森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2016年11月

魯夷始末書11月学習注記    

        

53-3)「越年(えつねん・おつねん・としこし)」・・漱石は、『三四郎』で「越年(ヲツネン)の計(はかりごと)は貧者の頭(コウベ)に落ちた」と、「ヲツネン」とルビをしている。また『北海道方言集』は、「出稼ぎ人が正月になっても帰宅しないこと」を「おつねん」としている。

     *<雑学>「越年(おっとし・おとし)」・・節分の夜の火祭りを「おっとし」「おとし」という地方がある。節分が旧正月に近く、「節分正月」ともいわれることから、節分の行事に「越年」があるといわれている。

53-4)「以堂し(いたし)」・・「以」は「い」、「堂」は「た」の変体仮名。ちなみに、「堂」

     は、「トウ」(漢音)、「ドウ」(呉音)で、「た」という読みはない。なぜ変体仮名の「た」かといえば、「堂」の旧仮名遣いが「タウ」「ダウ」と表記することによる。

 53-5)「鉄炮(てっぽう)」・・「炮(ぽう)」の偏は「火」、旁の部分は「巳」。なお、「石偏」の「砲」の旧字体の旁も「巳」。新字体は「己」。

     <漢字の話>「巳」と「己」

    「包」は、常用漢字(新字体)になって構えの中が「巳」から「己」に変わった。

    常用漢字に採用されて「巳」が「己」に変わった字・・包、選、遷(遷都など)、抱、、泡(あわ)、砲、胞、飽(飽食など)

    常用漢字に採用されていないので「巳」のままの字・・匏(ひさご)、咆(ほ)える、枹(ばち)、疱(ほう。疱瘡など)、祀(まつ)る。鉋(かんな)、雹(ひょう)、鞄(かばん)、巷(ちまた)、撰(撰者、撰集など)、巽(たつみ)、庖(庖丁など)、炮(あぶ)る、鮑(あわび)など。

    常用漢字も旧字体も「己」のままの字・・改、忌、紀、配、妃、記。

    旧字体は「卩」であったが、「己」に変わった字・・巻、圏

53-7)「明払(あけはらい)」・・連用形。家や城などを立ち退いて他人に渡すこと。明渡すこと。

53-7)「空虚(くうきょ)」・・何もないこと。から。建物や部屋などに人のいないこと。また、人を立ち去らせてからにすること。

53-8)「安危(あんき)」・・安全と危険。安全であるか危険であるかということ。

53-9)「ナイフツ」・・「ナエブチ」、「ナエブツ」とも。日本語表記地名「内沸」、「内淵」、「苗淵」とも。樺太東海岸のうち。吉田著『大日本地名辞書』には、「柏(相とも)濱の北西一里、内沸河口に在る漁村なり。大泊、豊原より、多来加湾岸なる内寄、静香に通する路にあたる。」、「此地、早くより邦人に知られし夷村なり、元禄郷帳を始めとして、~(略)~、文化五年(1808)間宮(林蔵)氏の第一回探検図にも記入せられる。」とある。

54-1)「不念(ぶねん)」・・考えが足りないこと。不注意なこと。江戸時代の法律用語で、過失犯のうちの重過失を意味する語。軽過失を意味する「不斗(ふと)」に対する語。例文としては、「吟味の上、不念之儀於有之は、一等重く可申付事」となる。

54―1)<くずし字>「不念無之」の「無」

54-1)「国地(こくち)」・・国の地域中、島から本土をさしていう語。島に対する本土。

     ここでは、カラフトから見て蝦夷地のこと。

54-2)「凌方(しのぎかた)」・・「しのぎ」は、動詞「しのぐ」の連用形の名詞形。困難なことや苦しみなどを我慢して切りぬけること。また、その方法や手段。

     また、「方」は、手段。方法。やり方。

54-2)「心付(こころづき)」・・連体形。気がつくこと。分別や才覚が生じること。

54-3)「殊勝(しゅしょう)」・・けなげなさま。感心なさま。神妙な様子。

54-3)「和人(わじん)」・・本来、昔、中国の立場からの日本人の称。ここでは、アイヌの人(蝦夷人)と対比した日本人の称。

54-4)<見せ消ち>「より」を「江」に訂正・・「より」を「ヽ」で消し、右に「江」とした。

54-4)「随身(ずいしん)」・・つき従うこと。随従すること。

54-5)「危踏(あやぶみ)」・・連用形。危険だと思う。不安で気がかりに思う。

54-6)「畢竟(ひっきょう)」・・つまるところ。ついには。つまり。結局。元来は、梵語atyanta の訳語。「畢」も「竟」も終わる意)仏語。究極、至極、最終などの意。

