森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2015年02月

『ふなをさ日記』3月学習の注 

(88-1)「重吉、書付たる一さつ」・・重吉が帰国後、板行した『ヲロシヤノ言』をさすと思われる。

(88-12)「天地山川(せんちさんせん)」・・天と地、山と川。つまり自然全体をいう。

(88-2)「人倫(じんりん)」・・ひと。人々。人類。特定の個人や集団ではなく、人間一般をいう。

 なお、テキスト影印の「リン」は、「ニンベン」より、「リッシンベン」に近いが、「忄」+「侖」の字はない。ここは好意的に「倫」とする。

(88-2)「生(しょう)る〔い〕」・・影印は、「生る」だけで、「い」が脱か。

(88-2)<漢字の話>「衣喰」の「喰」・・テキスト影印の「衣喰」の読みは、「イショク」が妥当か。しかし、「喰」に「ショク」という字音はない。『新潮日本語漢字辞典』は「喰」を国字として「くう・くらう・たべる」などの日本語読みはあるが、漢語風の読みはない。なお、『康煕字典』には、同字があるが、字音は「サン」。テキストの場合、「喰」を「食(しょく)」の当て字として、使用していると思われる。異本は、「衣食」として「喰」は使っていない。

(88-2)「器財(きざい)」・・うつわ。道具。また、家財道具。器材。

(88-2)「わかちて」・・分類して。

(88-3)<文法の話>「うつしおかまじ」・・この用法は二重の意味で誤り。

①打消の助動詞「まじ」は、終止形(ラ変動詞には連体形)に接続するから、「うつしおかまじ」という用法は誤り。「うつしおくまじ」が正しい。しかし、それは、文意のそぐわない。

②異本は、「うつしおかまし」と、打消の「まじ」ではなく、推量の助動詞「まし」になっている。

「まし」は未然形に接続するから、「うつしおかまし」なら正しい。

③文意も「写し置こう」ということだから、②が正しい。

(88-4)「一体(いったい)」・・そもそも。おしなべて。一般に。

(88-4)「遣ひさま」・・遣い方。「さま」は接尾語。後世は「ざま」とも。動詞に付いて、そういう動作のしかたを表わす。方(かた)。様(よう)。ぶり。

(88-5)<くずし字>「書付がたきが多く」・・       下は『これでわかる仮名の成り立ち』

「がたきが」の変体仮名は「可・多・支・可」。     (茨木正子編 友月書房刊)より

 *<変体仮名「支(き)」・・右の表参照。

 *<漢字の話>「支(き)」・・①手元の漢和字典に「支」を「キ」とするものはない。

  ②万葉仮名(甲類)に「き」がある。

  ③古代中国字音が「キ」に近かったとされる。  (『新潮日本語漢字字典』)

  ④「支」の部首・・「支」は部首。部首名は、「じゅうまた」「しにょう」「えだにょう」とも。「しにょう(繞)」と「繞」の名を持つが、その例は、「翅」のみ。

(88-9)「末つかた」・・「つ」は「の」の意。ある期間の終わりのころ。月や季節などの終わりのころ。末のころ。「つ」は、奈良時代に使われた格助詞。平安時代以降は、「天つ風」「沖つ白波」のように、複合語として慣用的にだけ用いられた。現在では、「まつげ(目つ毛)」「やつこ(家つ子)」「わたつみ(海神)」に一語の中に化石的に残っているにすぎない。

