(78-1)「船の内(なか)」・・異本は、「内」を「中」に作る。

ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の語誌には、<「うち」は閉鎖的な意をもつ「隠る」「籠る」「籠む」「埋もる」などの動詞と共存しやすく、逆に「明示的な中心部」の意をもつ「なか」はそれらと共存しにくい。しかし、こういう「うち」「なか」の区別がいつごろまで続いたかは、はっきりしていない。>とある。

(78-1)「あらためて」・・調べて。「あたたむ」は、①変更を加える。②改善する。③威儀をただす。④禁止する。⑤改易する。⑥新しく別の機会をつくる。⑦取り調べる。検査する。吟味する。などの意味があるが、ここでは⑦.

(78-1)「重吉が手道具」・・「重吉が」の「が」は、連体格の格助詞で、「・・の」。ここは、「重吉の手道具」の意味。

(78-1)「手道具」・・身の回りの小道具や調度。手具足。

(78-2)「やゝ巳の時頃に」・・「やっと巳の時頃に」。「やゝ」は、漢字では「稍・漸」。①次第に。②ちょっと。③しばらくの間。④ややもすると。⑤やっと。などの意味があるが、ここでは、⑤.

(78-2)「巳の時」・・午前10時ころ。なお、影印は、「巳」が「己」のように見える。古文書では、「巳」は、多くは、「己」の形が多い。

(78-3)「黒坊(くろんぼう)」・・黒色人種をいう蔑称。黒人。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の「黒坊」の補注に<「信長公記‐一四」の天正九年(一五八一)二月二三日の条に「きりしたん国より黒坊主参り候〈略〉惣の身の黒き事、牛の如く」とあるのが黒人を描写した最も古い文献と思われる。>とある。また、同語源説に、<クロは、セイロン島の地名コロンボ(崑崙)からで、コロンボの人の膚色が黒いところから黒の意に転じた〔日本書紀通証・言元梯・大言海〕。>とある。

 *<文法の話>「黒坊」を「くろんぼう」と読むときの「くろん」の「ん」について・・「黒(色)の坊(主)」。「ん」=「の」。格助詞「の」の変化した語。話しことばで用いる。体言を受け、その体言が下の体言を限定することを示す。

(78-3)「持来(もちきた)り」・・「持」は、「物」の訂正。「物」の左に「ニ」の記号があるが、見せ消ち記号。

(78-4)「午時(うまどき)」・・正午ころ。

(78-4)「さ鉢」・・皿鉢。「浅鉢(あさはち)」の略。浅くて大きな鉢。磁器の浅い鉢。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』は、語源説に、<(1)アサハチ(浅鉢)の上略か〔大言海〕。(2)沙鉢の義。沙は浅い物をいう語〔和訓栞〕。>を挙げている。

(78-45)「小麦団子」・・小麦粉で作った団子。餡(あん)や甘辛いしょうゆ餡をつけて食べる。

 *<漢字の話>「麥」と「来」・・

①ムギは紀元前十世紀頃、中央アジアから周にもたらされた植物で、周の人々は、これを神のもたらした穀物として珍重し、「来(ライ)」と呼んだ。「来」は、もともと、穂が左右に出たムギを描いた象形文字。「麥」は、それに「夂(足)」をそえたもの。遠くから歩いてもたらされたムギを表す。がんらい、「来」が「ムギ」、「麥」が「くる・もたらす」の意味をあらわしたが、いつしか逆になった。

②「麥」「麦」の部首は、「麥(麦)」。この部首に含まれる漢字に「麩(ふ・ふすま)」、「麹(こうじ)」、「麺(めん)」などがある。なお、大切な食べ物(植物)の漢字は、部首になっている。「米」「豆」はもとろん、「麻」「黍」も部首である。

