以下の文は、山口謡司著『日本語の奇跡 <アイウエオ>と<いろは>の発明』(新潮新書)を主に引用したものである。

『万葉集』など上代の文献には、漢字を宛字として使った。世にいう「万葉仮名」である。
たとえば、柿本人麻呂の歌に「小竹之葉者・・」があるが、当時は、「つぁつぁのふぁふぁ・・」と発音されていた。「小竹」は、現在の「ひらがな」で置き換えると「ささ」となるが、当時は「つぁつぁ」と読まれていた。
当時の中国語では、「小竹」は「シアゥ・チゥック」という発音で読まれていた。しかし、日本語にもすでに、「小さい竹」を指して「つぁつぁ」という言い方があった。すなわち、当時の日本人は「小竹」という漢文の熟語を借用し、これに「つぁつぁ(現代の<ささ>」という発音を宛てた。この方法を「借訓(しゃっくん)」と呼ぶ。
「者」は、当時の中国語の発音では「チェイ」となるが、日本語の読みでは「は」と読まれる。「は」は、日本語になくてはならない主語を示す助詞である。
中国語にこのような助詞はないが、朱熹の『論語集注(ろんごしっちゅう)』で、「学」を説明するとき、「学者将以行之也」(学は、将に以て之を行うなり)という、使い方で「者」という漢字を前の語「学」を主語として示す言葉として使っている。つまりこれは、日本語の助詞と同様の使い方である。当時の日本人は、こうした文法的な用法も借りて宛字にした。この使い方も借訓にあたる。
李白の詩にある「夫、天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客」(それ、天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり)の「天地者」「光陰者」の「者」も「は」と訓じる好例といえる。