんと欲す」などの語がある。馬以外にも疾走する意に用いる。>とある。熟語は、「駛雨(しう)」(にわか雨)など。

(46-5)「聢(しか)と」・・はっきりと。ちゃんと。たしかに。

 *<漢字の話>「聢」・・国字。解字は、耳+定で、耳に定着するように「しかと」の意味を表す。

(46-6)「辞柄(じへい)」・・話の材料。物いい。いいぐさ。口実。

(46-6)「見据(みすえ)」・・見てはっきりと判断する。見定める。見込む。

(46-7)「何(いず)れの道」・・いずれにしても。どの道。どうせ。

(46-7)<見せ消ち>「地内所」・・「内」の左に「ヒ」のような記号があるが、見せ消ち記号。「内」は、削除したという意味で、「内」は読まない。従ってここは、「地所」となる。

(46-8)「御手を下(くだ)され」・・「手を下す」は、事に対して自分ではっきりした判断をつける。また、それによって事を行なう。

(46-8)「枢要(すうよう)」・・「枢」は戸のくるる、「要」は扇のかなめの意。

物事のもっとも大切なところ。もっとも大切であること。また、そのさま。中枢。要点。かなめ。

*「枢(くるる・とぼそ=戸臍=・とまら=戸魔羅=)」・・戸の梁(はり)と敷居とにあけた小さな穴。これに、枢(とまら)をさし入れて戸を開閉させる軸とする。

(46-9割注左)「マーイヲ」・・「マーヌイ」の誤りか。

(46-9割注左)「陰鬱」・・陰気でうっとうしいさま。

 <漢字の話>「鬱」・・2010年改定の常用漢字に追加された。常用漢字で最大の画数・29画。

           「林缶」  リンカーン

           「冖」   ワ(は)

           「※」    アメリカン

           「凵ヒ」   コーヒーを

           「彡」    三杯飲んだ。

(46-9割注左)「切透し」・・切って間が透くようにする。

(46-9割注左)「品ニ寄(より)」事情によって。場合によって。

(46-10割注右)「岨沢泥濘(そたくでいねい)」・・けわしい沢で、泥が深いこと。

(46-11割注右)「捷径(しょうけい)」・・「捷」はすみやか、「径」は小道の意。早道。近道。

(47-1)「別紙建言(けんごん・けんげん)」・・『新撰北海道第五巻史料一』所収の『開拓諸書付』には、

 「別紙建言」の傍注に、(附属書類三)とある。その(附属書類三)を資料として添付する。

(47-1~2)「取捨(しゅしゃ)」・・取ることと捨てること。よいものを取って用いることと悪いものを捨てて用いないこと。

(47-4)「月日」・・テキストは、単に「月日」とあるが、『開拓諸書付』には、「寅月日」とあり、「寅」が記されている。「寅」は、安政元年(1854)。なお、『開拓諸書付』のこの文書の冒頭に、朱書で「箱館表より差上候ニ付最初進達之月日不相分」とある。

なお、『開拓諸書付』のこの文書の冒頭に、朱書で「箱館表より差上候ニ付最初進達之月日不相分」とある。また、『大日本古文書』では、「北蝦夷地国境之件」(堀と村垣の老中への上申書)として、朱書で「寅十月廿八日、封之儘伊勢守江河内守進達」とある。


1月学習『秘書注』(1)                              

(43-1)「纔(わずか・わづか)」・・色のまじったきぬ。転じて、どうにかこうにか足りるくらい。かろうじて。やっと。特に、量がわずか。どうにか。

 <漢字の話>

 ①「纔」・・「糸」部の17画(総画23画)。解字は、「音符の毚(サン)は、まじるの意味。赤みと黒みのまじった絹の意味を表す。借りて、わずかに・かろうしての意味にも用いる」(『漢語林』)とするが、わかりにくい。

②ジャパンナレッジ版『字通』には、『設文解字』を引用し、<「纔は淺きなり。讀みて讒(ざん)の若(ごと)くす」という。色の浅いことから、「わずか」の意があるとするものであろう。>とするが、これまたよくわからない。

