森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

2017年02月

2月町吟味役中日記 注記

(47-2)「某(それがし)」・・ここでは、自称。他称から自称に転用されたもの。もっぱら男性が謙遜して用い、後には主として武士が威厳をもって用いた。わたくし。

 なお、他称に用いる場合も多く、「なにがし」と読む。名の不明な人・事物をばくぜんとさし示す。また、故意に名を伏せたり、名を明示する必要のない場合にも用いる。

 ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の補注には、

 <「それがし」が自称にも用いられはじめたのは、「なにがし」の場合よりやや遅い>

 とある。

 *「某彼某(それがし‐かれがし・それがし-かがし)」・・他称。名がわからない、または、はっきり示さない場合、二人以上の人をさしていう。だれだれ。なにがしかにがし。それがしかがし。それがしそれがし。それかれ。

 *「某某(それがし-それがし)・・「それがしかれがし(某彼某)」に同じ。

 *「其此(それこれ)」・・他称。数多くの人や事物をさし示す。あれやこれや。

 *「其彼(それかれ)」・・他称。二人以上の名をそれと明示しないでいう語。

(47-2)<くずし字>「問合(といあわせ)」の「問」・・門構えが、「つ」のようになる。テキスト影印は、極端な「一」。なお。「問」の部首は、門構えでなく、「口」部。

(47-3)「申付(もうしつく)」・・ここは、終止形と見て、下二段動詞「もうしつく」。現代用語では、「付(つ)く」は、「付(つ)ける」。

(47-2)「申渡」・(47-3)「申付」・・「申」の5画目が長く、「申し」と「し」があるように見えるが、古文書では、「申(もうし)」には、「し」の送り仮名は、ほとんど付けない。

 「申入」「申上」「申候」「申立」「申遣」「申越」

(47-7)「乗馬(じょうば・のりうま)」・・乗るために用いる馬。

(47-78)「御側頭(おそばがしら)」・・藩主の側近職の奥用人支配下の役職。なお、勝馬自身、嘉永元年(1848)48日から同3(1850)7月まで、御側頭になり、そして、『御側頭御役中御用手控』、『番日記』(いずれも北海道大学附属図書館蔵)を残している。『番日記』は、嘉永3(1850)77日で終っている。「奥平履歴」にある「病気差重、存命無覚束候ニ付、御役御免奉願」は、この時期か。勝馬は、この年112日、没した。

(47-8)「依而(よって・よりて)」・・動詞「よる(寄)」の連用形に助詞「て」の付いてできた語。漢文の訓読から生じた。前の事柄が原因・理由になって、後の事柄が起こることを示す。だから。故に。

 ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』は、

 <(「よって」の)出現時期については、読み仮名・送り仮名が無い場合の「因」「依」「仍」を「よりて」「よって」のどちらに読むのか断定できないため、鎌倉時代初頭頃までさかのぼる可能性がある。>

 とある。

(47-8)「其刻(そのきざみ)」・・その時。その当日。そのおり。

*文明本節用集〔室町中〕「其刻 ソノキザミ」

(48-3)四ツ半時」・・午前11時頃。

(48-3)<欠字>「登城」・・「登」と「城」の間の空白は、尊敬の体裁の欠字。

 *多く使用される欠字・・①尊敬の動詞の前「被 仰付(おおせつけられ)」「被 申(もうされ)」「被 召(めされ)」「被 成(なられ)」「被 下(くだされ)」「被 達(たっせられ)

  ②「御」、「公」

  ③テキストのような「城」の前の欠字

(48-5)「下(さが)ル」・・目上の人や客などのいる前などから退く。退出する。

(48-6)「夕七ツ半」夕七ツ半

(48-8)「大塚伴博」・・P38は、「大塚伴亮」としている。

(48-9)「案内」・・事情、様子などを知らせること。しらせ。中古のかな文では、撥音「ん」を表記しないで「あない」と書くことが多い。本来、「案」は文書の写し、および下書きをいい、「案内」は案の内容を意味した。平安時代以後、内情、事情その他の意に転じて用いられている。漢語本来の意味としては「事件の内に・一件中に」などを指すが、日本では、上代・中古の格(律令を執行するための臨時の法令)、符(上級官司から下級官司に出す命令文書)等の古文書、記録、日記類の漢文あるいは変体漢文に盛んに用いられ、日本語として独自の意味をもつようになったもの。

