7月学習分の注記の追加

(30-4)「ゆりきうたの崎」・・武四郎『廻浦日記』に、関内を過ぎて、「スナカイトリマ」と「ウスベツ」の間に「ヨリキウタ」があり、「少しの浜 漁小屋一軒有」とある。現せたな町の「ヨリキ岬」か。

(30-4)「ほろ嶋」・・武四郎『廻浦日記』には、「コウタ」(現せたな町の小歌岬)を過ぎて「ホロシュマ 小岬なり」とある。

 

8月学習注記

(32-1・2・4)「見ゆる」・・自動詞ヤ行下二段。活用形は、え(未然)・え(連用)・ゆ(終止)・ゆる(連体)・ゆれ(已然)・えよ(命令)。

 *1行目は、「見ゆる石」で、「見ゆる」は「石」にかかる連体形。

 *2・4行目は、「見ゆる。」で、感情や余情を含んで終止する「連帯止め」。本来は終止形の「見ゆ」。

(32-1)「水(み、みず)ぎわ」・・「幾」は「き(ぎ)」、「王」は「わ」の変体仮名。水際のこと。

 *「王」は、変体かなで「わ」の字源。旧仮名遣いでは「ワウ」。中国音で[wáng]。日本の発音では「ワン」に近い。

 *「王仁」は、「ワニ」と呼ぶ。応神天皇のとき、百済から呼びよせたとされる渡来人。「古事記」に「論語」をもたらしたとある。

 *「王」(4画)の部首は「玉」部(5画)で、部首より画数が少ない。

(32-2)「工(たくみ)」・・匠。「石工(いしく、せっこう)」のことか。

 *「工」を「ク」と読むのは、呉音。大工(だいく)、金工(きんく)など。

(32-2)「奥尻嶋」・・桧山地方の西方に位置し、日本海に浮かぶ離島。東西11㎞、南北27㎞、周囲84㎞。「奥尻」は、アイヌ語の「イクシュンシリ(向の島)」が転訛したもの。元禄13(1700)の「松前島郷帳」に「おこしり島」、「天保郷帳」に、江差村持場之内ヲコシリとの記載がある。アイヌに命じて捕獲したオットセイの皮などは、幕府の献上品として重要視された。後、文久元年(1861)建網が導入され、春の鰊、夏の長崎俵物の生産場所に移っていった。

(32-2・3)「かいとりま」・・漢字表記名「貝取間」。昭和30年まで貝取澗村として存在。昭和30年、久遠村と貝取澗村が合併し、「大成町」となった。『北海道市町村行政区画便覧』によると、「旧貝取澗村は、文化年間に初めて乙部村の来住者をみてより、その後、慶応年間に至り東北地方より二十数戸の移住者がり戸口が増加するに至った」とある。『廻浦日記』には、「カイトリマヘツ(一名石カイトリマヘツ)」とある。

(32-3)「沙取間」・・『廻浦日記』には、「スナカイトリマ」とある。

(32-4)「鰊猟(にしんりょう)」・・「鰊」の旁は「東」でなく、「柬」。なお、中国では「鰊(レン)」は、「小魚」をいい、「ニシン」は「鯖」と書く。

(32-5)「松前」・・「松」は、「木」+「公」を上下に書いた異体字。

(32-5)「家也」・・「也」は、ひらがな「や」の字源。古文書にある「や」は、変体かなの「や」か、「也(なり)」と読む漢字かを、文意で判断する必要がある。テキストでは、「なり」と読み、「也」と翻刻する。

(32-6)「ウスベチ」・・「ウスベツ」とも。漢字表記地名「臼別」。江戸期、クドウ一円は、「ウスベツ」とも称され、場所名もウスベツ場所と呼ばれることもあった。

『廻浦日記』には、「ウシベツ」とあり、「本名ウスベツなるべし。夷人は、ウシベと云。川巾凡三十間余。小石川にて浅し。秋は鮭少し上るよし也。川中蒲柳おおしと。」とある。

