(91)「弟嘉十郎」・・嘉兵衛は、6人兄弟の長男で、弟に、上から、金兵衛、善兵衛、嘉蔵、嘉四郎、嘉十郎などがいた。嘉十郎は、一番下の弟。

(912)「嘉十郎来る」・・ここは、「嘉十郎(の船が)来る」の意か。異本は、「嘉十郎来り」とある。文書館解読文は、「嘉十郎、来る十四日に・・」とあるが、どうか。

(93)「申(さる)の時」・・午後4時前後の2時間。

(93)「ヲトイヤハシ」・・ヲトイマウシ。漢字表記地名「乙今牛」のもとになったアイヌ語に由来する地名。シベトロ南西の海岸に位置する。明治初年にヲトイマウシ、トウロ、ショッチキヤなどを包含してヲトイマウシ村が成立した。資料1参照

(945)「かかり居たり」・・懸り居たり。碇泊していた。「かか(懸)り」は、船が、いかりをおろしてまたは岸につながれてとまる。停泊する。

(96)「ヘツトウブ」・・別飛(べっとぶ)。オトイマウシの西、シャナの東位置し、北はオホーツク海に面する。資料1参照

(96)「サナ」・・シャナ。紗那。択捉島の中心村落。同島中部北西岸にあり、オホーツク海に面する紗那湾岸の海岸段丘上に位置する。紗那川の河口にあたり、良港をなす。第二次世界大戦前には村役場、無電局、測候所、全千島水産会、缶詰工場があり、紗那川上流に大規模なサケ・マス孵化(ふか)場が置かれていた。近海からはサケ、マス、タラ、クジラ、海藻類がとれ、夏には漁場が開かれ、多くの繰り込み漁夫でにぎわった。

 寛政12年(1800)幕府は近藤重蔵に命じて高田屋嘉兵衛に択捉島を開発させ、紗那に会所を置き、幕吏や津軽・南部藩兵が守備したが、文化4年(1807)ロシア人が会所を襲い焼いた。明治18年(1885)紗那郡役所が置かれた。その後、根室支庁(現根室振興局)管内の紗那郡紗那村を構成して終戦に至った。

(97)「フルヱベツ」・・フウレベツ。漢字表記地名「振別」のもとになったアイヌ語に由来する地名。ルベツの西方海岸に位置する。文化4(1807)のロシア船のシャナ襲来後、当地にエトロフ場所の会所が移され、仙台藩が勤番となった。資料1参照

(98)「此島中にての都(みやこ)」・・当時、フウレベツには、エトロフ会所が置かれていた。

(910)「一(ひと)とふり」・・一通り。最初から最後までざっと行なうこと。一回順を追うこと。また、その内容。ひとわたり。いちおう。

(94)「ヲトイ」・・オイト(老門)か。フウレベツ(振別)の西にある集落。資料1参照

(95)「ヲタシツ」・・ウタスツ。漢字表記地名「宇多須都」のもとになったアイヌ語に由来する地名。エトロフ島西部のオホーツク海に面した集落。資料1参照

(96)「ナイホウ」・・ナイホ。漢字表記地名「内保」のもとになったアイヌ語に由来する地名。エトロフ島西部のオホーツク海に面した集落。資料1参照

(97)「タ子(ね)モイ」・・タンネモイ。ナイホ。漢字表記地名「丹根萌」のもとになったアイヌ語に由来する地名。エトロフ島西部のオホーツク海に面した集落。資料1参照

(98)「つぎつぎに」・・次々に。

(99)「丑寅(うしとら)」・・北東の方角。

(99)「アトイロ」・・アトイヤ。漢字表記地名「安渡移矢」のもとになったアイヌ語に由来する地名。クナシリ島北東端の地。資料4参照

(910)「二百十日」・・雑節の一。立春から数えて210日目、91日ごろにあたる。台風襲来の時期で、稲の開花期にあたるため、昔から二百二十日とともに農家の厄日とされる。

(912)「セセキ」・・クナシリ島中部の太平洋岸の集落。資料4参照

(101)「トマリ」・・クナシリ西端のノツエト岬とケラムイ岬に囲まれた泊湾の奥にある集落。クナシリ場所の会所があり、南部家勤番所も置かれた。ネムロとの渡海地であった。

(105)「子(ね)モノ」・・子モロ。根室。

(105)「ノツケ」・・野付。

(103)「便り」・・便宜。手段。

(104)「アツケシ」・・厚岸。

(105)「向(ママ・臼か)の善光寺」・・伊達市有珠にある浄土宗の寺院。蝦夷三官寺のひとつ。本山は芝・増上寺。江戸期の歴代住職は、増上寺から派遣された。

(106)「信濃の善光寺」・・長野市にある無宗派の単立寺院である。山号は「定額山」(じょうがくさん)。現在は、山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって護持・運営されている。

(106)「信濃の善光寺の分身」・・等澍院文書に、寺院建立地に関して、興味深い書付がある。資料5(『等澍院文書第3巻 等澍院住職記』)等澍院初代住職に決まった秀暁から、本山の寛永寺に提出された文書で、それによると、①有珠には、古くから天台宗山門派の祖・慈覚大師(円仁)が開基した堂宇がある。②であるから、等澍院は、有珠に建立したい。③浄土宗の寺院の寺号を「善光寺」としたようだが、有珠の善光寺の場所へ建立したいのだと推察する。④そうなっては、元来天台宗の善光寺を、浄土宗に奪い取られたという噂から逃れることはできない。

(106)「増上寺」・・芝にある浄土宗の大本山。徳川家の菩提寺でもある。浄土宗は、徳川家の旦那寺である。

(106)「寺主(じじゅ・てらじゅ)」・・寺内の統制のために設けられた三綱という僧職の一。ここでは、住職の意。

(108)「乞いうけ」・・頼み込んでゆずりうけて。

(108)「回向(えこう)」・・仏事を営んで死者の成仏を祈る事。

(108)「永代供養(えいたいくよう)」・・本来は、子々孫々の代まで先祖を祀り供養する宗教行為を指していたが、現代では多くが墓園業者や寺院の営業用語として使われることが多い。

(111)「咎人(とがにん)」・・罪人。

(112)「いかが成(なる)か」・・(牢に入れられたことは)どのような理由によるものか。

(113)「巳(み)の時」・・午前10時ころ。「己」「已」「巳」の区別・・資料6

「己」「已」「巳」の区別・・資料6



(カタカナは、音読み、ひらがなは訓読み)



「己」

・キ・コ(の声)、おのれ・つちのと(下に付き

(用例)知己(ちこ)、自己(じこ)、己惚れ(うぬぼれ=おのれにほれる。転じて自負)

「已」

・イ・すでに、(半ばして)やむ・のみ(已而)

(用例)已上、已来、已後、無已(やむなし)、不得已(やむをえず)

「巳」

・シ・み(は、皆付く)

(用例)巳年、己巳(きし)戦争=明治2年の函館戦争。