(48-9)「相詰ル」・・「相(あい)」は接頭語。

    「詰ル」は、古文では、下二段活用「詰む」の連体形とすると、「詰(ツム)ル」で、連体止め。

    現代文法では、下一段活用の終止形で、「詰(つめ)ル」。

(49-2)(49-7)<くずし字>「いたし候」・・連綿体。行草書や、かなの各文字の間が切れないでつらなって書かれたもの。

(49-3)「知内村」・・上磯郡知内町。近世から明治39年(1906)までの村。北は木古内い村(現木古内町)、南は小谷石村(現知内町のうち)。

(49-6)「下役(したやく)」・・町奉行の吟味役配下の役職。本テキストは「吟味下役」(P37)としている。永田富智著「松前藩の職制についてー変遷とその特色―」(新北海道史編集機関誌『新しい道史 第11号』1965)には「下吟味役」とある。

(49-6)「梅沢由右衛門」・・松前藩町奉行配下の吟味下役。

(50-2)「古田八平」・・『松前藩士名前控』に、新組足軽として名がある。

(50-2)「岡田作兵衛」・・『松前藩士名前控』に、足軽並として名がある。

(50-3)「下着(げちゃく)」・・都から地方へくだり、その目的地に着くこと。

(50-3)「恐悦(きょうえつ)」・・ひどく喜ぶこと。

(50-4)「小川永郎」・・「栄郎」は「永節」か。小川永節は、松前藩医。

(50-5) <くずし字>「處」・・影印は、「処」の旧字体「處」。「人」のように見える最終画の「ノ」は、「虍」(とらがしら)の4画目の左払いの「ノ」。

 *<漢字の話>「処」の部首は「几」(きにょう・つくえ・かぜかんむり)

   「几繞(きにょう)」ともいうが、実際に「繞(にょう)」の位置にくる文字はない。

   「鬼繞(きにょう)」と同じ読みになりまぎらわしい。

   「几(つくえ)」を音符として、つくえの意味を含む文字ができるが、例は少ない。

   「かぜかんむり」ともいうが、9画の部首「風」があり、これまたまぎらわしい。

(50-6)「差下(さしくだ)シ」・・「差し下す」の連体形。「さし」は接頭語。下の方へ動かす。下方へ移動させる。ここでは、江戸から松前に帰着すること。

(50-6)「当着」・・「当」は、「到」の当て字で、「到着」か。

(51-5)「侍座(じざ)」・・貴人や客など上位の人のおそばにすわること。

(51-8)「柏屋利兵衛」・・「柏屋」は、場所請負人藤野四郎兵衛の屋号。商標は又十。「利兵衛」は、「喜兵衛」か。藤野嘉兵衛(柏屋)は、藤野四郎兵衛の松前における営業名。代々喜兵衛を以て営業した。近江国愛知(えち)郡日枝(ひえ)村(現滋賀県犬上郡豊郷町)出身の近江商人。

(51-9)「萬屋増蔵」・・「萬屋」屋号。商標は、山十。場所請負人宮川増蔵。藤野の義兄にあたる。

(52-1)「抱女(かかえおんな)」・・芸娼妓や茶屋女で、年季契約などでかかえられた者。かかえ。

(52-45)「可相成(あいなるべく)」・・「あい」は接頭語。「なるべく」は、動詞「なる(成)」の終止形に、可能の助動詞「べし」の連用形が付いてできた語。もしできるなら。なるべくは。

(52-2)「相対死(あいたいじに)」・・心中、情死のこと。心中が、近松などの戯曲により著しく美化され、元祿頃から流行する傾向にあって、風俗退廃の大きな原因となったため、八代将軍吉宗が心中に代えて使わせた語。

 *心中・・もともと心中とは心の誠ということで、「心中立て」はこの意味の語である。、心の中の誠を具体的に表現する必要から、放爪(ほうそう)、断髪、切指(指を切り落とすこと)、貫肉(股(もも)などを刃物で突くこと)など身体の一部を傷つけたり、切り取って相手に渡したり、または互いの名をいれずみしたりする風習がおこり、これらの手段を心中というようになった。このなかで互いの生命を賭(か)ける心中死は、心中の極致と考えられ、やがて心中は心中死(情死)を意味するに至った。この変化は、およそ元禄(16881704)前後のことと考えられるが、ちょうどそのころ京坂を中心に情死が多発している。情死事件が起こるとすぐに読売り祭文や近松の浄瑠璃につくられ、それがまた次の情死の誘因ともなった。情死者が斬新な死の手段を考えたことは、明らかに自分たちの死の効果を予想したものであった。

