<11月学習>の検討事項

(41-4)「一眉なる女夷」:「なる」か、「彫る」か、両論あったが、「なる」とする。

    *アイヌの風習「文身(ぶんしん・いれずみ)」:アイヌの女子に多くみられるいれずみの風習。最も顕著で、最後まで残ったものは、口辺部の文身。眉部の文身は、両方の眉毛を連ねる紐条であるが、このさいには眉毛はほとんど脱落して文身だけが残っていることがある。(アイヌ文化保存対策協議会『アイヌ民族誌』第一法規刊)

(42-5)「数寄にして」:①「数寄」、②「数歩」、③「数奇」の意見があったが、「数寄」とする。なお、「寄る」は、「町(丁)」で、「数町(丁)」か。

(44-6~45-1)「三本杉と名つくくる石有」:①「くる」(「く」が重複しており、一つは衍字)②「ひゝる」(「聳える」の意)

 

<12月学習>

(46-1)「狼煙(のろし・ろうえん)」:昔、戦時や非常時の合図のために、薪をたいたり、火薬に点火したりして、空高く上げる火煙。狼の糞を加えて焼けば煙がよく上がると言われる。古くは「とぶひ」と称した。昔、中国で、おおかみの糞を混ぜて焼けば煙が直上するといって用いたところから。

     文化3~4年(180607)、ロシアのカラフト・エトロフ・リシリ襲撃後、沿岸の要所に狼煙台が設けられた。

     なお、「のろし」の語源については、「のろ」は「野良」、「し」は「気」もしくは「火」の意味。また、「のぼるしるし」の略ともされる。

     ジャパンナレッジ版『世界大百科事典』には、<〈のろし〉の字は,中国では杜甫の〈春望〉によって知られる〈烽火〉のほか,〈烽煙〉〈烽燧〉(後述)などと書かれたが,〈狼煙〉と書かれるのは遅くとも唐代になってであった。それは李商隠などの唐詩に散見される。俗に山中の狼の糞を拾い集め混じて製するために〈狼煙〉の字があてられ,日本では鎌倉時代から〈狼煙〉の字が見られるというが,唐の段成式の《酉陽雑俎(ゆうようざつそ)》には〈狼糞の烟,直上す,烽火これを用う〉という説明がある。これを敷衍したのが,宋の陸佃の《埤雅》で,〈古(いにしえ)の烽,狼糞を用う。その煙,直にして聚(あつま)り風吹くも斜ならざるを取る〉という。白色で毛のまじる狼糞は,また肉食獣特有の硝酸分が多く含まれていたためであろうか。>とある。

(46-1~2)「ヲマンロバラ」:現島牧村栄浜のアナマ岩付近をさすか。

(46-2)「金堀(かねほり)」:鉱山で鉱石を掘り取ること。またその人。

(46-3)「見せける」の「け」:変体仮名「希」。「希」の呉音が「ケ」。熟語に「稀有(けう)」など。

(46-4)「貍(たぬき)」:影印の「貍」は、「狸」の俗字。 「狸」は、日本では「たぬき」だが、中国では「やまねこ」を意味する。なお、北海道には「エゾタヌキ」(ネコ目イヌ科タヌキ属)が生息する。

    *影印の「貍」の部首は「豸」(むじな)部。この部に属する常用漢字は「貌(ボウ・かお)」のみ。

     *狸小路の由来:「狸小路とは綽名なり。 創成川の西側、南二条と三条との間の小路をいう。このところ飲食店とて、西二丁目三丁目にて両側に軒をならべ、四十余の角行燈影暗きあたり、一種異体の怪物、無尻を着る下卑体のもの、唐桟の娘、黒チリ一ツ紋の令嬢的のもの、無りょ百三四十匹、各衣裳なりに身体をこしらい、夜な夜な真面目に白い手をすっくと伸ばして、北海道へ金庫でも建てようと思い込みかつ呑み込み、故郷を威張ってはるばる来た大の男子等を巧みにいけどり、財布の底を叩かせる。ハテ怪有な動物かな、その化かし方狸よりも上手なれば、人々かくは『狸小路』となんよべるなり」(『札幌繁昌記』明治24年刊)<札幌狸小路商店街振興組合HPより>

(46-5)「おそろしき」:「そ」は「楚」、「ろ」は「路」、「き」は「紀」。

(46-6)「中村小市郎」:幕吏。生国・本国 下野。高八拾俵(本高参拾俵三人扶持、外役金十両)。在勤年 御手当金弐拾両、雑用金五十五両(月割)。寛政十一未年(1799)御普請役出役ゟ御普請役江抱入、享和三亥年(1803)閏四月新規箱館奉行支配調役下役、文化四卯年(1807)四月同(後松前奉行に改称)支配調役下役元〆。

     小一郎と蝦夷地のかかわりは長く、天明56年(178586)の幕府の蝦夷地調査隊の一員として参加したのをはじめ、寛政4年(1792)、幕府普請役最上徳内、小人目付和田兵太夫らと北蝦夷地(カラフト)を巡視、西はクシユンナイ、東はトウブツまで検分、山丹人、オロッコ人あるいはロシア人(イワノフという人物)などに、北部、山丹、満州、ロシア等の地理を尋問、かつ緯度を測定。また、アイヌが交易による借金のかたに連れて行かれていること、松前藩士松前平角が満州官人と文通していることなどを知る(「通航一覧8輯」)。

