(69~2-2)「某(それがし)」:自称。他称から自称に転用されたもの。もっぱら男性が謙遜して用い、後には主として武士が威厳をもって用いた。わたくし。「それがし」が自称にも用いられはじめたのは、「なにがし」の場合よりやや遅い。

  *他称。名の不明な人・事物をばくぜんとさし示す。また、故意に名を伏せたり、名を明示する必要のない場合にも用いる。

  *「某某(なにがしくれがし・それがしかれがし・なにがしかがし・ぼうぼう)」:だれそれ。なにがしそれがし。

某某と数へしは頭中将の随身、その小舎人童(こどねりわらは)をなむ、しるしに言ひ侍りし」〈源・夕顔〉

(69~2-3)「殿様(とのさま)」:松前藩10代藩主・章広(あきひろ)。

  *「殿」の表わす敬意の程度が低下し、それを補うために、「様」を添えてできたもので、成立事情は「殿御」と同様。室町期に「鹿苑院殿様」のように、接尾語「殿」に「様」を添えた例があり、この接尾語「殿様」が独立して、名詞「殿様」が生まれた。

(69~2-3)「御参府(ごさんぷ)」:江戸時代、大名などが江戸へ参勤したこと。章広は、この年、1012日松前出帆、118日江戸着、15日将軍家斉に拝謁している。

  *松前氏の参勤交代の様相(『松前町史』より):

  ①.初期は、参勤の間隔が長く、かつ、かなり不規則だった。

    *寛政12(1635)、参勤交代を制度化(武家諸法度)

イ. 寛永13年(1636)~慶安元年(1648)までは、31

ロ. 慶安2(1649)~延宝6(1678)までは、61

ハ. 以後、元禄4(1691)まで、31

ニ. 元禄12年以降、61観。

  ②.梁川移封期の文化4年(1807)~文政4(1821)は、江戸参府は隔年参府であった。

  ③.文政4(1821)12月の復領に伴い5年目毎参府となった。

  ④.天保2(1831)1万石格の実現により、隔年参府。

  *「参府」の「府」:原意は、重要な書類、財物をしまっておく「くら」の意。転じて役所の意味に使われた。日本では、国司の役所が置かれていた所を表し、江戸時代、幕府のあった江戸をさしていう。「在府」「出府」など。

(69~2-3・4)「提重(さげじゅう)」:提重箱。提げて携帯するようにつくられた、酒器、食器などを組み入れにした重箱。小筒(ささえ)。

(69~2-7)「昨」:日偏が省略され、「﹅」になる場合がある。

(69~2-7)「夜」:決まり字。

(69~2-7)「夜五つ時」:午後8時。

(69~2-8)「他出(たしゅつ)」:よそへ出かけること。外出。他行(たぎょう)。

(69~2-8)「宿元(やどもと)」:泊まっている家。宿泊所。

(70-3)「面体(めんてい)」:かおかたち。おもざし。面貌。面相。

(70-5・6)「うづくまり」:「蹲(うずくま)る」の連用形。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の語誌に、

   <仮名づかいは、平安時代の諸資料から見ても「うずくまる」が正しいが、中世後期から「うづくまる」が目立ちはじめ近世には一般化、「和字正濫鈔‐五」も後者を採る。

  類義語「つくばう(蹲)」あるいは「うつむく(俯)」「うつぶす(俯)」などの影響が考えられよう。近世には「うづくまふ」の形が散見され、「つくばう」にも「つくまふ」「つくばる」の異形がある。>とある。

(70-8)「箪笥(たんす)」:ひきだしや開き戸があって、衣類・書物・茶器などを整理して入れておく木製の箱状の家具。

  *<(1)中国では、竹または葦で作られた、飯食を盛るための器のことを「箪」「笥」といい、丸いものが「箪」、四角いものが「笥」であった。

(2)日本における「箪笥」の初期の形態がどのようなものであったか知ることはできないが、「書言字考節用集‐七」には「本朝俗謂書為箪笥」とあり、近世初期には書籍の収納に用いられていたようである。

(3)その後、材質も竹から木になり、「曲亭雑記」によれば、寛永頃から桐の木を用いた引き出しなどのある「箪笥」が現われ、衣類の収納にも用いられるようになり、一般に普及していったという。>(ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』)

(70-8)「正金(しょうきん)」:強制通用力を有する貨幣。金銀貨幣。補助貨幣である紙幣に対していう。

  *影印の「正」は、つぶれている。

(71-1)「溝江弥太郎」:松前藩町奉行配下の町方。

(71-5)「」:「のみ」。漢文の助辞で、「のみ」は、漢文訓読の用法。ほかに、「すでに」「やむ」「はなはだ」の訓がある。

  *また、「以」と類似の用法で、「上」「下」「前」「後」「来」「往」などの語の前に置かれ、時や場所、方角、数量「已上」「已下」「已然」「已後」「已来」「已往」などの熟語をつくる。

  *影印の「已」は、「己」に見えるが、筆運び。

  

(71-9)「儀倉門治」:松前藩町奉行配下の町方仮勤。

(71―9)「小野伴五郎」:松前藩町奉行配下の町方仮勤。

 

(71-9)「東西在々」:東在(松前より東の村)と、西在(同西の村)。

(72-1)「家内(かない)」:妻。自分の妻を謙遜していう場合が多い。

  ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の語誌には、

  <「家庭」という言葉が一般に用いられるようになる明治中期以前は、「家内」や「家」がその意味を担っていた。明治初期の家事関係の書物には「家内心得草」(ビートン著、穂積清軒訳、明治九年五月)のように、「家内」が用いられている。

  現在では「家内安全」のような熟語にまだ以前の名残があるものの、「家庭」の意味ではほとんど使われなくなり、自分の妻を指す意味のみが残る。>とある。

(72-3)「壱夜宿」:売春すること。

(72-3)「手鎖(てじょう・てぐさり)」:①)江戸時代の刑罰の一つ。手錠をかけるところから起こった名で、庶民の軽罪に科せられ、三〇日、五〇日、一〇〇日の別があり、前二者は五日目ごとに、後者は隔日に封印を改める。

  ②江戸時代、未決囚を拘留する方法。手錠をかけた上、公事宿、町村役人などに預け、逃亡を防いだ。

(72-8)「処」:影印は、旧字体の「處」。『説文解字』では、「処」が本字で、「處」は別体であるが、後世、「処」は「處」の俗字とみなされた。その俗字の「処」が、常用漢字になった。

(73-3)「申口(もうしぐち)」:言い分。申し立て。特に、官府や上位の人などに申し立てることば。

(73-8)「旅籠屋(はたごや)」:宿駅で武士や一般庶民の宿泊する食事付きの旅館。近世においては、普通に旅人を泊める平旅籠屋と、黙許の売笑婦を置く飯盛旅籠屋とがあった。食糧持参で宿泊費だけを払う「木賃(きちん)泊まり」の宿屋に対して、食事付きの宿屋をいう。

  *語源は「旅籠(はたご)」(旅行の際、馬の飼料を入れて持ち運ぶ竹かご。また、食糧・日用品などを入れて持ち歩くかご)から。