森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

「ことば・熟語」メモ

上梓(じょうし)

(古く版木(はんぎ)に梓(あずさ)の木を用いたところから)
文字などを版木に刻むこと。また、書物を出版すること。上木。梓(あずさ)に上(のぼ)す。上板。(『日本国語大辞典』)
出版することを、「梓行(シコウ)」という。
梓は、のうせんかずら科の樹木で、建築木工の材料として重宝される。だから、大工、建具師のことを「梓匠(シショウ)」ともいう。
「梓」の右の「辛」は、鋭い刃物の象形で、切る意味をあらわす。「梓」は、「木+辛」で、刃物で切ったり刻んだりするのに適した木の意。木工に用いる木なので、農家の傍には桑と梓とを植える定めであった。それで故郷を桑梓(そうし)という。


 

蘊奥(うんおう・うんのう)

思文閣出版のPR紙の『鴨東通信』(2011年1月発行)に「西洋眼科術の蘊奥(うんおう)を学ぶ」という文言があった。私は、「蘊蓄(うんちく)」は、知っていたが、この「蘊奥」は知らなかったので、調べてみた。
まず、読みだが、『日本国語大辞典』(小学館)には、「ふつう連声(れんじょう)で<うんのう>と発音する」とあり、『日葡辞書』の「表記はウンワウであるが発音はウンナウ」を載せている。
で、意味について、「教義、学問、技芸などの最も奥深いところ。奥義(おうぎ)。極意(ごくい)。うんおう。」とあり、この言葉が使われた文のひとつに、『西洋道中膝栗毛』〔(仮名垣魯文)から「迂遠の漢学に終身、温奥(ウンオウ)を極めんより」を載せている。『新潮日本語漢字辞典』(新潮社)には、太宰治の『花吹雪』の一節から「嘗つて誰か、ただ一日の修行にて武術の蘊奥を極め得たる」を挙げている。



八里半(はちりはん)

八里半(はちりはん)

ある新聞で、サツマイモのことを「味が栗(九里)に近いというしゃれで、八里という名前の芋もあったとか」という記事を読んだ。で、調べてみました。
『国語大辞典』に、
「サツマイモの異名。また、焼芋をいう。栗(くり)を九里(くり)に掛け、それに近くおいしいという意でしゃれた語。多く、焼芋屋の看板などに書かれた。十三里。」
とあり、用例として、
「*浮世草子・心中大鑑〔1704〕二・一八里半といふ芋、栗に似たる風味とて四国にありとかや」
「*滑稽本・浮世風呂〔1809~13〕三・下お芋お芋。ムム八里半(ハチリハン)か」
「*風俗画報‐四一号〔1892〕飲食門「焼芋屋の店頭(みせ)に出せる方行燈(かくあんとう)に八里半としたたむるは」
をあげている。
また、方言も記載されており、
《はちりはん》大阪、香川県三豊郡
《はちり〔八里〕》肥前、長崎県南高来郡《はちる》長崎県南高来郡
《はちん》長崎県一部
《ばちり・さつまばちり〔薩摩八里〕・あかはちり〔赤八里〕・あかぱちり・あかばちり》肥前
《はっちゃん》長崎県一部、鹿児島県

なお、説明に別に、「十三里」ともいうことが記載されていたので、それも前掲辞典で調べた。
それによると、「(「栗(九里)より(四里)うまい」のしゃれから)さつまいも。また、焼芋(やきいも)をいう。十三里芋。」とあり、用例として、
*随筆・宝暦現来集〔1831〕五「寛政五年の冬本郷四丁目番家にて、初て八里半と云ふ行燈を出し、焼芋売始けり。〈略〉其後小石川白山前町家にて、十三里と云行燈を出候、是も亦右焼芋なり」
*随筆・守貞漫稿〔1837~53〕四「京坂にて是に十三里と書るあり。栗より味うまきの謎也。従栗九里四里和訓近し」
*風俗画報‐四九号〔1893〕飲食門「小石川白山前の町家にて十三里といふ行灯を出し」
をあげている。