     さらに、寛政11年(1799)、蝦夷地御用の三橋成方の配下として、蝦夷地巡行に加わり、シヤマニ、サルル山道の開削にあたっている。また、同年、幕府の蝦夷地直轄に際し、シヤマニ会所の初代詰合を務め、調和元年(1801)には、高橋次太夫とともに、樺太見分の命を受け、小一郎は樺太東海岸ナイブツまで検分した。この検分で、山丹人から、カラフトが島であることを聞き取る。文化5(1808)の間宮林蔵の探検をさかのぼること7年前である。このときの記録を『樺太雑記』に残している。このほか、寛政10年(1798)、蝦夷地を調査した記録の「松前蝦夷地海辺盛衰上書」を著す。文化7(1810)72日病死。墓所は牛込松源寺(現東京都中野区東中野)。

(47-1)「清談(せいだん)」:俗世間を離れた趣味や芸術などの風流な話しや学問についての話し。また、人の噂や名利などと関係のない高尚な話し、またそういう話しをすること。

(47-1)「ハラウタ」:現島牧村字原歌。「バラウタ」、「バラヲタ」とも。漢字表記地名「原歌」。『廻浦日記』には、「バラウタ、小川有、歩行渡り也。此辺より山少し穏に成候由。ニ八出稼小屋有。昔しは、夷家三軒、今はなし。」とある。『松浦図』

     は「ハラヲタ」。

(47-1)「シマコマキ」:現島牧村。漢字表記地名「島牧」。「シマコマキ」は、コタンの名のほか、場所や河川の名称としてもみえるが、ここでは、(請負)場所の名称。『廻浦日記』では、地名の「シマコマキ」は、「大岩有」となっているだけで、運上屋の所在地は、「トマリ、シマコマキ運上屋元、惣てシマコマキと号れども、シマコマキは此処より少し南の大岩の名にして此運上屋元の字にあらず。」とある。「トマリ」は、現島牧村字泊で、泊川の河口部にあり、近世はシマコマキ場所の運上屋が置かれたところ。『松浦図』は「シユマコマキトマリ」。

(47-3)「うるさし」:「う」は「宇」、「る」は「流」、「さ」は「左」。「煩い、五月蠅い」の意。

(47-5)「笘」:影印は、竹冠の「笘(セン、チョウ、むち)」であるが、ここでは、「苫(とま)」の意で用いたか。「苫」は、菅、茅などで編んで作ったもので、舟などを覆い、雨露をしのぐのに用いる。 

(47-6)「とま」:「ま」は「満」。「とま」は「苫」。

(48-1)「弁慶か崎」:寿都湾の北西にある「弁慶岬」。「正保日本図」、『蝦夷志』には、「弁慶崎」とあり、また『廻浦日記』には、「ヘンケイサキ」とある。『松浦図』

     は「ヘンケウ」。

(48-1)「たゐら」:平ら。高低・凸凹のないさま。

(48-2)「潜て(もぐりて)」・・物の下や穴の中に入り込むこと。

(48-3)「スツツ」:現寿都町のうち。漢字表記地名「寿都」のもとになったアイヌ語に由来する地名。コタン名のほか、場所や谷、入江の名称としても見える。「西蝦夷地場所地名等控」に惣名「スツ」として、マツナトマリ、弁慶崎、ナカウタ、イワサキなどの名が見え、「地名考幷里程記」には、「昔時、最初此所にて夷人交易をなせしが諸事不弁理なる故、其後今のイワサキに運上屋を移すといへとも、矢張スッツを場所名になすなり」とある。『廻浦日記』には「スッツ」を「シユマテレケウシナイ」とし、「此処則運上屋元也。是は本名にして人間にて岩サキと云り。」とある。『松浦図』は「シユマテレケウシナイ」。

(48-3)「熊笹(くまざさ)」:チマキザサ、ネマガリダケなど山地にはえる笹の俗称。

(48-4)「ふきたる」:「ふ」は「婦」、「き」は「幾」、「た」は「多」。「葺きたる」。

(48-4)「のみ水」:「み」は「三」。「飲み水」。

(48-5)「半(なかば)わかれて」:全体を二つに分けた一方のこと。半分のこと。

(48-6)「スツツ川」:二級河川朱太川(しゅぶとかわ)。後志地方南部より北流して寿都湾に注ぐ。流路延長43.5キロメーター。

(49-2)「ヲタスツ」:現寿都町歌棄町。漢字表記地名「歌棄」のもととなったアイヌ語に由来する地名。ヲタスツ場所の運上屋が置かれた。『松浦図』は「ヲタシユツ」。

(49-3)「シリヘツ運上屋」:「シリヘツ」は、漢字表記地名「尻別」のもととなったアイヌ語に由来する地名。コタン名のほか、場所や山岳の名称として見える。

      文化年間の『西蝦夷日記』には、「イソヤ場所」が、「シリベツ場所也」とされており、一時期、イソヤ場所がシリベツ場所と呼ばれていた。

(49-4)「よせ能(よき)処(ところ)」:「よ」は「与」、「せ」は「勢」。「よせ」は「寄せる」の連用形。

(49-5)「シリベツ川」:一級河川尻別川。後志地方を西へ流れて日本海に注ぐ。流路延長125.7キロメーター。

(49―6)「心みる」・・「試みる」の意。

(49-6)「越渉(こえ・わたる)」:「越える」の連用形+「渉る」。

(50-1)「さしたる」:副詞「さ」+サ変動詞「す」の連用形「し」+完了の助動詞「たり」の連用形「たる」。一説に、四段動詞「さす」の連用形「さし」+完了の助動詞「たり」の連用形とも。(下に打消の語を伴って)「さほどの」、「これというほどの」、「たいした」の意。

(50-1)「景色」:「色」は決まり字。脚部の「巴」が「五」のくずしに似ている。

(50-2)「分(わけ)て」:副詞〔動詞「分ける」の連用形に助詞「て」がついたもの〕。特別に。ことさら。

(50-6)「けもの」:「け」は「希」。「獣」の意。