(88-910)「六人の日本人」・・督乗丸の船頭・重吉と水主の音吉、半兵衛、薩摩の永寿丸の漂民で船頭の喜三左衛門、水主の角次、佐助の六人。

(88-10)「フツヱトル」・・セント・パーヴェル号。

(88-10)<くずし字>「用意」の「用」・・1画目が点か、省略されているようになる場合が多い。

(89-3)「スレス」・・ワシリー・スレドニー船長。

(89-3)「イキリスの船頭ベケツ」・・イギリス船フォレスタ号の船長ピケット。

(89-3)「筆者(ものかき)ベネツ」・・フォレスタ号の書記ベネツ。

(89-4)「扨(さて)」・・文脈上すでに存する事物・事態をうけ、これと並行して存する他の事物・事態に話を転じる。一方では。他方。ところで。

(89-4)<略字(異体字)>「薩摩」の「广」・・「广」は、「摩」の略字。

(89-4)「便船(びんせん)」・・便乗すべき船。都合よく自分を乗せて出る船。また

乗る人。

(89-7)「カワンより」・・異本は、「カワン」を「ガワン」とし、そのあとに「みなとの事也」と割注がある。また、「オロシヤノ言」には、「湊の事 ガアハン」とある。

(89-7)「午未(うまひつじ)」・・ほぼ南南西。

(89-8)「亀崎(かめざき)」・・知多半島東岸の漁村で港町。現愛知県半田市亀崎。

(89-9)「いかにせましと」・・どうしようかと。「せまし」の組成は、サ変動詞「す(為)」の未然形「せ」+推量の助動詞「まし」の連体形「まし」。

(89-10)「ゆへ」・・「由」の歴史的仮名遣いは、「ゆゑ」。

(89-11)「渡り」・・辺り。ある場所の、そこを含めた付近。また、そこを漠然とさし示していう。その辺一帯。あたり。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の語誌には、

 <「わたり」は「伊勢物語‐五」に「東の五条わたりにいと忍びてゆきけり」、「土左‐承平五年一月二三日」に「このわたり海賊のおそりあり」とあるように接尾語的に、あるいは「の」「が」による連体修飾に続けて用いられるだけであるのに対し、「あたり」は単独で用いられる。>とある。

(90-3)「然(しか)るべし」・・[連語]ラ変動詞「しかり」の連体形+推量の助動詞「べし」。それが適当であろう。現代語では、連用形から出た「しかるべく」、連体形から出た「しかるべき」の形が用いられるにすぎない。

(90-6)<漢音・呉音>「経文(きょうもん)」・・「経」は、「キョウ」が呉音、「ケイ」が漢音。「文」は、「モン」が呉音、「ブン」が漢音。日本には、呉・越地方、中国中部揚子江流域地方の古い時代の音が、先ず入ってきた。仏教伝来とも係り、仏教用語は、呉音が多い。

(90-6)「そと」・・しずかに。ひそかに。こっそりと。そっと。

(90-7)「言(いう)もさらなり」・・言うまでもない。もちろんである。

(90-9)「不足(たらず)くちおしき」・・とても残念だ。「不足(たらず)」は、不満足で。

(90-9)「いみじく」・・ひどく…である。

(90-10)「沖中(おきなか)」・・海洋の中。

(91-1)<くずし字>「教」・・影印は、「教」の決まり字。

偏は「おいかんむり」+「子」だが、「おいかんむり」を「才」のような形で上に書き、「子」と旁の「攵(ぼくづり・ノ分)」を一緒に脚に書くことが多い。

(91-1)「見えわかず」・・みることができず。「わかず」の組成は、4段動詞「わ(別・分)く」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連用形。