(33-1)「小河しり」・・「しり」は、「尻、臀、後」で、最後の部分。後尾。しまい。

 本書では、「クドウ」の地名の由来を「小河じり」としているが、その由来は、諸説があり、以下、参考まで記す。

 1.上原熊次郎地名考

  夷語クントゥなり。弓を置く崎ということ。Ku-un-tu(仕掛け弓・ある・山崎)の意。市街の東側の稲穂崎のことである。

 2.松浦武四郎説。

   『再航蝦夷日誌』では、この岬を「本名クント(?)エトと云よし。クンは 黒し、エトは岬。也黒サキと云こと也」とする。

②『西蝦夷日誌』では、「グウンゾウにて、弓形に入り込んだ処のある岬」として、「弓・   の・山崎」と読んだものらしい。

3. 永田方正説

 ①元名「クンルー」(kun-ru)。危路の意。久遠村の岬端崩壊して、通路危険なるに名づく。

 ②アイヌが「クンルー」と発音するや殆ど「グンヅー」と聞ゆるを以て、和人      誤聞して「クドウ」と呼ぶ。旧地名解に弓を置く岬と訳し、松浦日誌に弓形と訳したるは、誤聞によりて誤訳したるなり。

或人云う、久遠の原名は、「アナクド」なりと。これは、俚人の妄想に係るのみ。     更科源三、山田秀三両氏とも、どちらが正しいか、急には決めることが出来ない

というスタンスといえる。          

(33-1・2)「ゆのしり」・・『廻浦日記』には、「ニヨシリナイ、訛てユノシリ川と云。」として、「ユノシリ」の名が見える。

(33-2)「運上屋(うんじょうや)」・・江戸期、場所請負人が、場所経営の拠点として現地に設けたのが運上屋(家)。第一次幕領期に、東蝦夷地が幕府の直営になったとき、「運上屋」は、「会所」に改められたが、西蝦夷地では、幕領となった後も場所請負制度が続けられたため、「運上屋」の名称は変更されなかった。なお、松前藩の復領後も、東蝦夷地では「会所」、西蝦夷地では「運上屋」の名称が継続された。

(33-4)「拝礼(はいれい)」・・頭を下げて、礼をすること。拝むこと。

(33-5~34-2)・・この儀式を「ヤンカブチ」という。

(33-5)「あくらをかき」・・「あくら」は、「胡座(あぐら)」で、「かき」は、「掛く、懸く、繫く」の連用形。両ひざを左右に開き、両足首を組み合わせて座る座り方をすること。

(33-6)「あげて」・・「阿(あ)」・「希(け・げ)」・「天(て)」。

 *「希」は、変体かなで「き」の字源。「希」の呉音が「け」。「希有(けう)」など。「き」は漢音。

(33-6)「いたヾく」・・「頂く、戴く」で、頭の上にのせてもつこと。

(34-1)「ひげを」・・「飛(ひ)」・「希(け・げ)」・「越(を)」

(34-2)「つゝしみたる容貌(ようぼう)」・・「津」は「つ」、「三」は「み」、「多」は「た」。影印の「兒」は、「貌」の異体字。常用漢字は、「貌」。

(34-2)「酋長(しゅうちょう)」・・かしら。特に未開人の部族のかしら。酋領。なお、「酋長」は、差別用語として、放送禁止用語に指定され、「首長」と訂正されている。

(34-2)「乙名(おとな)」・・一族の長。家長。中世末期、村落の代表者を指した。近世、蝦夷地において、請負場所内の各集落(コタン)の長を乙名と呼称した。なお、各コタンには、乙名のほか、脇乙名、小使と称する役蝦夷(役土人)がいた。後、安政3(1856)には、場所全体を統括する惣乙名を庄屋、惣脇乙名を惣名主、各コタンの乙名は名主と呼称が改められた。

(34-3)「耳かね」・・「耳金(みみがね)」で、耳たぶにつける金属製の装飾品。

(34-3)「耳かねをはめ」・・「耳」「可(か)」・「ね(年)」・「越(を)」・「者(は)」・「女(め)」。

(34-3)「黒羽二重(くろはぶたえ)」・・黒色の紋付などの礼装用の和服地。羽二重は、たて糸に撚りをかけない生糸を用いて平織りにした、あと練りの絹織物。柔らかく上品な光沢がある。

