(66-1)「しめし」・・示。教え。

(66-2)「異国」・・影印の「己」+「大」の字は、「異」の異体字。(『くずし字用例辞典』P703参照)

(66-3)「さる」・・連体詞。動詞「さ(然)り」の連体形から。(前の事柄を受けて)そのような。そういう。

(66-2)「異国」・・影印の「己」+「大」の字は、「異」の異体字。(『くずし字用例辞典』P703参照)

(66-7)「日々(ひび)」・・毎日。

(66-8)「凪(なぎ)」・・国字。ジャパンナレッジ版『字通』には、<「和(な)ぐ」の名詞形。〔万葉〕には「夕薙」のようにしるしており、凪という字は〔文明本節用集〕などに至ってみえる。凩(こがらし)・凧(たこ)なども、みな同じ造字法で、風の省文に従う。卜文では風はもと鵬の飛ぶ形に作り、音符として(凡)(はん)を加え、それがのち風の字となった。>とある。一方、ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の親見出し「凪」の項の補注には、<上二段活用動詞「なぐ(和)」の連用形の名詞化したものであるならば、「なぎ」の「ぎ」は上代、乙類音でなければならないが、「朝なぎ」「夕なぎ」の万葉集例は、「ぎ」を甲類音を表わす字で記しているので、四段活用動詞の連用形の名詞化したものである。そこで、水面がなぎ倒されたように平らになることで、「なぐ(薙)」の連用形の名詞化とする説もある。また、「万葉‐六・一〇六二」に「夕薙(ゆふなぎ)」という表記がある。>とある。なお、「風」部の国字には、「六甲颪」の「颪(おろし)」がある。

(66-8)「戌(いぬ)の時」・・午後8時ころ。

(66-9)「ねぶり」・・動詞「ねぶる(眠)」の連用形の名詞化。ねぶること。ねむり。

(66-9)「ねぶく」・・ク活用形容詞「ねぶし」の連用形。

(66-10)「重吉がうしろに」・・「重吉が」の「が」は、連体格の格助詞。「~の」。ここは、「重吉のうしろに」。

(66-11)「装束(しょうぞく・そうぞく)」・・特別な日のために身支度すること。

*<漢字の話>「装」・・「装」の発音は、「ショウ」が漢音、「ソウ」が呉音。「装」を「ショウ」と漢音で読む例は、手元の漢和辞典では、上接語では皆無。下接語で「衣装(いしょう)」のみ。

(66-11)「ひたゝれ」・・「直垂」を当てる。方領(ほうりょう)・闕腋(けってき)の肩衣(かたぎぬ)に袖をつけた衣服。袴と合わせて着用する。元来は庶民の労働着であったものが、平安末期から武士の日常着となり、水干にならって鰭袖(はたそで)・袖括(そでぐくり)・菊綴(きくとじ)が加えられ、鎌倉時代には幕府出仕の公服となり、室町時代には公家も私服とした。また、江戸時代には風折烏帽子をかぶり、袴を長袴として礼服となり、式日の所用とされた。

(67-1)「烏帽子(えぼし)」・・「えぼうし」の変化した語。「烏」は、「からす」。烏塗(くろぬり)の帽子の意。元服した男子の用いたかぶりものの一種。令制の朝服付属の冠に対し、貴賤の別なく、成人の男子の日常不可欠のかぶりものとされた。

(67-1)「ゑぼし」・・「烏帽子」のふりかな(ルビ)に、「ゑぼし」とある。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の「語誌」に、<語頭字について「え」か「ゑ」かという論争が江戸時代以降ある。明治時代でも、物集高見、落合直文などは「ゑぼし」とし、大槻文彦は「えぼし」とした(国語調査委員会「疑問仮名遣」)。>とある。

*「ルビ」について

 「ジャパンナレッジ」のコラム「日本語どうでしょう!~知れば楽しくなることばのお話~」に小学館国語辞典編集部編集長の神永暁(かみなが・ぎょう)氏のエッセイ<「ルビ」は英語だが、英語に「ルビ」はない>がある。以下に引用する。

