(17-3)「素立(すだて)」・・まだ骨組だけで、内装も外装もほどこされていない家。
柱立や梁などの組み上がった状態。棟上の終わった状態。
(17-3)「造作(ぞうさく)」・・建物内部の仕上工事。天井、床板、建具、棚、階段などを取り付けること。
(17-3)「正月」・・一年のいちばんはじめの月。むつき。いちがつ。語源説に「政治に専念した秦の始皇の降誕の月であるところからセイグヮツ(政月)といっていたものが、『正月』と書かれるようになり、音が改められたもの」なある。
(17-5)「遠台(えんだい)」・・警戒や偵察など遠見のために設けたやぐら。物見櫓、遠見櫓、遠見台、望遠台とも。
(17-6)「矢狹(やざま)」・・城内から矢を射ることができるように、城の廓や櫓の側面に設けた多く、縦長の小穴。三角形のこともある。
(17-6)「隅々(すみずみ)」・・方々の隅。あらゆる隅。
(17-8)「士卒」しそつ)」・・士と卒。士官と兵卒。武士と雑兵。
(17-8)「焚出場(たきだしば)」・・一時に大量の炊事をして、大勢の者に食事を配り与える所。
(17-10)「畳上(たたみあげ)」・・積み重ねる。幾重にも積む。重ね上げる。
(18-1)「布蓙(ぬのござ)」・・「蓙」は国字で、藺(い)などを編んで作った敷物、薄縁(うすべり)、ござむしろ。「布蓙」は、布製の敷物、薄縁。
(18-3)「炉気(ろき)」・・香炉のかおり。
(18-3~4)「仕懸(しかけ)」・・仕掛け。
*「仕懸文庫(しかけぶんこ)」・・①江戸深川の遊里で、遊女の着替えを入れて持ち運ぶための手箱。②洒落本。1冊。山東京伝作・画。寛政3年(1791)刊。江戸深川仲町の岡場所の風俗を描く。
(18-4~5)「銅銭或は銀札」・・銅銭は「コペイカ銅貨」、銀札は、「ルーブル銀貨あるいはコペイカ銀貨」。当時の帝政ロシアの貨幣制度は、本位金貨幣であるルーブル金貨のほか、補助貨幣として、銀貨(1ルーブル銀貨、50、25、20、15、10の各コペイカ銀貨)や銅貨(5、3、2、1、1/2、1/4コペイカ銅貨)が流通していた。
(18-6)「弁用(べんよう)」・・ある用件を適切に処理すること。また、役に立つように用いること。
(18-7)「板檀(いただん)」・・「板壇」か。
(18-7)「土竈」・・土を固めて作ったかまど。へっつい。土間や庭に直接、土で焚口を構えるものたが、町家の場合は、木作りの箱の中に、石を敷いたものを台として、その上に土製の竈が置かれ、この総体を「へっつい」という。『守貞謾稿』には、「竈(かまど)」を俗に「へつい」と云う。また、訛て「へつゝい」と云ふなりとある。
*<漢字の話>「竃」・・かまど。「ど」は処の意。土・石・煉瓦(れんが)などでつくった、煮炊きするための設備。上に釜や鍋をかけ、下で火をたく。
「釜」・・飯を炊いたり湯を沸かしたりするための器具。
*「塩竃市」・・宮城県中央部、松島湾に面する市。
(18-8)「火勢(かせい)」・・火の燃える勢い。火気。
(18-8)「屡(しばしば)」・・副詞。「しば(屡)」を重ねたもの。たびたび。しきりに。幾度も。何回となく。なお「屡(しば)」は、「頻(し)く」「頻(しき)る」などの語基「し」に、「もと」「端」などを意味した「は」の付いたものとする説もある。
(18-8)「濺き(そそぎ)」・・「濺ぐ」の連用形。水を注ぐの意。
*「濺」の解字・・旁の「賤」は、うすいの意味。
(18-9)「所謂(いわゆる)」・・動詞「いう(言)」の未然形に上代の受身の助動詞「ゆ」の連体形が付いて一語化したもの。①世間一般にいわれている。また、一般にそうたとえられている。②すでに周知の。言うまでもない。
*漢文として使われていた「所謂」を「謂う所(いうところ)」と読み、その意味となる日本語が「いはゆる」だったので、「いわゆる」となったもの。
○[論語] 所謂大臣者、以レ道事レ君、不可則止
<所謂(いわゆる)大臣なるものは、道を以て君(きみ)に事(つか)え、不可(ふか)ならば、則(すなわち)止(や)む>
→(すぐれた大臣といわれるものは、道により主君に仕え、意見が採用されなければ辞任するものだ。)
○[史記] 管仲世所謂賢臣、然孔子小レ之
<管仲(カンチュウ)は、世に所謂(いわゆる)賢人(けんじん)なり。然(しか)るに、孔子は之を小(ショウ)とす。>
→(管仲は、世に言う賢人だが、孔子はこの人物を小者と考えた)
(18-9)「蒸気風呂」・・蒸し風呂。サウナ風呂か。サウナ風呂(フィンランド風の蒸し風呂)は、石塊を入れた鉄釜を下から熱した熱と、その石に水をかけて発する蒸気熱とで室内の温度・湿度を高め、その室内に入って汗を流す。
(19-1)「夫役(ぶやく・ぶえき)」・・労働課役。主として地方の農民を強制的に徴発し、公事の労役に従事させること。
(19-2)「軍卒(ぐんそつ)」・・軍兵。兵士。または、軍勢。