 ③同訓異字・・ジャパンナレッジ版『字通』には、「わずか」と読む同訓異字として、「纔」の他に、

  【僅】(キン)ほんのすこし。すこしばかり。特に、数が少なくわずか。「僅差」「僅僅」「僅少」。

【才】(サイ)「纔」に同じ。

【些】(サ)ふぞろいに並べる。転じて、いささか。いくらか。すこし。「些細」「些事」「些少」「些末」

【涓】(ケン)しずく。小さい流れ。転じて、量がきわめてわずか。ほんの少し。「涓涓」「涓埃」《古みづたまり・あひだ・あはひ。

【財】(ザイ)価値あるもの。たから。転じて、「纔」に同じ。「財足」。

【毫】(ゴウ)細い毛。転じて、ごくわずか。ほんのすこし。ちょっぴり。「毫末」「毫毛」「一毫」「白毫(びゃくごう)」。

【錙】(シ)古代中国で重さの単位。転じて、目方がわずか。価値があまりない。また、物事がこまかくかすか。微細だ。「錙銖(シシュ)」。

  を挙げている。ほかにも、

【寸】(スン)指一本の幅。転じてわすか。すこし。「寸影」「寸暇」「寸分」

【秒】(ビョウ)穂先の部分をいう。きわめて細いものであるから、かすか、わずかの意に用いる。

【毛】(モウ)体毛をいう。また地表に生ずる草をもいう。わずか、すこし、かるい、こまかい。

【片】(ヘン)片方の意よりして、ものの一偏をいい、僅少・一部分の意となる。「片刻」「片土」

【尺】(シャク・セキ)手の指の拇指(おやゆび)と中指とを展(ひら)いた形。「尺寸(せきすん)」

【劣】(レツ)力は耒(すき)の象形であるから、耕作力において劣る意である。農事に限らず、すべて才分の少ないこと。おとる・わずか・すくない。

【裁】(さい)裁・才・財・纔は、みな「わずかによくする」意があり、また、ようやくなる・はじめての意がある。

【暫】(ざん)しばらく。わずか。にわか。「暫時」「暫定」。

【勺】(しゃく)量目の単位、一合の十分の一、地積では一坪の百分の一。わずか。「勺飲」

 <仮名遣いの話>

 「纔」→「わずか」か「わづか」か。

 ①ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の「僅か」の項には、「わずか(わづか)」と、(わづか)を括弧書きしている。「わづか」は歴史的仮名遣い。

 ②昭和61年内閣告示「現代仮名遣い」の本文第二の5項の「なお書き」には、

<「なお次のような語については,現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として,それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし,「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。>として、「ず」「じ」を本則として、「づ」「ぢ」も許容する語として、次の23語があるが、「わづか」はない。

例 せかいじゅう(世界中)、いなずま(稲妻)、かたず(固唾)、きずな(絆)、さかずき(杯)、ときわず、ほおずき、みみずく、うなずく、おとずれる(訪)、かしずく、つまずく、ぬかずく、ひざまずく、あせみずく、くんずほぐれつ、さしずめ、でずっぱり、なかんずく、うでずく、くろずくめ、ひとりずつ、ゆうずう(融通)

 ③したがって、「現代仮名遣い」では、「纔」は、「わずか」となる。しかし、ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』には、「纔か」の語源説に、

(1)ハツカ(端束)の義か。(2)ハツカ(初)の義。カはカタ(方)の義。初めは何事も幽かであるところから。(3)ハツカ(端所)の義。>を挙げており、いずれにせよ、「纔か」は、「ハツカ」が語源としている。

 ④島崎藤村「千曲川旅情の歌」は、「わづか」「はづか」「はつか」の3通りある、

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なす蘩蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に満つる香(かおり)も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづか(はづか・はつか)に青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ



*「わづか」・・岩波文庫「藤村詩抄」(岩波文庫 1927

 「はつか」・・筑摩書房刊「藤村全集 第一巻」(筑摩書房 1966)、「日本近代文学大系15」(角川書店 1971) 

   「はづか」・・「落梅集」(春陽堂 1901

(43-3)澗繋(まがかり・まつなぎ)」・・船を船澗(ふなま)に碇泊させること。ふながかり。まつなぎ。

(43-4)大材」・・『開拓諸書付』は、「木材」としている。

(43-4)「伐出(きりだ)し」・・材木や石材などを切り取って運び出す。切りいだす。

(43-4)「津出(つだ)し」・・港から荷船を送り出すこと。

 *「隠津出(かくしつだし)」・・江戸時代、領外への積出禁制品を領外へ密輸出すること。


 

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『ふなをさ日記』1月学習の注 

 