    <くずし字>①「畢竟」の「畢」は脚部が「十」、②「異国」は「異」脚部が「大」

    ③「霊」は、脚部が「火」

54-6)「守護(しゅご)」・・守ること。警護。守備。

54-8)「奇特(きとく・きどく)」・・神仏などの不思議な力。霊験。奇蹟。明治頃までは「きどく」か。現代は「きとく」がふつう。

55-2)<くずし字>「竹蔵」の「竹」・・「行」に見える。「竹」と「行」の違いは難しいが、人名では、「竹」と読む場合が多い。

55-8)「詮(かい、せん)」・・「甲斐」とも。ある行為に値するだけのしるし、効き目、効果。代価。代償。

56-6)「番人之程」・・「程」は、物事の度合。程度。P55-8「番人之詮」との比較から、「詮」と書くところを「程」としたか。

56-6)「不埒(ふらち)」・・道理にはずれていて非難されるべきこと。法にはずれていること。けしからぬこと。「不束」に同じ。用例文として「是者、御叱り、急度御叱り、手鎖、過料等に可成と見込之分は、不束或は不埒と認」。

     (56-8)「丈夫(じょうぶ、じょうふ)」・・身に少しの病患、損傷もなく、元気があるさま。勇気ある立派なさま。昔、中国の周の制で、八寸を一尺とし、十尺を一丈とし、一丈を男子の身長としたところからいう。

56-7右)「ナイヨロ」・・「ナヨロ」とも。日本語表記地名「名寄」。樺太西海岸のうち。吉田著『大日本地名辞書』には、安政元年(1854)(堀付添の)鈴木尚太郎(重尚。号茶渓。後箱館奉行支配組頭)著『唐太日記』を引用し、「九(久)春内より浜伝ひ二里餘にて、ナヨロに着し、当所乙名シトクランケの家に泊す。此シトクランケは、楊忠貞といへる者の曾孫なるよし」と記述している。

56-8)「力量(りきりょう)」・・物事をなす力の程度。能力、腕前、器量。

568/9)「奸智(かんち)」・・奸知、姦智とも。わるがしこい才知。悪知恵。

56-9)「弁舌(べんぜつ)」・・ものを言うこと。特に、すらすらと上手にいうさま。

56-9)「威服(いふく)」・・権力や威力をもって服従させること。

5610)「ヲロノフ」・・ロシアの陸軍中尉。ネヴェリスコイのクシュンコタン上陸に先立って、6人の部下とともに、樺太の状況を偵察するため、樺太西海岸北緯51度付近に上陸し、クシュンコタンに向けて南下の途中、ナヨロのシトクランケのところに立ち寄った。

5610)「山韃船(さんたんぶね)」・・『北夷談 三』(松田伝十郎著)によれば、「舟は、五葉の松を以って製造し、舟の敷は、丸木を彫(ほる)なり。釘はことごとく木釘なり。故に大洋或は風波の時は、乗り難し。図左のごとし。」とある。

11月学習 町吟味役中日記 注記

(30-1)「押込(おしこめ)」・・江戸時代の刑罰の一種。門を閉じ蟄居(ちっきょ)させ、外出を禁ずるもの。「押込」を「おしこみ」と読むと、「人家に押し入って強盗すること。また、その賊。強盗。」の意味になる。

(30-2)「弁天町(べんてんちょう)」・・北西―南東に走る箱館町の表通りに沿う町で、大町の北西に続く。大町などとともに箱館で最も早くに開けた町の一つ。町北端の岬(弁天崎・弁天岬)には弁天社(現厳島神社)が祀られており、町名は同社に由来。

(30-4)「面体(めんてい)」・・かおかたち。おもざし。面貌。面相。

 <漢字の話」「体(テイ)」・・「体」を「テイ」と読むのは、漢音。「タイ」は呉音。

  「体裁(ていさい)」「世間体(せけんてい)」「風体(ふうてい)」「ほうほうの体(てい)」「あり体(てい)」「体(てい)のいい~」「体(てい)たらく」など。

(30-5)「売渡(うりわたし)」・・売買の対象となっている物を売って相手に渡す。⇔買い受ける。

 <漢字の話「売」>・・①テキスト影印は、「売」の旧字体「賣」。②部首は、新字体の「売」が「士(さむらい)」部、旧字体の「賣」は、「貝」部。③「賣」の解字は「出」+「買」「買」が「かう」の意味に用いられたため、区別して、「出」を付し、「うる」の意味を表す。④新字体の「売」は、「賣」の省略体の俗字。

(30-6)<くずし字>「差出」の「出」・・影印は、「山」+「〻」(繰り返し記号)。ほかに「炎」も「火」+「〻」。また、「品」、「州」、「森」、「轟」、「澁」、「姦」、「傀儡」の「儡」、「磊落」の「磊」などの脚部が、繰返し記号になる場合がある。