(19-4)「雨覆(あまおおい)」・・建物のある部分に雨がかかるのを防ぐ設備。「雨(あめ)を「あま」と読むのは転音。「雨垂(あまだ)れ」「雨傘(あまがさ)」
*「変音」・・日本語で、二つの成分が結合して新たな合成語ができるとき、しばしばその成分の音素に変化が生じることがある。音素の変化を「変音」という。
これには①「転音または母音交替(あまだれ)」②「連濁(あおぞら)」「音便(つんざく)」「音韻添加(まっしろ)」「音韻脱落(手洗い→たらい)」「音韻融合(けふ→きょう)」「連声」「半濁音化(ひっぱがす)」がある。
*「転音」・・語音が本来の形を変えること。また、その変わった音。日本語では主として、複合語をつくる際の、前の部分の語末におこる母音の転換をいう。酒(さけ)→酒樽(さかだる)の「か」、舟(ふね)→舟足(ふなあし)の「な」の類。
(19-7)「一時(いっとき)」・・昔の時間区分で、一日の十二分の一。今のおおよそ二時間。一刻。奈良・平安時代の定時法では二時間、鎌倉時代以降の不定時法では季節により、また昼夜によって相違する。
(19-7)「朝は六ツ半」・・午前七時ころ。
(19-8)「顔をそゝき」・・顔を洗い清めること。「そゝぎ」は「注ぐ」の連用形で、「洗い清める」の意もあるが、『角川古語大辞典』には、本来は、「すすぐ(濯ぐ)=洗い清める」との間に、意義の混淆があるとある。
(19-9)「銅板之如き仏像」・・イコン。アイコンとも。ギリシャ正教会やロシア正教会などの東方教会で、礼拝の対象とした聖画像。多くは板絵で、キリスト・聖母・聖伝などを描いた。
(19-20~20-1)「足並調練(あしなみ・ちょうれん)」・・歩調をそろえる行進訓練。
(20-3)「夕七ッ時頃」・・午後四時頃。不定時法における昼と暮の境の時間帯。
(20-4)「灯籠(とうろう・とうろ)」・・照明器具の一つ。火袋を有することが特徴で、その中に油火またはろうそくを点ずる。
(20-5)「謡物(うたいもの)」・・詞章に節を付けて歌うものの総称。
(20-6)「類船(るいせん)」・・船が行動をともにすること。また、その船。江戸時代では同時に出港する船や同じ水域を航行している船をもいう。友船。片船。
(20-6)「表準(ひょうじゅん)」・・標準。そこに達すべきよりどころ。目標。
(20-7)「腰掛(こしかけ)」・・腰を下ろして休むための椅子や台。ここは「ベット」か。
(20-8)「妄(みだり)に」・・思慮、分別もなく、いい加減に。でたらめに
(20-10)「慇懃(いんぎん)」・・礼儀正しいこと。へり下って丁寧なこと。
(20-10)「会釈(えしゃく)」・・軽くお辞儀をするさま。なお、「会釈」と書いて「あしらい=能、狂言、歌舞伎などの囃子の一種で、一般に調子に乗らず、音も小さい単純な伴奏をいう。」と読む場合がある。関連する用語として、「会釈囃子(あしらい・ばやし)」、「会釈間(あしらい・あい)」などがある。
(18-7)「竃」関連資料(塩竃市公式ホームページから)
*塩竈市の『竈』の字については、『竈』と『釜』の両方を使用することが認められていま
す。
『竈』は21画と画数が多く、書き方も難しい漢字ですので、正しい書き順を左に示します。
ちなみに市役所で用いる公用文ではこの『竈』を用いることになっています。
◎地名の由来
海水を煮て塩をつくるかまど(竈)のことを「塩竈」といいました。つまり、もともとは
地名ではなく、製塩用のかまどのことを指す名詞でした。以前は日本の各地の砂浜にこの
ようなかまど(塩竈)があり、これが海辺の風景におもむきを添えていたといわれていま
す。わが郷土も、この竈のある場所として有名になり、それがそのまま地名になっていっ
たといわれています。
塩竈という地名のほかに、国府津(『こうづ』と読み、国府の港という意味です)とも呼
ばれていましたが、塩竈神社が、陸奥国の総鎮守(多賀城から見て東北の方角に位置する
鬼門を守る意味がある)として建てられ、信仰を集めるようになり、国府津よりも塩竈の
方が地名として定着していったものといわれています。
◎塩竈か塩釜か
塩竈市役所で作成する公文書においては、「塩竈」を使用することになっています。ただ
し、市民の方、あるいは他の官公庁が「塩釜」と表記した文書については、「塩竈」と解
釈して受理することとしています。
市役所で、塩竈という表記に統一するようになったのは、昭和16年(1941年)からで、
それ以前には、「鹽竈」、「塩竈」、「鹽釜」、「塩釜」など、混在して用いられていました。
「鹽」という漢字についは、当用漢字の「塩」を用いてもさしつかえありませんが、「竈」
と「釜」では、字義が違っており、本市の地名の由来が、「鹽竈神社」の社号に因むもの
であるところから、「釜」ではなく「竈」を用いることに統一されました。