<小学生向けの国語辞典は現在10社ほどの出版社から刊行されているのだが、そのほとんどが総ルビになっている。総ルビというのはすべての漢字に振り仮名が付いているということである。なぜ小学生向けの辞典がそのようになっているのかというと、小学生の間に広まっている「辞書引き学習」に、低学年からも取り組めるようにという配慮なのである。「辞書引き学習」の開発者である深谷圭助氏は、講演会やワークショップなどで必ず「総ルビの辞書を買ってください」と呼びかけている。
 ところがあるとき、会場にいた保護者から「ルビってなんですか?」という質問があった。
 確かに編集に関わっている人間にとっては「ルビ」はふつうに使われる語なのだが、一般の方にはあまり馴染みのない語だったのかもしれない。ましてや、なぜ振り仮名を「ルビ」と言うかなどということをご存じの方は、あまりいらっしゃらないであろう。
 「ルビ」は元来は印刷用語で、振り仮名用の活字の名称だったのである。振り仮名の起源は平安時代初期に漢文に付けた訓点(漢文を訓読するための手がかりとして、漢字の上や脇に書き入れる文字や符号)に始まると言われている。後に漢字の読みを示すために脇に付けた平仮名を「振り仮名」と呼ぶようになり、さらに活版印刷が主流になった明治時代になって「ルビ」とも呼ばれるようになったのである。
 この「ルビ」は英語の「ルビー(ruby)」、すなわち宝石のルビーに由来する。英語ではやはり印刷用語として、5.5ポイントの大きさの活字を「ruby」と呼んでいたのである。
 だが、もちろん英文に振り仮名が存在するわけではない。ではなぜ振り仮名=ルビになったのかと言うと、日本で五号活字(「号」は活字の大きさを表す単位。数が多くなるほど小さくなる。現在はほとんど使われない)の振り仮名として用いた七号活字が、欧文活字のルビーとほぼ同じ大きさだったところからこのように呼ばれるようになったというわけである。あくまでも日本での呼び名なのである。
 だが、手許の国語辞典で「ルビ」を引いてみると、「ルビ」の起源に言及せず、単に「ruby」という英語を示すだけのものがある。英語に「ruby」という語は存在しても、振り仮名の意味ではないのだから、日本独特の「ルビ」の起源について触れる必要があるのではないかと思う。>

(67-1)「の給ふ」・・普通は、「宣(のたま)ふ」。「曰(のたま)ふ」も使われる。動詞「のる(宣)」に四段活用動詞「たまう(賜)」の付いた「のりたまう」の変化したもの。上位から下位へいう、告げ知らせるの意を表わすのが原義。

(67-2)「かならず」・・「かならず」は、「間違いなく」の意味のほかに、特に、否定表現を伴って、確言、強制、確信が、絶対的ではないことを表わす。絶対に…(というわけではない)。きっと(…とは限らない)。ここは、「決して急いで乗るべきではない」。

(67-2)「せき込(こみ)て」・・あわてて。急いで。「せき込む」は、「急(せ)き込む」。心がせいていらだつ。せいて気をもむ。あせる。

(67-3)「給(たま・たも)う」・・①「タ・マ・ウ」と3音で発音しても、②「タ・モー」と2音で発音してもいいかと思うが、②の「タモー」は、ウ音便の例。古文調に発音する場合は、この②のウ音便が使われる。現在でも、関西では、ウ音便になる場合が多い。その例として、「笑(わら)う」が、「ワロー」、「習(なら)う」が、「ナロー」と発音する。なお、『くずし字用例辞典』は、「たもう」とウ音便を採用している。(P825

(67-4)「船玉(ふなだま)」・・船霊、船魂とも。船の守護神。古代から船乗りのあいだで信仰され、はじめ住吉の神を祭神としたが、のちには仏教の影響を受けて神仏混交の形をとり、大日・釈迦如来、聖観音などの諸説も現われ、また船の主要部一二か所にそれぞれ一体をあてて、十二船霊とも唱えるようになった。近世の船霊祭文によると、十二船霊は、舳が馬頭観音、帆が白衣観音、舵が如意輪観音というようにすべて観音とするものや、天照大神・春日大神・北野天神・貴船明神などの神を混ぜるものもあり、船匠の流儀による相違が目立つ。船中でまつるには、帆柱の受材である筒(つつ)の下部に小穴を二つあけ、納物として夫婦雛・髱(かもじ)・麻を左側に、賽(さい)二個・五穀・銭一二文を右側に封入する。これを筒納めまたは神入といい、筒立祝という造船儀礼中最高の行事とされる。

(67-4)「さり給ふ」・・去り給う。去ってしまわれる。

(67-5)「打歎(うちなげ)く」・・悲しみ。「打(うち)」は接頭語。動詞に付いて、その動作・作用を強めたり、語調を整えたりする。また、少し、ちょっと、の意を添えることもある。「うち続く」「うち興ずる」など。