(78-5)「切もちばかりに」・・切もちほどに。「ばかり」は、程度・範囲を表す副助詞。①ほんの…だけ。②ほど。ぐらい。の意味があるが、ここでは、②。

 なお、影印は、「切もちばかりにに」と「に」がふたつあるように見える。重複か。

(78-6)「蒲鉾(かまぼこ)」・・かまぼこの起源は不明であるが、平安末期すでに「蒲鉾」の名があったことが『類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)』にみえる。また、「蒲鉾はナマズ本也(もとなり)、蒲(がま)の穂を似せるなり」と伊勢貞頼(いせさだより)の『宗五大草紙(そうごおおぞうし)』(1528)にあり、植物のガマの穂に似ているところからこの名が出たようである。つまり、当初は後世の焼きちくわのようなもので、ナマズなどの身をすりつぶして竹串(たけぐし)に塗り付けて焼いた。天正(てんしょう)(157392)のころには、すり身を木の板に塗り付けて焼く、板付きかまぼこ(初めは、板かまぼことよんだ)が現れ、在来のガマの穂形のものは、その切り口の形からちくわ(竹輪)とよばれるようになった。江戸時代には、煮て熱を通すようになり、さらに味の抜けない蒸し煮法が一般的となった。原料は白身の魚で、初期にはナマズ、タイが多く用いられた。『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』(1695刊)には、タイ、アマダイ、ハモを上とし、ヒラメ、キス、ハゼ、イカなどがこれに次ぎ、フカやナマズは下品としている。名産地として仙台(宮城県)、小田原(神奈川県)、富山、大坂、宇和島(愛媛県)、仙崎(山口県)などがあげられ、それぞれ原料や製法に特色をもっている。全国的にサメが使われるほか、仙台ではキチジ、ヒラメ、小田原ではグチ(イシモチ)やオキギスを、大阪ではハモ、宇和島・仙崎ではエソ、グチ、キス、北日本ではタラ類を原料とする。しかし、最近ではスケトウダラからつくった冷凍すり身がよく用いられている。

 蒲鉾は元来既成保存食ではなく、手もちの魚や客人の数などを見あわせてその時々に作った即席料理の一種である。したがって早く火が中まで通る必要があるので、肉は薄い方が喜ばれ、水蒲鉾といわれる位軟かいのが本筋だった。漁業が発達してフカなど安価な魚で大量生産ができ、庶民の経済も向上した江戸時代中期からは既成保存食として重要な位置を占めることとなる。関東の蒸蒲鉾に対して上方に焼蒲鉾が発達したのは、漁港尼崎などで作ったのを京都へ運ぶ途中で痛まないようにしたためだと伝える。

 なお、「かまぼこ」の語源は諸説あるが、ガマ科の植物の花穂(かすい)が鉾(ほこ)の形に似ているところからいう。

(78-8)「臭き」・・

 *<漢字の話>「臭」・・常用漢字で、脚が「犬」から、「ヽ」を取り去り、1画少ない「大」になった。

 『漢語林』の解字を見ると、「犬」+「自」で、「自」は鼻の象形。「犬」は、鼻のはたらきのよい犬の意味。で、におい・においをかぐの意味を表す。「大」では、意味不明になる。

 同様に、「犬」が「大」になった常用漢字を挙げると、

 「戻」・・旧字体は、「戸」+「犬」。元来は、戸口にいる犬の意味から、あらあらしい・もとるの意味。国訓で「もどる」は、意味不明。

 「突」・・旧字体は、「穴」+「犬」。穴から急に犬が飛び出すさまを示す。「穴」+「大」では、意味不明。

 「涙」・・本来は、とぎれずにはらはらとつながる意味。

(78-9)「くわし」・・菓子。発音は、「クヮシ」。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の「菓子」の語誌に

 <(1)漢字「菓」の本字は「果」で、木の実の意味。「果子」「菓子」の熟語は中国より日本での使用例の方が古い。一方、古くはクダモノ(木の物の意)という語がほぼ同義で用いられており、「菓子」はクダモノの漢語的表現といえよう。

(2)挙例の「続日本紀‐天平八年一一月丙戌」のように、古くは橘などの果物を指していたが、大陸との交流が盛んになるにつれて、米や麦の粉に甘葛(あまずら)、飴、蜂蜜などを加えて作る団子のようなものが伝わり、「唐菓子(とうがし)」などと呼ばれた。平安時代になると、菓子の意味範囲が広がり、唐菓子や餠類も含めるようになる。

(3)室町時代には、さらに多様化し、茶請けの軽い食べ物の「点心」のほか、練り羊羹、中国から渡来の饅頭などがあり、後半期にはポルトガル・スペインから、カステラ、ボーロ、コンペイトーなどが伝わり「南蛮菓子」と呼ばれた。

(4)江戸時代には日本特有の菓子も発達し、京都の「京菓子」のほか、「煎餠」や「おこし」の類をいう「干菓子」という呼称も用いられるようになった。

(5)明治以降は西洋から、チョコレート、ビスケット、シュークリーム、ケーキなど多くの菓子が入ってくるようになり、「西洋菓子」と呼ばれたが、日本独自の製法も発達し、やがて、「洋菓子」というようになる。それに対して「和菓子」という言葉も生まれた。>とある。

