12月学習の未定箇所について】

◎P181~4行にある「南部〇沢」の「〇」はどんな字か。また、どこか。

・「○」は、「烏(からす)」で、「南部烏沢(からすざわ)」(現青森県むつ市関根烏沢=からすざわ=)。影印は横棒が一本多く、「鳥(とり)」に見えるが、筆の勢いか。

 以下は、松浦武四郎『東奥沿海日誌』(時事通信社 1969)

 なお、翻刻者(吉田武三は「烏(からす)」を「鳥(とり)」と解読している。

【1月学習】

(184-1)「生符町(いけっぷまち)」:現松前町字大磯・字弁天・字建石。近世から明治33年(1900)まで存続した町。近世は松前城下の一町。上原熊次郎は「生府」の地名について「夷語イナイプなり。二タ胯の沢と訳す。イはイウゴヒ・イウゴテの略語にて、別れ又は繋くと申事、ナイは沢、プとは所と申事の略語なり」と記す(地名考并里程記)。

不動川と化粧川に挟まれた海岸沿いの町。東は博知石町、台地上は白川町。

(184-1)「上(うえ)」:上部。ここでは、生符町の上(北側)の原。

(184-1)「為割(わりなし)」:「割り為す」の連用形「割なし」の名詞化。連用形転成名詞

 *連用形転成名詞:動詞の連用形から名詞に転じたもの。「流れ」「遊び」「光り」「もみぢ」(「もみつ」から)など。

(184-4)「蛎崎」の「蛎」:「蛎」は「蠣」の俗字(草体)。

(184-9)「出役(しゅつやく)」:江戸時代、本役のほかに、臨時に他の職務を兼ねること。また、その役人。

(185-4)「〆(しめ)」:締めること。

 *「〆」は国字:「〆縄」「〆飾り」「〆切り」「〆鯖(しけさば)」(鯖を三枚におろして塩をふりかけ肉を締めることから)など。

 *手紙などの封じ目に記す字。目上の人には「ヽ」を「ノ」の上方に打つ。

(185-8)「御登(おのぼ)せ」:江戸に送ること。「登(のぼ)す」の連用形の名詞化。

(186-1)「西館町(にしだてまち)」:現松前町字西館・字唐津・字愛宕。近世から明治33年(1900)まで存続した町。近世は松前城下の一町。福山城の西、小松前川と唐津内沢川に挟まれた台地一帯、唐津内町の背後(北側)にあたる。

 当地は上級家臣の屋敷地とされ、シャクシャインの戦に関連して「津軽一統志」に西館町とみえる。享保2年(1717)の「松前蝦夷記」には当町域とみられるなかに西立町・端立町・端立中町・今町・西立寺町が載り、宝暦11年(1761)の「御巡見使応答申合書」では西館町・端立町・「今館町」・端立中町・西立寺町がみえ、文化4年(1807)の松前市街図には西館町・今町・西端立町が描かれる。しかしこれ以降の史料には西館町以外の町名はみえず、西館町として統一されたようである。文化頃の松前分間絵図では台地南東部に蠣崎時松・松前勇馬・蠣崎将監(広年・波響)の屋敷がある。三家の北に稲荷社があり、同社の北の通りを少し西に行くと寺町てらまち通に続き、通りから南方唐津内町に至る南北道沿いに東から西端立町・今町・西立町が並ぶ。

(186-4)「無判(むばん)」:本州からの旅人などは、松前地に入るには、許可証が必要であった。それを持たないものは「無判者」といわれた。

(186-7)「立払(たちばらい)」:退去。

(186-9)「痛所(いたみしょ・いたみどころ)」:からだの中で、けがなどのため、痛みを感じる部分。痛い所。痛む場所。

(186-10)「口書(くちがき)」:江戸時代の訴訟文書の一種。出入筋(民事訴訟)では、原告、被告双方の申分を、吟味筋(刑事訴訟)では、被疑者、関係者を訊問して得られた供述を記したもの。口書は百姓、町人にだけ用いられ、武士、僧侶、神官の分は口上書(こうじょうがき)といった。