  この風潮に対して、江戸幕府は享保7(1722)に心中死の取締り規則を定め、公式には相対死(あいたいじに)と称するようにした。その罰則は、情死者の死骸取捨て、未遂者の非人扱い、また1人が死亡のときは相手は死刑、さらに、主従関係(主人側は軽い)や男女(女は軽罪)の差異が認められた。

(52-6) <くずし字>「今」・・ひらがなの「て」のようになることがある。

 ここの「今」は、副詞で、「さらに。その上に。あと。もう。」の意味。

 ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』には、

 <古くは、挙例「万葉」「古今」の「今二日」「今いくか(幾日)」も、この現在の瞬間に連続する同質時間としての二日・幾日といった意味であったと考えられ、挙例「土左日記」の「いまひといろ(一色)ぞたらぬ」も、現在のこの状況(「いま」)においては、五色には一色足りないという意味で使われていたものととらえられる。>とある。

 *「いま一息(ひといき)」・・もう少し。あとちょっと。

 *「いまひとつ」‥もう一つ。更にもう少し

 *「いま一度(ひとたび・いちど)」・・もういちど。もういっぺん。今いちど。

  **「小倉山峯のもみぢば心あらば今ひとたびの御幸またなむ〈藤原忠平〉」(『拾遺和歌集』

魯夷始末書2月学習分注記

64-1)「四拾三人」・・異本(『北蝦夷地御場所江異国人上陸ニ付見分御届書』)では、「四拾六人」としている。

64-7)「右之外近所住居罷在候処」・・異本では「右之外遠近所々住居罷在候蝦夷人共弐百五十九人クシユンコタン外四ケ所漁場働いたし罷在候処」としている。

64-8)「愚昧(ぐまい)」・・愚かで道理にくらいこと。また、そのさま。

64-8)「驚動(きょうどう)」・・驚き動揺すること。驚きさわぐこと。

64-9)「差而(さして)」・・副詞。「然して」。(動詞「さす」の連用形に助詞「て」のついた形から、下に打ち消しの語を伴って)、「それほどでも~ない」の意。

6410)「一通(ひととおり)」・・はじめから終わりまでざっと。ひとあたり。

64-1)「生立(おいたち)」・・生まれながらの性質。生まれつき。

65-1)「不相開(あいひらかず)」・・「開く」は「啓く」と同義で、暗愚を解消するの意。

65-1)「一図(いちず、いっと)」・・「一途」とも。一つのことだけに打ち込むこと。ひたむき。ただそればかり。

65-2)「存込(ぞんじこみ)」・・動詞「存込む」の連用形。「存込む」は「思い込む」の謙譲語。

65-2)「解兼(ときかね)」・・動詞「解く」の連用形+動詞「兼ねる」の連用形。「解く」は、人の気持ちをほぐす。気持ちや感情をやわらげる。「兼ねる」は動詞の連用形について、「~しようとしてもできない。~することに堪えられない」の意。

     したがって、気持ちや感情を和らげることができない状態をいう。

65-2)「風俗(ふうぞく)」・・日常生活上のしきたり。ならわし。

65-2)「本蝦夷地」・・蝦夷島(北海道)の内、道南の松前、箱館近在の松前地(和人地、シャモ地とも。)を除く、東蝦夷地と西蝦夷地を指す。なお、蝦夷地一円(松前地、東・西蝦夷地)は、明治二年(1869)八月十五日、「北海道」に改称され、11国86郡に画定された。

65-3)「上国(じょうこく)」・・文化の進んだ、優れた国。また、豊かな国。元来は、令制で、国を管郡数・戸口数などにより四等級に分けたその第二位の国の称。山城・摂津など。大国・中国・下国に対していう。

65-3)「風意(ふうい)」・・ならわしと考えかた。

65-4)「北蝦夷地」・・樺太島。奥蝦夷とも。幕府は、文化六年(1809)六月、「樺太島をいご北蝦夷地と唱えるべき旨を命じ」(松田伝十郎著『北夷談』)、明治二年(1869)八月、北蝦夷地を樺太と改称(『北海道史』)。なお、𠮷田著『大日本地名辞書』では、「文化六年、幕府の北辺経営にあたり、唐太を改号して北蝦夷と曰ふ。幕府公文書多く之を用ゐしも、爾餘には、カラフトと幷び行はれたり。」、「文化以前には、~ 東西両海岸に分ちて、その北岸なる(今北見国)地方にも泛称したり。~ 奥蝦夷といふ。」とある。  