(78-10)「かゆ」・・粥。

(78-11)「かし」・・「・・よ」。間投助詞。終止した文に付き、聞き手あるいは自らに対して念を押し、強調する。中古に現われた助詞で、会話に多く用いられる。

(78-11)「くだんの」・・件の。「くだり(件)」の変化した語。ふつう、「くだんの」の形で連体詞的に用いる。

前に述べた事柄を、読者や聞き手がすでに承知しているものとして、さし示す語。「の」を伴った形で、前に述べた、さっきの、例の、の意に用いる。

(79-1)「はち」・・鉢。

(79-2)「我だに」・・私でさえ。「だに」は、副助詞。さえ。…までも。

(79-3)「いか成(な)らん」・・(推測して)どうであろう。どんなだろう。なりたちは、形容動詞「いかなり」の未然形「いかなら」+推量の助動詞「む」。

(79-67)「ふくらして」・・膨(ふく)らまして。

(79-7)「洗(あらい)ながし」・・釜やおはちについていて、洗う時に流れ出る御飯つぶ。あらい。ここでいう「櫃の洗ながし」は、米櫃に残っているご飯粒。

(79-10)「あくまで」・・飽くまで。もう飽きたと思うほど十分に。これ以上ないというほどに。限りなく。たっぷりと。徹底的に。

(79-10)「な思ひそ」・・どうか思わないでほしい。「な」は、副詞。「な…そ」の形で、動詞の連用形(カ変・サ変は未然形)を間にはさんで、相手に懇願しつつ婉曲に禁止する意を表す。どうぞ…してくれるな。

(80-1)「不便(ふびん)」・・「不憫・不愍」とも書くが、あて字。かわいそうなこと。気の毒なこと。また、そのさま。

(80-1)「よしや」・・副詞「よし」に助詞「や」の付いてできたもの。副詞「よし」に助詞「や」の付いてできたもの。不満足ではあるが、やむをえないと考えて、放任・許容するさまを表わす語。まあいい。ままよ。仕方がない。

(80-2)「勝手(かって)」・・建物の中や、場所などのありさま。また、物事のやり方。現代では、とくに、その建物、場所(物事)に慣れていて、そこでの行動のしかた(それに対する対処のしかた)が身についている場合にいう。

(80-5)「人気(ひとけ・ひとげ)」・・人のけはい。人がいそうな様子。

(80-6)「ぶた」・・豚。「ぶ」は、変体仮名「婦」に濁点で、「ぶ」。

(80-7)「ちん」・・狆(ちん)か。狆は、犬の一品種。体重二~三キログラムの小形種。額が広く、眼と鼻が

に一直線に並ぶ。体毛は黒と白または茶と白のぶちで、絹糸状の長毛でおおわれる。奈良時代中国から輸入さ

れ江戸時代に盛んに飼育。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の「狆」の項の語誌に

 <江戸時代には仮名表記のほか「狆」という表記も現われた。この字は中国では明・清時代の西南のある少数民族を指す字であったが、それとは別に日本で作られたものか。

特徴的な顔つきからの「ちんくしゃ」や、人になつく性質からの「狆猫婆(ちんねこばばあ)」などの表現が生まれ、体躯が小さいところから「ちんころ」に広く子犬を指す用法も生じた。>とある。

(80-7) 「獣(け)もの」・・「獣」のあとに、「もの」があるから、「獣」は、「け」と読むのがいいか。

(80-7)「庭鳥(にわっとり・にわとり)」・・庭にいる鳥。庭で飼う鳥。鶏(にわとり)をさしていう。

(80-9)「はこ」・・箱。

(80-10)「よりふして」・・寄り臥して。

(81-2)「強(しい)て」・・動詞「しいる(強)」の連用形に助詞「て」が付いてできた語。むりに。むりやりに。おして。あえて。

(81-6)「ぶた」・・豚。影印は、変体仮名「婦」で、「ふ」。ここは、濁点がない。

(81-8)「かくても」・・「かくて」に強調の意を加えたもの。こういう状態でも。

(81-9)「腹むなしくて」・・腹がすいて。

(81-11)「いたく」・・副詞。形容詞「いたい」の連用形から。程度のはなはだしいさま。ひどく。はなはだしく。ずいぶん。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の「いたく」の語誌に、

 <(1)「いたし」は極度である意も表わすが、上代では肉体的・精神的苦痛を表わす例がめだつ。中古に入ると程度のはなはだしさを示す用法は連用形「いたく」にかたよるようになり、これが上代の「いた」の副詞的用法にも通じる副詞となった。

(2)音便化して「いたう」となるが、韻文では後まで「いたく」の形が好んで使われ、特に「いたくな…そ」の禁止表現は、一つの定まった表現のように用いられた。

(3)「いたく」は動作・作用の程度のはなはだしさを表わす語としてもっぱら動詞の修飾に用いられ、形容詞についてその状態のはなはだしさをいう場合は「いと」が使用された。>とある。

(82-2)「手水(ちょうず)」・・(「てみづ」の変化した語)手や顔などを洗い清めるための水。また、洗い清めること。特に、社寺などで参拝の前に手や口を清めること。