 *<漢字の話>「歎」と「嘆」・・「嘆」は、「歎」の書きかえ字。「歎」の部首は、「欠(あくび)」で、「あくび」部の字。「欠」の解字は人が口をあけている象形。口をあける、あくびの意味をあらわし、「欠」だけで、「あくび」と訓じる場合がある。普通、「あくび」は「欠伸」を当てる。

(67-5)「燈火(ともしび)」・・異本は、かなで「ともしび」に作る。

(67-6)「別れぬる」・・きっとわかれるだろう。

*<文法の話>「ぬる」・・「ぬる」は、完了の助動詞「ぬ」の連体形。「ぬ」は、普通、「完了の助動詞」というが、「~してしまった」という完了の意味ばかりでなく、「まさに・・」「きっと・・」「たしかに」などの強意、叙述を強める働きもする。

(67-8)「船玉のさるといふ事」・・「船玉の去るという事」。「船玉の」の「の」は、格助詞で、「~が」と主格を表わす。ここでは、「船玉が」。この項は、「船玉の去るという事」の説明で、「難船ある時に」につながり、69ページの7行目までが、注記になっている。「惣而」から、11行目の「船玉というなり」までは、さらに、「船玉」の説明をしている。

(67-8)「惣而(そうじて)」・・一般に。概して。

(67-9)「建(たつ)る」・・建てる。「「建(たつ)る」は、下2段他動詞「達(た)つ」の連体形。

(67-9)「紙雛一対(かみひないっつい)」・・前掲『船長日記補説』に「神体は桧の一刀掘りにて、立(たて)びなの形に女男二神を造るのであるが、之れを略して紙の折びなを造ることもある」と書かれている。影印テキストに「紙雛」とあるから、督乗丸の場合、「紙の折びな」男女一対が船玉であったのだろう。

 *<内裏さま(男雛)とお雛さま(女雛)の位置>・・京都御所の紫宸殿は、南向きに建てられている。太陽は、東から昇る。この太陽の光を最初に受ける側、すなわち、向かって右側(天子から見て左)を日本では上座としてきた。すなわち京都では、日本の昔の上座に習った飾り方をしている。その他の地域では、お内裏様を向って左側に、お雛様を向って右側に飾っているお店がほとんど。それは、大正天皇の即位の礼の時に西洋式に天皇が左、皇后が右に立った時点から関東圏を中心に全国に広まった飾り位置。また、今日では、生活の中でも西洋式の男女の位置が一般化しているので日本人形協会では、協会加盟店統一の標準飾り方とした。雛祭りは、その行事が受け継がれてきた地方や家ごとの歴史や伝統をうつして、さまざまなかたちで伝えられてきた。そうしたことから考えるとお内裏様の位置が違ってもどちらも間違いではないといえる。(この項は、日本を代表する大型人形専門店・株式会社モリシゲのホームページ参照)

 なお、内裏が向って右(お雛様から見て左)に立つのは、内裏の腰に差した刀がお雛様に当らないように配慮したためという説もある。

 左大臣と右大臣では左大臣の方が上位。国会のいわゆる「ひな壇」は、総理大臣が右(向かって左)に座っているのは、西洋式。

 *<漢字の話>「雛」・・①部首は、「隹(ふるとり)」で、「鳥」と区別する。解字は、偏の「芻」は「走」に通じ、こばしりするの意。こばしりするとり、ひなの意味を表す。

②「隹」を音符として、とりに関する文字ができている。「隼(はやぶさ)」、「雀(すずめ)」、「雁(がん・垂=たれ=は、厂だが、雁は、ガンダレでなく、隹=ふるとり=)」、「雉(きじ)」など。

③「隹」をなぜ「ふるとり」というか・・「隹」は、「舊」(新字体は「旧」。ふるいの意味。)に使われているからいう。ところが、「舊」の部首は、「隹」でなく、「臼(うす)」部。

④「隹」と「鳥」の相違・・ジャパンナレッジ版『字通』の「隹」の項に、

<鳥の形。〔説文〕四上に「鳥の短尾なるものの名なり」という。卜文では、神話的な鳥の表示には鳥をかき、一般には隹を用いる。>とある。また、「鳥」の項には、

<鳥の全形。その省形は隹(すい)。〔説文〕四上に「長尾の禽(きん)の名なり。象形。鳥の足は匕(ひ)に似たり。匕に從ふ」とするが、字の全体が象形である。隹を短尾の鳥とするが、雉が隹に従うことからいえば、鳥・隹の別は尾の長短にあるのではない。卜文では神聖鳥のとき、鳥の象形字を用いることが多い。島と通用し、またその音で人畜の牡器をいい、賤しめ罵る語に用いる。>とある。