(34-3)「立葵(たちあおい)」・・アオイ科の越年草、延齢草の別名。茎のある葵の葉三つを杉形(すぎなり)に立てた形の紋所の名。

(34-4)「ぬふたる」・・影印は、「ぬ(縫)ふ」+「たる」となっているが、「縫ふ」の連用形は「縫(ぬ)ひ」で、活用からは、「ぬ(縫)ひたる」となるか。

(34-4)「単物(ひとえもの)」・・裏を付けないで仕立てた衣類の総称。特に、裏を付けない長着をいう。

(34-5)「黒紗綾(くろさや)」・・平織り地に四枚綾で稲妻や菱垣(ひしがき)などの文様を織り出した光沢のある黒色の絹織物。

(34-5)「しめたり」・・締めたり。「女」は「め」、「多」は「た」。

(34-6)「結たれは」・・影印の字形は「詰」にみえるが、文意から、「結」で「結(むすび)たれば」か。

(34-6)「惣髪(そうはつ)」・・男子の結髪の一つ。月代(さかやき)を剃らず、伸ばした髪の毛全部を頭頂で束ねて結ったり、または、束ねたり剃ったりしないで、髪を全部後ろへなでつけて垂下げたもの。

(35-2)「あつゝし」・・「あっし」とも。ここでは、オヒョウの靭皮の繊維を細かく裂き、糸にして織った布。またその布で作られたアイヌの服。

(35-3)「きれはち」・・「幾」は「き」、「連」は「れ」、「者」は「は」、「知」は「ち」で、「切れ端(きれはじ・きれはし)」のことか。

(35-3)「唐草様の形」・・唐草は、ウマゴヤシの別名。「唐草模様」のこと。つる草が絡み合う様を図案化した装飾模様のこと。日本では中国からの伝来といわれるが、古くから世界各地で用いられ、アラベスク(イスラム美術の装飾文様)もその一種。

(35-4)「筒袖の半てん」・・「筒袖(つつそで、つつっぽ)」和服で袂の部分がない筒型の袖の形をした、羽織に似た丈の短い上着。「半てん」は、「半纏、袢纏」。

(35-5)「呼給(よびたま)ひて」・・ここでの「給ふ」は、動作の主体(呼ぶ人)に対する尊敬を表す意で用いられており、「お呼びになられる」の意。

(35-6)「給(たまは)り」・・ここでの「給ふ」は、「与える」の尊敬語として用いられ、「お与えになる」の意。

(36-1)「釘」・・影印の字形は、「釘(くぎ)」に見えるが、前後の文意から、「針(はり)」の意。

(36-1)「賜(たま)ふ」・・「与ふ」、「授く」、「やる」などの尊敬語。

(36-2)「一覧(いちらん)」・・一通りざっと目を通すこと。

 *「覧」・・冠部左の「臣」が、大きく独立し、旁のように見え、脚部の「見」は、旁に見える場合がある。

(36-2割注左)「筆紙」・・筆と紙。文章に書き表すこと。用例として、「筆紙に尽くし難い」がよく使われる。

(36-3)「拝(はい)す」・・頭を深くたれて、敬礼する。

(36-3)「尋(たづぬ)る」・・「尋ぬ」の連体形。事情を問いただす。質問する。

(36-4)「掛刀」・・松浦武四郎の『蝦夷漫画』に描かれている「たん子ぷ、太刀のこと」か。   

(36-4)「弓箭󠄀(きゅうぜん・きゅうせん・ゆみや)」・・弓矢。

(36-5)「見ん事」・・「ん」は、文語助動詞「む」の転化したもの。「む」は、助動詞で、話し手自身の意志や決意を表し、「~するつもりだ。」、「~するようにしたい。」。

(36-5)「乞(こふ・こう)」・・人にあることを求める。

(36-5)「日本語(にほんご)」・・日本の言葉、言語。

(36-5)「悉(ことごとく)」・・のこらず。みな。

(36-6)「一二(いちに」・・一つ、二つ。若干。