(82-3)「左」・・影印は、「右」の左横に見せ消ち記号の「ニ」があり、「左」と訂正している。

 *<漢字の話>「左」と「右」の部首・・

・「左」・・「工(たくみ)」部。脚の「工」は工具の象形。工具を持つひだり手、ひだりの意味を表す。また、左右の手が相互に助け合うことから、たすけるの意味をも表す。

・「右」・・「口(くち)」部。「口」+「又」(音符)。音符の「又」はみぎ手の象形。「口」は、祈りの言葉の意味。神の助けの意味を表す。

(82-3)「大ゆび」・・手足の指のうちで、もっとも太い指。おやゆび。おおよび。おおおよび。ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の「大指」の項の語誌に、

 <古くはオホオヨビ。後に、重複した母音が脱落してオホヨビに、またオヨビからユビへの変化にともなって、十二世紀頃にはオホユビが一般的となる。中世には、オホユビから音韻が脱落したオユビ、さらに転じたオヨビの形も見られるが、近世に至るまで、親指の名称としてはオホユビが最も一般的であった。>とある。

 さらに、「親指」の項の語誌には、

 <オヤユビは元祿時代頃から例が見えるが、オホユビの勢力も依然強く、節用集類でもオホユビの訓のものが多い。「書言字考節用集」では、「拇」に対し右に「オホユビ」、左に「オヤユビ」と訓を付している。おそらく、当時としてはオホユビを正しいとする意識があったのであろう。明治になって、オヤユビがオホユビを圧倒する。>とある。

(82-4)「人さしゆび」・・食指。

*「食指がうごく」・・食欲がきざす。また、広く物事を求める心がおこる。鄭の子公がひとさしゆびの動いたのを見て、ごちそうになる前ぶれだと言ったという「春秋左伝‐宣公四年」の「子公之食指動、以示子家曰、他日我如此必嘗異味」(子公の食指動く。以て子家に示して曰く、他日、我此くの如く、必ず異味を嘗めり)の故事から。なお、「異味」は、「珍味」で、ここでは、黿(げん=スッポン)のこと。

(82-5)「肩の下」・・異本は、その前に「左右の」とあり、「左右の肩の下」に作る。

(82-5)「ぬかずき」・・額衝、額突。「ぬかずき」は、「ぬかずく」の連体形の名詞化。額を地につけて礼拝する。丁寧に礼をする。「ぬか」は、「額(ひたい)」のこと。古くは「ぬか」だけで礼拝の意味があったらしい。

(82-6)「異国人(いこくびと・いこくじん)の神を拝む・・」・・「異国人の」の「の」は、主格の格助詞で、「~が」。ここは、「異国人」。

(82-8)「時宜(じぎ)」・・時にかなった挨拶をすること。礼儀にかなった挨拶の仕方・作法。辞儀。時義。

(83-1)「二千五百石」・・日本の船の積載量は、奈良時代から米の積載能力の石で表わしたが、室町時代になると「兵庫管領千石船」とか「櫟木善性八百石船」というように、積石数を表面に出してよんだ。ただし、船の石は積載容積ではなく、その容積に相当する米の重量であるから、量制の変化に対応して同じ石でもかなりの相違がある。江戸時代になって統一された公定枡の一石は六・四八二七立方尺で、これに対する米の重量四十貫が積載量の基準となり、明治初期まで使われた。したがって千石積は、載貨重量150トンに相当する。

 だから、「二千五百石」は、375トンになる。

(83-1)「ホーストン」・・イギリス船フォレスター号。

(83-2)「ベケツ」・・フォレスター号船長ビケット。

(83-3)「右筆(ゆうひつ)」・・祐筆とも。筆に長じたもの。文書にたずさわって仕えるもの。文官。武家社会に多く見られる職務。文書・記録の執筆・作成にあたる常置の職。鎌倉幕府の引付(ひきつけ)の右筆、江戸幕府の奥右筆・表右筆など。武将の家などにも見られる。ここでは、フォレスター号の書記官くらいの意味か。

(83-5)「ベテツ」・・先には、「ベケツ」とある。異本は、「ベケツ」。

(83-5)「篤実(とくじつ)」・・人情にあつく実直なこと。誠実で親切なこと。

(83-7)「言にき」・・言ってしまった。「にき」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形に過去の助動詞「き」の付いたもの。自分の直接経験として、過去になった事柄、完了した事柄を表わす。…てしまった。すでに…た。

(83-89)「半切(はぎり・はんぎり・はんげり)」・・たらいの形をした底の浅い桶。はんぎり。半桶・盤切。

(83-11)「こそげて」・・刮(こそ)げて。削り落して。「こそぐ」は、物の表面を削る。表面に付着したものを削り落とす。