(78-2)<変体仮名の話>「にぎはし」の「に(丹)」・・「丹」を「に」と読むのは国訓。国訓が変体仮名になっている例。音読みは「タン」。解字は、丹砂(たんさ)を採掘する井戸の象形。赤を表す。「ヽ」は、丹砂を表す。国訓の「に」は、赤い色。語源説については、ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』には、

 <(1)熱い物は赤いところから、ネチ(熱)の反。

(2)アカニ(赤土)から。

(3)朝日がニイと出た時の色は赤いところから。>を挙げている。

 日本では、漢字が渡来する以前から、赤を「に」と言っていた。漢字の「丹(タン)」が赤を意味することから、「丹」を「に」と訓じた。

 *「青丹(あおに)よし」・・「奈良」に掛る枕言葉。当時、奈良の都の建物の青(あお)や丹(あか)の美しさが連想されていた。

(78-2)「見物(みもの)」・・見物すること。かたわらから見ること。

(78-4)「かなたこなた」・・彼方此方。あちらこちら。

(78-10)「をさをさ」・・あとに打消または否定的な意味の表現を伴って用いる。ほとんど。ろくに。また、少しも。

(79-1)「密夫(みっぷ・まおとこ・まおっと・みそかお・みそかおとこ)」・・夫を持つ女が、他の男とひそかに肉体関係を結ぶこと。また、その密通した相手の男。密通。密男(みそかお)

(79-1)「さのみ」・・副詞「さ(然)」に助詞「のみ」が付いてできたもの。否定的表現を伴って、程度が大したことはない気持を表わす。それほど(…ない)。さして(…でない)。格別(…でない)。

(79-1)「うし」・・憂し。嘆かわしい。やりきれない。

(79-1)「思わず」・・古文的には、「思ふ」の未然形は、「思わ」でなく、「思は」で、ここは、「思わず」ではなく、「思はず」が正しい。

(79-3)「あればは」・・「は」が重複で、「は」は不用か。「は」は、衍字(えんじ)。

 *「衍字(えんじ)」・・「衍」は「あまる」の意。誤って語句の中に入った不要な文字。⇔脱字。

(79-6)「思わねば」・・ここも、古文的には、「思ふ」の未然形は、「思わ」でなく、「思は」。「ねば」は、打消しの助動詞「ず」の已然形「ね」+接続助詞「ば」。打消しの助動詞「ず」は、未然形に接続する。「思ふ」の未然形は、「思は」だから、古文法では、「思わ」は誤り。

(79-11)「ヲロシヤ国王」・・当時のロシヤ帝国皇帝はアレクサンドル2世。1881313日、サンクトペテルブルク市内で、ナロードニキ派に暗殺された。

(79-1180-1)ヲロシヤ国王をはじめいか成貴人ニても冨家ニても妾と言ものはなし」・・アレクサンドル2世は、皇后マリアとの間に8人の子供がいるが、一方、他の貴族女性とも関係を繰り返し、3人の子供がいる。また、48歳のアレクサンドル2世は、20歳年下の女学生カーシャと恋愛関係になり、4人の子供がいる。

(80-1)「富家(ふうか・ふか・ふけ)」・・富裕な家。財産家。かねもち。

(80-2)「物入(ものいり)」・・費用のかかること。金銭を費やすこと。出費。

(80-23)「心の外(ほか)」・・自分の望むとおりにならないこと。不本意なこと。期待に反すること。思いのほか。

(80-3)「百性」・・百姓(ひゃくしょう・ひゃくせい)。一般の人民。公民。影印は、「姓」を「性」としている。

(80-4)「惠まられる事」・・この表現は、古文の文法的には、誤りで、「恵まるる事」が正しい。

 (1)受身の助動詞「らる」は、未然形が「a」以外の音になる動詞の未然形に接続するから、「恵む」四段活用の動詞で、未然形は、「恵ま(meguma)」で、「a」の音だから、「らる」は接続しない。