糟糠(そうこう)の妻

「糟」は、酒粕、「糠」はぬかで、「酒かすとぬか」。転じて粗末な食物、比喩的に取るに足らないくだらないもの」。『広辞苑』は、「平家物語」の「清盛入道は、平氏の糟糠、武家の塵芥(ちんがい)なり」を例示している。
「糟糠の妻」は、「貧しい時からつれそって苦労をともにしてきた妻」こと。
出典は『後漢書(宋弘伝)』の「糟糠之妻不下堂(糟糠の妻は堂より下がらず)」で、『広辞苑』は、「糟糠の妻は夫の立身出世の後も家から追い出してはならない」と現代訳を付けている。
私の糟糠の妻は、もう、この世にはいない。

温石(おんじゅく)

北海道新聞の「うた暦」に、
「夜(よ)の駅や温石(おんじゅく)のごと罐コーヒー 金久美智子」とあった。
『日本国語大辞典』(小学館)で、「温石」を引くと、「からだを暖める用具の一つ。蛇紋石、軽石などを火で焼いたり、またその石の代わりに菎蒻(こんにゃく)を煮て暖めたりして、布に包んで懐中するもの。焼き石」とあった。
私は、石とか、こんにゃくを懐中に入れて暖をとった記憶はない。この言葉自体、初めて知った。
「懐炉(かいろ」なら、知ってる。「懐炉」を引くと、「中世以降の温石(おんじゃく)に代わって行われた」とあるから、厳密には、違うのだろう。
「石」を「シャク」と読むのは、日本の慣用語。呉音では、「盤石(ばんじゃく)」などの「じゃく」と濁る。

気圧(けお)される。

「ぼくは少々気圧(けお)されながらも、今回の訪問の目的をあらためて述べた」(百田尚樹著『永遠の0(ゼロ)』)
百田は、「気圧」に「けお」とルビを振っている。この語も初めて知った。

『広辞苑』には、「全体の感じや相手の勢いに圧倒される」とあり、源氏物語から「顔のにほひに気圧されたるここちすれば」を例示している。
『古語辞典』(旺文社)を引くと、「け」は接頭語で「け」の項を引くと「気」を宛てている。そして「(動詞・形容詞・形容動詞などの上に付いて)軽くその意味を強め、また、何となくそのようすである、という意を表す。」として「気劣る」「気長し」「気にくし」を例示している。「おす」に「圧す」を宛てる。
また、『全訳古語辞典』(旺文社)には、徒然草から「かけず、けおさるるこそ、本意(ほい)なきわざなれ」を例示し、「(学識がないと)わけもなく、圧倒されるのは、残念なことだ」と訳している。
そうだ。知識がなくて、「気圧(けお)される」ことのないよう、研鑽を積もう!

組(く)んず解(ほぐ)れつ

「組んず」と、「ず」があるから、「組まない」と、否定になるかというと、そうではない。『広辞苑』は、「クミツホグレツの転」とし、「組み合ったり離れたちしてはげしく動きまわるさま」とある。
「組ん」の「ん」は、助動詞「むず」が、平安時代以後、「んず」の形で使われた例の適用変形か。
「解(ほぐ)れつ」は、下2段動詞の「ほぐる」の連用形「ほぐれ」+接続助詞「つ」で、「ときはなれる」の意。
「解」の解字は、「角+刀+牛」で、刀で牛のからだやつのをばらばらに分解することを示す。(『漢字源』 )

「ひっつめ」・「たぼ(髱)」

「ひっつめ」・「たぼ(髱)」 

中島京子の『小さいおうち』に出てくる語句には、今では、ほとんど使われなくなった、昔なつかし言葉がいっぱいでてくる。それらの語句をあらためて調べてみた。 

「ひっつめ」・・「引っ詰め」を当てる。女の髪の結い方のひとつ。『広辞苑』には、「たぼを長く出さずに結うもの」とある。

「たぼ」・・これがまた、わからない。「髱」を当て、「女性の結髪で後方に張り出している部分」とある。『新潮日本語漢字辞典』は、漱石の『行人(こうじん)』から「風呂場の隣の小さい座敷を一寸(ちょっと)覗くと、嫂(あによめ)は今髷(まげ)が出来た所で、合せ鏡ををして鬢(びん)だの髱(たば)だのを撫でゝゐた」を示している。また、『広辞苑』は、「髱」は転じて、「若い婦人の称」(『広辞苑』)とし、『東海道中膝栗毛』から「いい髱(たぼ)でもあったら、この息子を出し抜くめえよ」を揚げている。

足が速い

食物などがくさりやすいことをいう。
「お肉とお魚は足が速いから、大晦日の朝届けてもらうようにする」(中島京子『小さいおうち』文藝春秋刊)
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