(91-1)「地方(じかた)」・・陸地の方。特に、海上から陸地をさしていう語。陸地。岸辺。

(91-2)「日数(ひかず・にっすう)」・・経過した、またはこれから要するひにちの数。にっすう。また、何日かの日の数。

(91-23)「海上上」・・「上」がひとつ重複している。

(91-3)「ヱドモ」・・絵鞆か。絵鞆は、絵鞆半島突端北西部に位置し、北と西は内浦湾に面する。

(91-7)「実(げ)に」・・「現に」の変化した語かという。予告や評判どおりの事態に接したときの、思いあたった気持を表わす。なるほど。いかにも。本当に。

(91-6)「船ももろともに」・・「も」が重複で、ここは、「船もろともに」か。

(91-8)<異体字>「乞」・・冠部分が「ト」で脚部分が「乙」になる場合がある。

(91-10)<くずし字>「引かへし」・・「し」が「へ」に食い込んでいる。一見、「へし」が1字に見えるが、このテキスト影印では、よく見かける。

(91-11)「やゝ」・・副詞「や(彌)」を重ねてできた語。ある物事が少しずつ進むさまを表わす語。徐々に。次第に。順を追って。だんだん。

(92-6)「もどりてよかし」・・「よかし」は、意味不明。異本は、「くれよかし」に作る。                   

(92-7)「来年となれぬ」・・「来年と」は、文意が不明。異本は、「来年迄」に作る。

(92-9)「我々計(ばかり)」・・我々だけ。「ばかり」は、体言・活用語の連体形を受け、限定の意を表わす。

(92-10)「あながち」・・一途(いちず)なさま。ひたむきなさま。

(92-11)「言しろはん」・・言い合う。「しろふ」は互いに事をし合う意。

(93-11)「易なく」・・ためにならない。「易」は、「益」の当て字。

3月学習『秘書注』 

(52-1)「通弁(つうべん)」・・「つうやく(通訳)」の古い言い方。

(52-3)「相弁(あいべんじ)」・・「弁ずる」は、わきまえる。

(52-4及び7)<くずし字>「候哉」「可相成哉」の「哉」・・「口」の部分が、「ノ」のように書かれる場合がある。

(52-7)「見合(みあい・みあわせ)」・・対応。検討。

(52-7)「談判(だんぱん)」・・かけあい。

(53-1)「水野正左衛門」・・村垣に随行した評定所留役。水野に先発して安政元年(1854)229日江戸を出発。西蝦夷地、カラフトを巡見し、帰途同年閏717日、クスリで死亡している。

(53-3)「旬季(じゅんき)」・・順当な気候。順当な季節。

(53-5)「今井八九郎」・・松前藩士。

(53-6)「廻浦(かいほ)」・・内陸未開拓の時期の蝦夷地では、海岸沿いに諸役人などが巡回・視察する意味に使われた。

 *<漢字の話>「浦」・・①元来中国では、川のほとりの意味。②わが国で、陸地に入り込んだ所、入り江を意味する「うら」に「浦」を当てた。「うら」の語源説には、

・ウラ(裏)の義。外海の表に対し、内海の意〔箋注和名抄・名言通・大言海〕。

 ・ウはウミ(海)、ラはカタハラ(傍)から〔和句解・日本釈名〕。

 ・ウラ(海等)の義〔桑家漢語抄〕。

・ウはワタツの約。ウラはワタツラナリ(海連)の義〔和訓集説〕。

など、海と関連づけるものが多い。

③全国いたるところを意味する「津々浦々」は、海に囲まれた日本製の四字熟語。

(53-7)「風説書(ふうせつがき)」・・各地の風説を報告した文書。特に、限定して、江戸時代、幕府に提出された、長崎貿易を通じて得られた海外情報などの報告書をいう。オランダ商館長からのものを「オランダ風説書」、唐船からの情報は「唐船風説書」とよばれた。

(53-9)絵図(あらえず)」・・大まかな絵図。影印の「麁」は、「麤」の俗字。「麤」の解字は、「鹿」+「鹿」+「鹿」。しかの群は羊のように密集しないところから、遠くはなれる。あらいの意味をあらわす。

(53-9)「上川伝一郎」・・村垣配下の支配勘定。カラフト巡見の際は、堀・村垣の命を受け、西海岸をホロコタンの先まで見分し、さらに、伝一郎に付き添って行った松前藩士今井八九郎は、進んでナツコに至った。