(67-9)「船主」・・督乗丸の船主については、本テキスト冒頭に、「尾張国名古屋納屋町小嶋屋庄右衛門船」とある。

(67-10)「双六(すごろく)」・・ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』には、

 <(1)盤遊戯の一つ。遊戯に用いる盤の大きさは一定しない。競技は二人相対して、それぞれ黒・白の駒一五個を一定の排列に従って並べ、長さ約一〇センチメートルの采筒に入れた二個の采を、交互に振り出して、現われた采の目によって駒を進める。駒の進め方には約束があり、相手の駒をとることもできる。こうして、早く相手方の地内(じない)に駒を進め終わった方を勝ちとする。二個の采の目には慣用の呼称があり、同じであった場合、重一(でっち)・重二(じゅうに)・朱三(しゅさん)・朱四(しゅし)・重五(でっく)・畳六(じょうろく)などと呼ぶ。競技法には、本双六のほか、枡、追回し、大和、下り端など種々あり、競技によって使用する駒の数や排列にもちがいがある。

 (2)紙面に多くの区画をつくって絵を描き、「振り出し」と「あがり」の場を定め、数人で一個の采を順々に振り、出た目の数によって駒を進めて、早く「あがり」に到達したものを勝ちとするもの。絵双六の類。仏法双六が古くおこり、浄土双六、名目双六、道中双六など種々のものが工夫された。>とある。

 また、語誌には、

 <(1)は、古くインドにおこったといわれ、唐代に中国から伝えられた。古来、単なる遊戯としてだけではなく、賭博(とばく)として行なわれることが多く、禁制がくりかえされ、近世後期にいたって衰退した。今日一般的に見られる(2)は、それと入れ替わる形で隆盛、定着した。>とある。

 さらに、語源説として、

 <(1)古言スグロクの転で、「双六」の唐音か。六箸を投げ、白棊・黒棊を六ずつ進ませるところから「双六」といった〔大言海〕。

(2)スグロクはス六からで、スはサウの反〔名語記〕。

(3)六を双(なら)べる意の漢語「双六」の字音から〔鈔・色道大鏡・箋注和名抄・名言通〕。

(4)四五六の義〔冠辞考続貂〕。

(5)石を六ずつならべる意から。スゴはならぶ意のスカウからか〔和句解〕。>を挙げている。

(67-10)「賽(さい)」・・ジャパンナレッジ版『字通』には、<塞(さい)の省文+貝。塞は呪具の工を多く用いて塞し、道路や境界の要所に土神を祀り、守護神とするもので、わが国で「塞(さえ)の神」というのにあたる。その神に貝などを供えて報賽することをいう。〔説文新附〕六下に「報なり」とあり、お礼参りする意。〔史記、封禅書〕に「賽して祠す」とあり、年末に鬼神を索(もと)めて報賽する。里社では田神に酒食を供した。賽ころは、もと神占の具であったが、のち勝敗を争う具となった。>とある。

(67-10)「置方あり」・・賽の置き方については、前掲『船長日記補説』参照のこと。

(67-10)「此三品を納置」・・テキストの「三品」は、①紙雛一対、②船主の妻の髪の毛、②双六の賽二つ。前掲

 『船長日記補説』では、「①神体、②五穀、③賽など」としている。

(68-12)「なきなり物とぞ」・・異本は、「なきものなりとぞ」に作る。テキスト影印は「物」が「なり」のうしろにあり、読みにくい。写しまちがいか。

(68-2)「難すべき」・・異本は、「難船すべき」に作る。テキストは、「船」欠か。

(68-5)「かゝり」・・繋(かか)り。「繋(かか)る」船が、いかりをおろしてまたは岸につながれてとまる。停泊する。

(68-6)「はしりかね」・・船乗りを相手にする遊女。鳥羽周辺の港は、大坂と江戸を結ぶ廻船の風待港として安乗・的矢・越賀・浜島・渡鹿野(わたかの)の諸港が繁栄し、渡鹿野などは遊楽地となり、はしりかねとよばれる遊女が船人の相手をした。『志摩のはしりかね』(岩田順一著)には、「志摩の鳥羽港にて水上売淫婦を云う、此遊女は小舟に乗りて入港の大船に至り、船頭に春を売り、尚船頭の望みによっては、十日間とか半月間とかの買切りにて、他の港へ往復する期間、船に乗り込むもあり、其船に乗れる間は、着物の仕立、雑巾綴り、ボロの繕いなどもする也」とある。また、三重県史編さん班のホームページ「歴史の情報蔵」には、<「語源についても、相手の船人たちの衣服の綻びも縫うという「はりしかね(針師兼)」の転訛とか、港に船が入ると遊女たちは急いで船出の準備をし、走りながら鉄漿(おはぐろ)をつけたからだとか、「はしり」は最初のとか真新しいの意味で、江戸~大坂の中間に位置する鳥羽は船人たちの最初の消費地だったとか、さらには、「走り蟹」とか、動き働いて金を得るからとか、様々な説があげられています。>とある。

