(37-2)<漢字の話>「成」・・常用漢字の「成」は、「戈(ほこづくり・カのほこ・たすき)」部の2画(総画6画)だが、旧字体は7画。解字は「戊」+「丁」で。「丁」はくぎを表し、くぎづけにする・平定

するの意味。「戊」は、大きな刃のついたまさかりの意味。まさかり敵を平定するの意味から、ある事がらがなる、安定するの意味を表す。

 *「城」・・①常用漢字は、9画、旧字体は10画。旁の「成」の画数の違いによる。

②解字は、「土」+「成」で、土を盛り上げ、人を入れて安定させる、しろの意味を表す。

(37-3)「五星(ごせい)」・・中国で古代から知られている五つの惑星。歳星(木星)・ 惑(けいこく=火星)・鎮星(土星)・太白(たいはく=金星)・辰星(しんせい=水星)の総称。五緯。

(37-3)「二十八宿」・・月・太陽・春分点・冬至点などの位置を示すために黄道付近の星座を二八個定め、これを宿と呼んだもの。二八という数は月の恒星月二七・三日から考えられたといわれ、中国では蒼龍=東、玄武=北、白虎=西、朱雀=南の四宮に分け、それをさらに七分した。すなわち、東は角(すぼし)・亢(あみぼし)・ (とも)・房(そい)・心(なかご)・尾(あしたれ)・箕(み)、西は奎(とかき)・婁(たたら)・胃(えきえ)・昴(すばる)・畢(あめふり)・觜(とろき)・参(からすき)、南は井(ちちり)・鬼(たまおの)・柳(ぬりご)・星(ほとほり)・張(ちりこ)・翼(たすき)・軫(みつかけ)、北は斗(ひつき)・牛(いなみ)・女(うるき)・虚(とみて)・危(うみやめ)・室(はつい)・壁(なまめ)。

(37-3)<漢字の話>「日」・・(ジャパンナレッジ版『字通』より)太陽の形。中に小点を加えて、その実体があることを示す。三日月の形に小点を加えて、夕とするのと同じ。〔釈名、釈天〕の「日は實なり。~月は缺なり」とするのによるもので、音義説である。日と實、月と缺とは、今の音ははるかに異なるが、古音は近く、わが国の漢字音にはなおその古音が残されている。

(37-5)「日午(じつご・にちご)」・・午(うま)の刻。すなわち、午前一二時ごろ。正午。まひる。

(37-8)「七鼓(ななつ)」・・本来、古代中国の都市では鐘と鼓によって人々に時刻を知らせており、明清時代、「晨鐘暮鼓(しんしょうぼこ)」または、「朝鐘暮鼓(ちょうしょうぼこ)」といい、城池の東に鐘楼、西に鼓楼を設け、毎日、寅時(午前4時)と戌時(午後8時)に鐘を鳴らし、戌時から2時間ごとに鼓を打った。このため「一鼓・二鼓…」というように「鼓」時で夜の時間を表した

 1鼓(20時)、2鼓(22)、3鼓(24時)、4鼓(2時)、5鼓(4時)と5つの区切りになっている。

 テキストの「七鼓」は、ない。

 江戸後期の読本作者滝沢馬琴の『近世説美少年録』「七鼓(ななつ)は過ぎて明るに易き・・」とあり、

 「七鼓」を「ななつ」(午前4時)としている。テキストの「七鼓」も「ななつ」と読みたい

 なお、日本の時法について

 『日本の時刻制度』(橋本万平著 塙書房)には次のように述べられている。

 「延喜式に見られる時報の数は、後世まで襲用されているのであるが、何故にこの様に子午で九つ、丑未で八つという様な不思議な数が使用されるようになったかについては、首肯し得る説明は見つからない。次の様な説もあるが、いずれも信用できない。」 として、

 「第一は、陰陽思想から発したものである。陰陽思想では九という数字を非常に重視し、日中及び真夜中の時刻すなわち午の時と子の時には九九の、十九が九で九を打ち、以下順に申寅では三九の二十七で七つ、酉卯では四九の三十六で六つ、戌辰では五九の四十五で五つ、亥巳では六九の五十四で四つを打ったというのである。