65-4)「纔(わずか)」・・<漢字の話>『字通』の解字に<「纔は淺きなり。読みて讒(ざん)の若(ごと)くす」という。色の浅いことから、「わずか」の意があるとするものであろう。>としている。

     また、ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』は、同訓異字として、次のようにある。

     【僅】(キン)ほんのすこし。すこしばかり。特に、数が少なくわずか。「僅差」「僅僅」「僅少」《古わずかに・すくなし・ほとんど》

【纔】(サイ・サン)色のまじったきぬ。転じて、どうにかこうにか足りるくらい。かろうじて。やっと。特に、量がわずか。どうにか。かつかつ。《古わつかに・わづか・つひに》

【才】(サイ)「纔」に同じ。《古わづか》

【些】(サ)ふぞろいに並べる。転じて、いささか。いくらか。すこし。「些細」「些事」「些少」「些末」

【涓】(ケン)しずく。小さい流れ。転じて、量がきわめてわずか。ほんの少し。「涓涓」「涓埃」《古みづたまり・あひだ・あはひ》

【財】(ザイ)価値あるもの。たから。転じて、「纔」に同じ。「財足」《古わづかに》

【毫】(ゴウ)細い毛。転じて、ごくわずか。ほんのすこし。ちょっぴり。「毫末」「毫毛」「一毫」「白毫(びゃくごう)」《古ふむで・ふで》

【錙】(シ)古代中国で重さの単位。転じて、目方がわずか。価値があまりない。また、物事がこまかくかすか。微細だ。「錙銖(シシュ)」

65-4)「而己(のみ)」・・副助詞。他を排除して、ある事柄だけに限定する意を表す。現代語では「のみ」に相当する助詞として、一般に「だけ」、「ばかり」の語が用いられる。

     *「而己」・・漢文の助辞。漢文では、文末におかれて限定・強意を表す。「のみ」と訓じる。「~だけである」「~にすぎない」の意味。「而己」よりさらに語気が加わった「而己矣」がある。

     夫子之道   夫子(フウシ)のみち、

     忠恕而己矣  忠恕(チュウジョ)のみ。  (『論語 里仁』)

     (先生の説かれる道は、まごころのこもった思いやり、ただそれだけである)

     *古田島洋介氏は、『日本近代史を学ぶための文語文入門 漢文訓読体の地平』(吉川弘文館 2013)のなかで、「のみ」は、「啻(ただ)に」や「独(ひと)り」と組み合わさって限定の意味であるが、「~なのである」と強調の意にもなることを念頭に置くべきと論じている。

 

65-4)「漁業働人足(ぎょぎょうばたらきにんそく」の「働」・

    *<漢字の話>「働」・・①国字。中国でも使用された。『字通』には『中華大字典』を引いて、「日本の字なり。通じて之れを読むこと動の若(ごと)しとみえる。」とある。

②解字は「人が動く。はたらくの意味を表す」(『新漢語林』)。なお、旁の「動」について、『字通』は「農耕に従うこと」とあり、「力は耒(すき)の象形。童僕が耒を執って農耕に従うことをいう」とある。『新漢語林』は、「力+重。おもい喪のに力を加えて、うごかすの意味を表す」とある。

65-5)「僻(へき、ひが、ひがみ)」・・「僻」は、ひがむこと。素直に見ないで、疑い曲解すること。また、その見解。異本は、「仕癖」とある。

65-5)「妄(もう)し」・・「妄」は、つつしみのないこと。みだりなこと。また、真実でないこと。また、そのさま。異本は「安(やすん)じ」とある。

65-5)「別而(べっして)」・・とりわけ。特別に。

65-5)「偏国(へんこく)」・・都から遠い国、地方。偏境。

65-5)「領主」・・松前藩主。

65-6)「専要(せんよう)」・・極めて重要なこと。またそのさま。肝要。

65-6)「儀」・・異本は「哉」としており、こちらの方が文意に添うか。

65-6)「仕置(しおき)」・・江戸時代、罪人を処罰すること。また、その刑罰。

65-7)「咎(とがめ)」・・非難。処罰。罰。

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