(54-8)「時日(じじつ)」・・ひにちと時間。何日かの期間。日数。

(54-8)「相後(あいおく)レ」・・時間が遅くなる。「おくれる」は、広く「遅れる」と書く。

 *「汽車が四十分程後(おく)れたのだから、もう十時は過(まわ)っている」(漱石『三四郎』)

(54-8)「分間(ぶんかん・ぶんけん)」・・測量。

(54-11)「バンケ」・・今井八九郎の『北地里数取調書』(北海道立文書館蔵)には、「ハンケヱンルモ」とあり、「山丹人当所よりワシフンサキ迄渡海之所也」とある。

(56-2)「一昨亥年(いっさくいどし)」・・嘉永4(1851)

(56-2)「秋秋」・・「秋」がひとつ重複している。

(56-3)「住所」・・「住」は、「同」で「同所」が本来か。

(56-3)「昨子年(さくねどし)」・・嘉永5(1852)

(56-3)「砌(みぎり)」・・あることの行なわれる、または存在する時。そのころ。土源説に、「そのころの意を其の左右(ゆんでめて)というところからミギリ(右)の義か」がある。

(56-4)「時化(しけ)」・・動詞「しける(時化)」の連用形の名詞化。海で暴風雨が続くこと。海が荒れること。「時化」と訓じるのは、当て字。

 *<漢字の話>「時」・・「し」と読むのは呉音。「時化(しけ)」のほか、「時雨(しぐれ)」がある。

(56-8)「潮勢(ちょうせい)」・・潮の押し寄せる勢い。潮流の勢い。

(56-11)「菩提(ぼだい)」・・梵語bodhi の音訳。道・智・覚と訳す。仏語。

(1)世俗の迷いを離れ、煩悩を断って得られたさとりの智慧。

 (2)死後の冥福。

(56-11)「卒塔姿(そとば・そとうば)」・・梵語stu-paの音訳。頭の頂、髪の房などの義。高顕処・方墳・円塚・霊廟などと訳す。仏語。卒都婆、率都婆などを当てる。

(1)仏舎利の安置や、供養・報恩をしたりするために、土石や(せん)を積み、あるいは木材を組み合わせて造った築造物。塔。塔婆。卒都婆標。そとうば。

 (2)転じて、供養のため墓のうしろに立てる細長い板。上部は五輪卒都婆の形をしており、梵字、経文などが記されている。塔婆。

古文書解読学習会のご案内

私たち、札幌歴史懇話会では、古文書の解読・学習と、関連する歴史的背景も学んでいます。約100名の参加者が楽しく学習しています。毎月第2月曜日13時~16時・エルプラザ4階男女共同参画センター大研修室で例会を行っています。古文書を学びたい方、歴史を学びたい方、気軽においでください。くずし字、変体仮名など、古文書の基礎をはじめ、北海道の歴史・民俗、学習しています。初心者には、親切に対応します。

参加費月350円です。まずは、見学においでください。初回参加者・見学者は資料代600円をお願します。おいでくださる方は、資料を準備する都合がありますので、事前に事務局(森)へ連絡ください。

◎日時:2015年3月9日(月)13時~16時

◎会場:エルプラザ4階男女共同参画センター大研修室(札幌駅北口 中央区北8西3

◎現在の学習内容

①『ふなをさ(船長)日記』・・文化10(1813)末から1年半近く太平洋を漂流し、英国船に救助されてカムチャッカに送られ同13(1816)に送還された尾張の督乗丸の船長重吉の漂流談です。

『蝦夷地見込書秘書』・・安政元年(1864)、カラフトにおける国境見込地の調査と蝦夷地状況の視察に派遣された目付堀織部と勘定吟味役村垣与三郎(後、両名とも箱館奉行となる)の諸復命書。幕吏上川伝一郎、間宮鉄次郎、松岡徳次郎、松前藩士今井八九郎の報告も含む。
問い合わせは、森勇二まで 電話0909-8371-8473
 moriyuzi@fd6.so-net.ne.jp

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