 (2)未然形が「a」の音になる動詞の未然形に接続する受身の助動詞は、「る」。したがって、「恵む」が接続する受身の助動詞は「る」で、その連体形は、「るる」。

 (3)現代用語にしても、受身の助動詞「られる」は、五段活用の動詞「恵む」には接続しない。

 (4)「恵む」が接続する現代の受身の助動詞は、「れる」。したがって、現代用語とし ても、「恵まられる」という用法はなく、「恵まれる」となる。

(80-4)「はずる」・・歴史的仮名遣いは、「はづる」で、「ず」は、「づ」が正しい。

 古文では、「はづ」の連体形は、「はづる」。現代の用法でも、「はじる」で、「はずる」とはいわない。

(80-5)「いたまぬ」・・傷つかないように。悲しまないように。「いたむ」は、損害を受ける。悲しむ。

(80-5)「心掟(こころおきて)」・・具体的な問題について、心に思いきめていること。意向。配慮。計らい。

(80-6)「政道(せいどう)」・・政治の道。領土・人民を治めること。

(80-7)「療治(りょうじ)」・・病気やけがを治すこと。治療。

(80-8)「入用(にゅうよう・いりよう)」・・必要な経費。諸掛り。入費。費用。出金。

(80-10)「尊む」・・歴史的仮名遣いは、「たふとむ」。発音は、「トートム」。

(80-11)「賜物(たまわりもの)」・・目上の人、または高貴な人などからいただいた品物。拝領物。

 *「賜物(たまいもの)」・・逆に、物品を下賜すること。また、その物品。

 (81-2)「わらんべ」・・「わらわべ(童部)」の変化した語。「わらわべ」は、子どもたち。子ども。

(81-3)<変体仮名の話>「はなれたる」の「た(堂)」・・「堂(どう)」を「た」と読むのは、「堂」の歴史的仮名遣いが、「たう」であることから。

(81-11)「たばかりて」・・だまして。「たばかる」は、「た謀る」。「た」は接頭語。あれこれとじっくり考える。手段・方法などをいろいろと思いめぐらす。工夫して処理する。

(82-2)「ゆるしてたべ」・・許して下さい。「たべ」は、「給(た)ぶ」の命令形。

(82-2)「あした」・・(1) 夜が明けて明るくなった頃。あさ。古くは、夜の終わった時をいう意識が強い。

 (2) 多く、前日、または、前夜何か事のあったその次の朝をさしていう.あくる朝。翌朝。明朝。

 (3) 転じて、次の日。翌日。明日。あす。

 ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の語誌には、

 <(1)古く、アシタとアサとは、同じ「朝」の時間帯を指したが、アサが「朝日・朝霧・朝夕」など複合語の前項として多く用いられ、平安時代以前には単独語の用例がまれだったのに対し、アシタは単独語としての使用が普通で、複合語としては「朝所」くらいであるという違いがあった。

(2)アサには「明るい時間帯の始まり」の意識が強い(「朝まだき」「朝け」)のに対し、アシタには「暗い時間帯の終わり」に重点があった。そのため、前夜の出来事を受けて、その「翌朝」の意味で用いられることが多く、やがて、ある日から見た「翌日」、後には今日から見た「明日」の意に固定されていく。この意味変化と呼応しつつ、アサが専ら「朝」を指す単独語となり、ユフベが「昨夜」を示すようになった。>とある。

 また、語源説に、「アは浅、シタは下。日がまだ浅く、天の下に低くある時の意から」などがある。

(82-4)「とくも」・・疾(と)くも。「とく」は、「疾(と)し」の連用形。

(82-7)「あかはだか」・・何も身につけていない状態。全くの裸。まる裸。まっぱだか。すっぱだか。また、比喩的に、幼時をいう。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の語誌には、

 <上代では「あかはだ(赤肌)の「書紀」の例からわかるようにアカハダともいった。アカは肌が剥き出しの状態をいうところからアカハダは裸をいう。一方、平安時代以降ハダカという語も生じ、アカハダカもハダカも形容動詞のようにも用いられたが、語としてはアカハダカの方が優勢であった。しかし、「日葡辞書」では両語のほかマルハダカ、マッパダカもみられ、この頃からアカハダカに代わって用いられるようになっていく。近世にはこれらハダカ、マルハダカに加え、後期になってスッパダカも加わった。>とある。

(82-7)「つかねたる」・・「束(つか)ぬ」は、集めて一つにくくる。集めていっしょにしばる。たばねる。

 *「束髪(つかねがみ)」・・つかねただけの簡単な髪の結い方。また、明治中期から流行した束髪(そくはつ)。

 *「束緒(つかねお)」・・たばねるために用いるひも。結びひも。

(82-9)「あれは何事ニか□□□」・・□部分が判然としない。 宗堅寺本の当該部分は、「あれは何事にか侍ると」とある。

(82-11)「打(うち)なれ」・・組成は、4段動詞「打つの連用形「打(う)ち」+補助動詞「なる」の命令形「なれ」。

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