21-1)「達之(本ノマヽ)」・・「之」は「者」で、「達者」か。熟達し上手なこと。

21―1)「通弁(つうべん)」・・通訳。

21-2)「小頭(こがしら)」・・組をなす人々のなかで、その一部分の小分した組の長。

     小隊長あるいは分隊長。

21-4)「魚漁(ぎょりょう)」・・魚介類をとること。「漁猟」と同義。「漁」を「りょう」と読むのは、「猟」にあてた国訓。

21-5)「ヱノシマナイ」・・ヱヌシコマナイ、エヌシコマナイホ。日本名「犬駒内」。樺

     太南部アニワ湾沿いの地名。樺太地名NO28。『樺太の地名』には、明治六年林氏紀行を引用し「湳渓より・・六里にしてイヌシクマナイ土人家十戸」とある。

21-5)「ヲマヘツ」・・ヲマンベツ。マンベツ。ヲマンヘチ。日本名「小満別」。樺太南  

     部中知床半島西岸。樺太地名NO39

21-5)「水 欠 働方」・・欠の部分は、「主」か。「水主働方」とか。

21-7)「従随(本ノマヽ)」・・「随従(ずいじゅう)」で、「従」と「随」の順序が逆か。

     「随従」は、つきしたがうこと。人の言うことを聞いてそれに従うこと。

21-8)「宿営(しゅくえい)」・・軍隊が兵営外で宿泊すること、また、其の場所。久春古丹の「ムラヴィヨフ哨所」に駐屯していること。

2110)「松前より引続候蝦夷地」・・近世、蝦夷島(北海道)において、松前藩は、その統治政策の一つとして、松前を中心とする周辺地域を和人の定住地(松前地、和人地、日本人地とも。)とし、和人の定住地以北の地を蝦夷地(東・西蝦夷地)と称するアイヌの人々の居住地とに区分した。「松前地=和人地」の区域は、時代により異なるが、17世紀には、北方は熊石(現八雲町内)、東方は亀田(現函館市内)が境界、19世紀末には、東方の範囲が山越内(現八雲町内)まで拡大した。

22-2)「恩沢(おんたく)」・・恵み。

22-4)「憤(いきどおり)」・・「憤る」の連用形。憤慨すること。

怒りの気ちを持つこと。

22-4)「以之外(もってのほか)」・・(事柄が普通でなくとがめ立てされるような場合に用いる)とんでもないこと。けしからぬこと。

語源説に、

(1)オモッテノホカ(思外)の義〔言元梯〕。

(2)オモヒ(以)ノホカ(外)の文字読〔大言海〕。

がある。

22-4)「申罵(もうしののしる)」・・悪口を言い立てること。

22-6)「異見(いけん)」・・「意見」。他人をいましめること。説教。

     ジャパンナレッジ版『日本国語大辞典』の語誌には、

     <(1)表記は、挙例のように「色葉字類抄」に「意見」とあるが、中世後期の古辞書類になると「異見」とするものが多く、「又作意見」(黒本本節用集)のように注記を添えているものも見られる。近世の節用集類も「異見」を見出し表記に上げているが、明治時代に入ると典拠主義の辞書編纂の立場から「意見」が再び採られるようになり「異見」は別の語とされた。文学作品の用例を見ても、中世後期から近世にかけては、「異見」が一般的であった。

     (2)「意見」は、「色葉字類抄」に「政理分」と記されていることや「平家物語」の用例によると、本来は政務などに関する衆議の場において各人が提出する考えであった。そのような場で発言するには、他の人とは異なる考えを提出する必要がある。そのようなところから、「異見」との混同が生じたものと思われる。

     (3)中世も後期になると、「異見」の使用される状況も拡大し、(2)の挙例「虎明本狂言・宗論」などに見られるように、二者間においても使用されるようになった。それに伴い、「日葡辞書」が示すような(2)の意味も生じてきた。この意味での使用が多くなり、「異見す」というサ変動詞や「異見に付く」や「異見を加ふ」といった慣用句までできてきた。最初のうちは、相手が目上・目下に関わらず使用されていたが、訓戒の意が強くなり、次第に目上から目下へと用法が限定されてきた。>とある。

22-6)「無本意躰(ほいなきてい)」・・「本意」は「ほい」で、「ほんい」の撥音「ん」の表記されないかたち。本来の意志、もとからの望み。

22-8~9)「ナイフリ」・・ナイブチ(内淵)か。

23-3)「人跡(じんせき)」・・人が通った跡。

23-4)「究竟(きゅうきょう・くきょう)」・・事をきわめて、究極に達したところ。最高であること。また、そのさま。

23-5)「長橇(ながかんじき)」・・「橇」には、「そり」のほか、「かんじき」の訓がある。「履」や「歩行」の文言があることから、雪の中に足を踏み込んだり、滑ったりしないよう靴などの下に付ける道具の「かんじき」。

23-6)「巧者(こうしゃ)」・・物事に器用で、巧みなこと、あるいは、人のこと。

2310)「毎月七之日、三日」・・月毎の7、17、27の「7」の付く日の3日間。

2310)「いたし(以堂し)」・・「いたし」の「い」は「以」、「た」は「堂」の変体かな。

24-1)「打臥(うちふせ)」・・「打臥(うちふす)」の連用形。「打(うち)」は接頭語で、下の動詞の意を強める。「臥す」は、病気などのため、寝床に横になる。ふせる。

24-3)「申断(もうしだんじ)」・・「申断(もうしだんず)」の連用形。拒絶、断わりを言い立てること。

24-4)「折檻(せっかん)」・・厳しく戒めること。たたいて懲らしめること。

24-5)「来ル廿六日迄七日之間」・・和暦の「来ル(安政元年(1854)2月)26日迄7日之間」は、ロシア暦(ユリウス暦)では、185436日~312日、西暦(グレゴリオ暦)では、1854318日~324日にあたる。

24-5~6)「彼国之正月」・・ロシア暦による「新年の正月」ではなく、キリスト教にとって最も重要な行事である復活祭(イースター)の祝祭の期間を指す。復活祭は、春分の日の後の満月に続く日曜日が、その祝日にあたり、西暦(グレゴリオ暦)では、321日~425日の間で、年によって変わる。そして、祝日の一週間前の日曜日から、キリストの復活を祝う特別な行事がおこなわれる。

24―7)「領主城下」・・松前のこと。時の松前藩主は12代崇広(たかひろ)。

24-7)「出勢(しゅっせい)」・・「勢」は軍勢、兵力の意で、出兵すること。

24-9)「申談(もうしだんじ)」・・「申談(もうしだんず)」の連用形。『くずし字用例辞典』には、「申談」は、「もうしだんず」と訓がある。かけあうこと。談判すること。   

24-10)「籏(はた)」・・国字。「竹」と「旗」の合字。