(7-4)「麾(まね)キ」・・船から他船または陸地に対し、合図のため掲げる標識。近世の船方では、漂流船などが救助を求めるために掲げる標識をいい、適宜手元の筵、布、笠などを棹の先端につけて立てた。

(7-4)「マキリ䑺(ばしり)」・・間切䑺。帆船の逆風時での帆走法で、船は風を斜め前からうけて開き帆とし、上手廻しまたは下手廻しをもって右開き・左開きを交互に行ないながら、ジグザグのコースをとって風上に向かって帆走すること。間切り乗り。

(7-8)「仕形(しかた)」・・身ぶり。手まね。

 *「仕形声(しかたごえ)」・・ある作業や身ぶりなどをまねて、からだを動かし、声をはりあげること。また、その声。

 *「仕形談義」・・身ぶり、手ぶりをまじえた説教

 *「仕形咄」・・①手ぶり、身ぶりして語る話。②江戸時代、身ぶりを豊富にとり入れた笑い話。また、所作入りの落語。

 *「仕形舞」・・ことばに合わせ、身ぶり手まねで舞うこと。また、その舞。

(7-21)「尾州御船印(おふなじるし)」・・「船印」は、近世の船に広く使われた標識で、船体・帆・幟などに船主または雇主を明示するためのもの。廻米・廻銅用に幕府が傭った廻船につけた「日の丸船印」はその好例だが、本来は戦国時代の水軍が所属大名の印としてつけた標識が次第に派手となり、江戸時代には幕府・諸藩の軍船は帆に家紋または色わけの意匠、船体各部に銅製金鍍金の家紋をつけ、矢倉上にも特別に装飾的印を立てて船印と称し、また多数の幟・吹流し・しない・四半・幕などの飾り物で装飾し、それら全体を総称して船飾りと呼んだ。こうした船印により参勤交代で航海する諸大名の大船団も一見して何藩と識別できた。一方、民間廻船は船主の標識として帆に黒(稀に赤)の縦・横・斜めの線かそれらを組み合わせた簡素な印をつけたが、家紋的なものは大名船との混同を避けて使わなかった。その代り水押側面に船主の船印つまり屋号の紋章をつけ、船名幟の下部に同じ印を染める程度であった。この船印に対して帆の場合は別に帆印と呼んで区別することが多い。

 尾張藩の船印は、五本骨の黒扇、「尾」印、日の丸に「八」の字を白く抜いたものなど、いろいろあった。

(7-21-2)「浦賀御判物(ごはんもつ)」・・「御判物」は、奉行の裏判のある書類。「浦賀」は、「浦賀奉行」のこと。

 *浦賀奉行・・江戸幕府遠国奉行の一つ。江戸入津船の管理には、元和2年(1616)ごろから下田に番所が設けられていたが、風波の難が多いところから、享保5年(172012月に下田番所を廃して翌6(1721)正月浦賀にうつした。武家の船では、武器・武具、あるいは婦女、囚人・怪我人をのせ五百俵以上の米・大豆を積んだものは浦賀奉行に申告し、廻船などの商船も、漁船と空船を除いては検査を受けて証印を得ることとなった。老中支配、千石高、役料五百俵(元文二年(一七三七))、芙蓉間詰。安政ごろから開国にともない要職となり、従五位、長崎奉行の上席となった。

(7-27-8)「穿鑿(せんさく)」・・さぐり求めること。根ほり葉ほり尋ねること。

 <漢字の話>①「穿」の部首は「穴」部。解字は、「穴」+「牙」で、きばであなをほる、うがつの意味を表す。

 ②「穿」の脚の「牙」は、4画。「穿」は常用漢字ではない。

 ③ところが、常用漢字になっている「邪」、「雅」「芽」の「牙」は、1画多い「牙󠄀」で5画。常用漢字になって1画増えた。これらの旧字体の「牙」部分は4画。

 ④ところが平成22年に改訂された「常用漢字表」で追加された「牙」は、4画。

(7-28-9)「手道具(てどうぐ)」・・身の回りの小道具や調度。手具足。

(7-297-3~1)「何方(いずかた)」・・どちら。テキストでは、国を表し、どこ(の国)。

 *「何方道(どっちみち)」・・どっちみち。いずれにしても。

 *「何方不付(どっちつかず)」・・中途半端なさま。

 *「何方此方(どっちこっち)」・・複数のもののうちどれか。

 *「何方此方(どっちんかっちん)」・・どちらも。どっちもこっちも。

 *「何方此方無(どっちこっちない)」・・①優劣がつけにくい。互角である。②大したことはない。

(7-32)「ランタン」・・『ふなをさ日記』には、「ランダンとは、ヲランタといふ事成べし」とある。しかし、後に、「諳乂利亜(アンケリア・イキリス)の都ロンドン」としている。(『ふなをさ日記―地』のP8)。

(7-37)「篤実(とくじつ)」・・人情にあつく実直なこと。誠実で親切なこと。

(8-1)「丑ノ方」・・北北東。

(8-2)「皮船」・・簡単な骨組に動物の皮革などで外部を張って造った船

(8-6)「コシリヤカ」・・『ふなをさ日記』にはには「猟師は、スハコーリヤカといふ所のものなりとぞ」とある。

(8-89)「シユツハン」・・『ふなをさ日記』には「アミシスカ」とある。現アメリカ合衆国アラスカ州のアレキサンダー諸島のパラノフ島西部の町・シトカか。

(8-9)「地方(じかた)」・・海上から見て、陸地のこと。

(9-4)「名ヲハヲケカ」・・・『ふなをさ日記』は、「ヲテカ」としている。それなら、ここは、「名ヲハ(をば)、ヲケカ」と読むか。