(68-7)「寝わすれて」・・「寝忘れる」は、寝ていて時の過ぎるのに気づかなくなる。ねすごす。

(69-12)「成にけれぞ」・・異本は「なりにけり」に作る。テキスト影印は、文法的にも不明で、読みにくい。

(69-3)「早手(はやて)」・・「て」は風の意。急に激しく吹き起こる風。陣風。しっぷう。はやてかぜ。はやちかぜ。はやちのかぜ。はやち。

 <て(風)>・・風の意で、動詞の連用形や形容詞の語幹などと熟合して、そのような風(かぜ)である意を表す。「追いて」、「はやて」。

(69-45)「船玉の女に化して」・・「船玉の」の「の」は、主格を表わす格助詞。「~が」。ここでは「船玉が」。

(69-6)「重吉が夢にも」・・「重吉が」の「が」は、連体格の格助詞。「~の」。ここでは、「重吉の」。

(69-8)「丑時(うしどき)」・・夜半の2時ころから4時ころの間。なお、「丑三(うしみつ)」は、丑の刻をさらに四つに分けた第三刻。定時法では、おおよそ今の午前二時から二時半ごろ。不定時法では、おおよそ午前一時から二時頃まで、江戸時代後半にはおおよそ午前二時から三時の間。転じて、真夜中。丑三時。

(70-1)「紙燭(ししょく・しそく)」・・小形の照明具。紙や布を細く巻いてよった上に蝋を塗ったもの。手火の一種。ときに芯に細い松の割り木を入れた。古くは「脂燭」と書いたが、持つところが紙であるところから、「紙燭」とも書かれるようになり、中世以降はもっぱら後者の表記になった。太さ3センチメートルほどの棒状のマツの木を長さ45センチメートルぐらいに切り、あらかじめ先のほうを炭火で黒く焦がし、その上に着火しやすいように油を引いて乾かし、手元を紙で巻いて用いたところから紙燭といわれる。図は、ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』より。

(70-1)「隅々(すみずみ・すまずま・くまぐま)」・・方々のすみ。すべてのすみ。また、まんべんなくあらゆる方面。

(70-4)「明(あけ)はなれて」・・すっかり夜が明けて。「明け離れる」は、夜がすっかりあける。

(70-5)「唐船(からふね)」・・一般的には、中国の船。ここでは、外国船の意。

(70-5)「覚(おぼ)しくて」・・(唐船と)思われる。「覚(おぼ)しく」は、「覚(おぼし)」の連用形。「覚(おぼ)し」は、助詞「と」を受けて、どうやら…と思われる。そう見受けられるさまである。

(70-9)「ならでは」・・(多く、下に打消しの語を伴って)…でなくては。…以外には。

(70-11)「船だに」・・異本は、「だに」のあとに、「浪に隠れて見えぬなりとぞ」がある。「だに」は副助詞。程度の甚だしい一事(軽重いずれの方向にも)を挙げて他を類推させる。類推される事柄が、「況や・まして」の語に導かれて示される場合もある。本来は「すら」の用法であったが、中古以後「すら」を圧倒する。…さえ。…までも。

(71-2)「まねき」・・招。船から他船または陸地に対し、合図のため掲げる標識。近世の船方では、漂流船などが救助を求めるために掲げる標識をいい、適宜手元の筵、布、笠などを棹の先端につけて立てた。図は、ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』より。

 

(71-4)「たび給へ」・・賜(た)び給え。補助動詞として用いる。動詞または動詞に「て」の付いたものにつく。(命令形で)どうか…して下さい。

(71-5)「ねじむく」・・捩じ向く。ねじってその方に向く。

(71-10)「所詮叶わず」・・どうせ、生きてはいれない。

(71-10)「千しん万苦」・・千辛万苦(せんしんばんく)。いろいろと苦しむこと。さまざまの難儀や苦労にあうこと。非常に骨を折って苦労すること。また、その苦労。