(187-2)「平士(ひらざむらい)」:普通の侍。官位の低い武士。

(187-3)「肩衣(かたぎぬ)」: 袖(そで)なしの上衣。古代、中世には「手なし」ともいわれ、素朴な衣服で、庶民の間で盛んに用いられた。一方、中世後期に、武家の服装の種類が多くなり、礼装となった直垂(ひたたれ)系衣服の広袖化とともに、その一つである素襖(すおう)の袖を取り除き、公服として用いるようになった。さらに、その肩衣と袴(はかま)を同色同質の上下対(つい)として準正装とした。江戸時代には、裃(かみしも)に変形し、正装として用いられることとなった。

 室町時代の肩衣(かたぎぬ)と長袴(ながばかま)(画面上)。上衣に袖(そで)はなく、袴が裾(すそ)を引くように長いのが特色。肩衣と袴を同色同質の上下対(つい)とした。

 *、「衣(きぬ)」:ジャパンナレッジ版には、『国語大辞典』<「衣服。着物。特に、上半身からおおって着るものを総称していう」>とあり、さらに、<「上代では(きぬは)日常の普段着。旅行着や外出着は『ころも』といった」>とある。また、「院政期以降は衣服の総称でなくなり、『絹』の意の例が見えはじめる」とある。今では、「きぬ」といえば「シルク(絹)」を指すが、「濡衣(ぬれぎぬ)」などに、「衣」を「きぬ」と読む例が残っている。

 *「衣(きぬ)の『え』」:「衣(きぬ)のえ」は、現在のひらがなの「え」(「あいうえお」の「え」)の字源(変体仮名)は「衣」。つまり、あ行の「え」は、「衣」のくずし。「衣」が「え」になる途中に「元(もと)」という字に見えるので、「元(もと)のえ」ともいいう。万葉仮名の時代、「あいうえお」の「え」と、「やいゆえよ」の「え」は、区別されていた。発音も違っていた。や行の「え」の字源は「江」。や行の「え」とあ行の「え」を区別するため、あ行の「え」を「衣(きぬ)のえ」という。

 *、「衣」を「きぬ」と読む例:「衣擦(きぬずれ)」。また、布をやわらかくするために打つ木槌と台、また、布を打つことを「砧(きぬた)」というが、「衣板(きぬいた)」が変化した言葉。また、人名に「衣笠(きぬがさ)」などがある。

 

【P187・187(2)・187(3)】の関係について

1.P187~6行目以降(①)を書き換えて、付札としたのが、P187(2)の6行目以降(②)。①の2番目の「ひとつ書き」が1行抜けているので、②で書き加え、ついでに、「五月廿九日」の文案も訂正した。

2.P187①の1番目の「ひとつ書き」の内容が間違っていたので、P187(3)(③)に訂正し、付札とした。

 ①は、「皆勤御褒美御肩衣料」が、役人も平士(ひらざむらい)も「弐百疋」としたが、

 実際は、役人は「弐百疋」だが、平士は「百疋」だった。

(187-3)「弐百疋」:金百疋は一分。弐百疋は二分。(二分は一両の半分)

(187-7)「上野(うえの)」:集落などの上手(かみて)にある野原。

(187-8)「地割(じわり)」:一定の基準に基づき土地をきちんと区画すること。また、その土地。または、場所の割りふりをすること。

(187(2)-6)「都合(つごう)」:「都」はすべての意。みんな合わせて。ひっくるめて。全部で。

 *「都(つ)」:「都」を「ツ」と読むのは、呉音。「都度(つど)」、「都寺(つうず)」(「つうかんす(都監寺)」の略。仏語。禅林の六知事の一つ。監寺の上に位し、一切の寺務を取り締まる役)など。