(30-6)「売徳(うりどく)」・・売得。物を売ることによって利益を得ること。また、その利益。影印の「売徳」の「徳」は当て字。

  ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の用例に

  <高野山文書‐(年月日未詳)〔江戸〕高野山衆僧法度写(大日本古文書六・一二一九)「衆僧山林入薪等取売徳仕間敷事」>を挙げている。

(30-7)「地蔵町(じぞうまち)」・・函館市末広町・豊川町・弁天町・大町・内澗町・当町と続く箱館町の表通りに沿う町で、内澗町の東に位置する。古く北方は海に面していたが、地先の海岸は前期幕府領期から順次埋立てられていった。内澗町寄りから一―六丁目に分れ、内澗町から南東に向かって当町に入った表通りは、当町二―三丁目あたりで緩やかに弧を描いて向きを北東方に変えて進み、六丁目の北東端部には亀田村との境界となる枡形が設けられていた。

(30-8)「手代(てだい)」・・商業使用人の一つ。番頭とならんで、商人の営業に関するある種類または特定の事項について代理権を有するもの。支配人と異なり営業全般について代理権は及ばない。現在では、ふつう部長、課長、出張所長などと呼ばれる。

(31-1)「山之上町(やまのうえちょう)」・・現函館市弥生町。山ノ上町・山の上町・山上町とも記す。「蝦夷日誌」(一編)が「山の上」は東を法華寺(実行寺)、西は神明社、北は裏町(大黒町)の坂を限りとする「此処の惣名也」とし、「箱館夜話草」には「山ノ上町といふは惣じて神明宮の通りより芝居町此辺までをさいていふ処なり」とあるように、元来は箱館町の表通り(弁天町・大町の通り)の上手(山手)、函館山北東面の小高い山裾一帯に開けた新開地をいった。小名を含む広義の山之上町は文化年間(一八〇四―一八)に南部出身の大石屋忠次郎が芝居小屋を設けたのを契機に、茶屋などが集まる遊興地となり、近世末には山ノ上一―二丁目から常盤町・茶屋町・坂町にかけての一帯に山ノ上遊廓が形成された。

(32-1)「深泊り」・・P32の注記参照。

(32-6)「代銭(だいせん)」・・代金。なお、「代銀」は銀目で支払う代価。銀本位であった上方地方で多く用いられた。

(32-7)「不届至極(ふとどきしごく)」・・江戸時代、死罪に処すべき判決の末尾に書く罪名に冠して用いたことば。

(32-78)「可被仰付処(おおせつけ・らる・べき・ところ)」・・

  書下しは「可仰付処」。

  組成は、下ニ動詞「仰付(おおせつく)」の未然形「仰付(おおせつけ)」+尊敬の助動詞「被(らる)」の終止形「被(らる)」+推定の助動詞「可(べし)」の連体形「可(べき)」+名詞「処(ところ)」。

(32-8)「入墨」の「墨」・・影印は2字に見えるが縦長の「墨」1字。脚の「土」はひらがなの「ち」のようになる場合がある。

(32-9)「馬形東上町(まかどひがしうえまち)」・・現松前郡松前町字豊岡。近世から明治33年(1900)まで存続した町。近世は松前城下の一町。大松前川と伝治川(大泊川)に挟まれた海岸段丘上にあり、段丘の北側は馬形上町、南は東中町、東は東新町。

(32-11)「身元請(みもとうけ)」・・雇われて働く者の身元を保証すること。

(32-12)「トラメキ町」・・現松前郡松前町字月島・字朝日。「寅向」・「とらめき」とも表記される。ほか登良女喜・度良目木・戸羅目木などの文字を当てる。伝治沢川から及部川に至る海岸沿いの地域にあり、西は泊川町。当町は天明―寛政期に町立てされたとみられる。文化6年(1809)の村鑑下組帳(松前町蔵)では伝治沢町と合せて家数一二七・人数四一四。また「とらめき町、下は水かふり、平磯にて町裏地所無之、町屋東裏は崖之下ニ而、夫より泊川町際ニ至而は地面無之、崖下往還壱筋計も狭く」と記され、崖際に立地して目前に海が迫り、地形的に恵まれていない様子がわかる。「蝦夷日誌」(一編)には「トラメキ」として「此並川向也。人家より足軽多く有。此上に平野有。野畜の馬多し」とある。

(32-12)「逗宿(とうしゅく)」・・逗宿は足を止めて宿をとること。

(32-15)「不束(ふつつか)」・・江戸時代、吟味筋(刑事裁判)の審理が終わり、被疑者に出させる犯罪事実を認める旨の吟味詰(つま)りの口書の末尾の詰文言の一つで、叱り、急度叱り、手鎖、過料などの軽い刑に当たる罪の場合には「不束之旨吟味受、可申立様無御座候」のように詰めた。

*聞訟秘鑑一口書詰文言之事(古事類苑・法律部三一)「御叱り、急度御叱り、手鎖、過料等に可 成と見込之分は、不束或は不埒と認、所払、追放等にも可 成者は、不届之旨と認」

*「不束或は不埒」・・御叱り、急度御叱り、手鎖、過料。

*「不届」・・所払、追放。

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