 第二の説は、日暮れである申の時を基準として、十二支を逆に勘定し九番目に当たる子時に九つ、八番目である丑の時に八つ、以下順に七つ、八つと鳴らしていった。又他方、夜明けである寅を基準として逆算し、九番目の午の時から同様に九つ、八つと打っていったとするのである。全く荒唐無稽に近い説であるが、現在ではこれ以外の説明は見つかっていない。」

*日本の時法も古く、中国の時法の影響を受け、奈良時代の『養老令』職員令には陰陽寮に漏剋博士(ろこくのはくじ)二人が守辰丁(しゅしんちょう)を率いて漏剋(ろこく=水時計)を管理すること、守辰丁二十人は漏剋によって鐘と鼓を打って時を報じることが規定されている。

 *万葉集にも、

「時守の打ち鳴す鼓(つづみ) 数(よ)みみれば 時にはなりぬ 逢はなくもあやし」(巻11)

  とあるように、時刻は時守が打ち鳴らす鼓の数によって一同に知らされた。後世暮れ六つなどはこれによる。「数(よ)みみれば」は「数をかぞえてみると」という意味。「時守の打ち鳴らす鼓の音の数をかぞえてみると、もうやってきてもよい時刻、なのに逢いにやってこないのは怪訝」という歌である。

(38-4)「暖帯」・・地球上の、赤道から南北の回帰線までの地帯。今日の「熱帯」をいう江戸から明治初期にかけての語。

(38-4)「四時(しじ・しいじ)」・・春・夏・秋・冬の四つの季節の総称。四運。四季。よつのとき。

(38-8)「蔕(へた)」・・

 

(38-7)「瓜(うり)」・・影印は、「爪」。<「瓜(うり)」に「ヽ(ツメ)」あり、「爪(つめ)」に「ヽ(ツメ)」なし>

(38-8)<漢字の話>「蔕(へた)」・・解字は「艸」+「帯」。果実の茎につくところに帯状につく「へた」の意味を表す。語源説に、「ヘタ(端)の義、またハタ(端)の転」がある。

(39-2)「正帯(せいたい)」・・温帯。江戸時代に使われた語。

(39-2)「七鼓半時(ななつはんどき)」・・中古から近世にかけての時刻の呼び方で、午前または午後の五時頃。

(39-3)<文法の話>「見(み)へ」・・下二動詞「見ゆ」の連用形は、「見え」。「見へ」は、文法的には間違い。もし、「見へ」なら、終止形は「見ふ」だが、そういう用法はない。「え」も「へ」も「エ」と発音するので、誤用されることがままある。

 *ヤ行下二動詞「見ゆ」の活用

見え(未然)・見え(連用)・見ゆ(終止)・見ゆる(連体)・見ゆれ(已然)・見えよ(命令)

*ほかにも、ヤ行下二動詞の未然形・連用形が誤って用いられる場合がある。

 ・「消(き)ゆ」・・未然形・連用形は本来「消え」。「消へ」と誤用される。

 ・「聞(き)こゆ」・・未然形・連用形は本来「聞こえ」。「聞こへ」と誤用される。

 ・「越(こ)ゆ」・・未然形・連用形は本来「越え」。「越へ」と誤用される。

 ・「絶(た)ゆ」・・未然形・連用形は本来「絶え」。「絶へ」と誤用される。

 ・「覚(おぼ)ゆ」・・未然形・連用形は本来「覚え」。「覚へ」と誤用される。

*また、ワ行下二動詞も同様に、誤用される場合がある。

 ・「植(う)う」・・未然形・連用形は本来「植え」。「植へ」と誤用される。

 ・「飢(う)う」・・未然形・連用形は本来「飢え」。「飢へ」と誤用される。

 ・「据(す)う」・・未然形・連用形は本来「植え」。「植へ」と誤用される。

*下二動詞の未然・連用形が誤用される理由・・ハ行の動詞の数が多いため、「え」と「へ」のように、発音が同じものを書き分けることが完全にはできなくなった。

(39-3)<仮名遣いの話>「ゆへ」・・歴史的仮名遣いは「ゆゑ」。「ゆへ」は誤用。

(39-4)「夜国(やこく)」・・一年の大半は夜ばかり続き日光を見ない、地球の南北両極に近い国。

(39-5)「正帯(せいたい)」・・「おんたい(温帯)」に同じ。江戸時代に使われた語

(39-89)「極星(きょくせい)」・・天球の北極に最も近い恒星。北極星のこと。

(40-5)「大尾(たいび)」・・まったくの終わり。おしまい。最後。終局