森勇二のブログ(古文書学習を中心に)

私は、近世史を学んでいます。古文書解読にも取り組んでいます。いろいろ学んだことをアップしたい思います。このブログは、主として、私が事務局を担当している札幌歴史懇話会の参加者の古文書学習の参考にすることが目的の一つです。

俳句鑑賞

寒卵かゝらじとする輪島箸 前田普羅(まえだ-ふら)

寒卵かゝらじとする輪島箸 前田普羅(まえだ-ふら)・・

 

「寒卵」は、鶏が寒中に生んだ卵。他の季節のものに比べて栄養素を多く含み、普通の卵より重さがある。寒卵を擬人化して、堅牢な輪島塗の箸にも、おいそれと掴まれまいとしている寒卵を詠む。すると、この寒卵は、ゆで卵か。あるいは、寒卵は、割ると黄身が盛り上がるので、輪島箸でも、なかなか、黄身を掴み取れないことを詠うか。石川桂郎は、「塗椀に割つて重しよ寒卵」と詠む。作者の前田普羅は、虚子に見出された大正期の「ホトトギス」の大看板の一人。

ところで、大寒の末候は「鶏始乳(にわとり はじめて にゅうす)」。ニワトリが卵を産み始める頃をいう。これが明けると、立春を迎え、暦もいよいよ春となる。寒卵を食べればじきに春がやってくる。

古垣の縄ほろと落つ蕗の薹 室生犀星

古垣の縄ほろと落つ蕗の薹 室生犀星

 

早春に、葉の伸出より先に花茎が伸び出す。これを蕗の薹(フキノトウ)と呼んでいる。雌雄異花であり、雌花は受粉後、花茎を伸ばし、タンポポのような綿毛をつけた種子を飛ばす。漢字で「款冬」を充てる場合もある。周りの雪を溶かして芽生えるエネルギーは素晴らしい。古い土塀に芽生えたフキノトウは、その上に乗っていた縄を持ち上げ動かす。やがて、垣根から、縄を落とす。犀星は、その瞬間を「ほろと」と形容する。虚子の句に「乾きたる垣根の土や蕗の薹」がある。

春の季語だが、大寒の初候に「款冬華(かんとうはなさく)」がある。こちらは、真冬に、すでに、芽生えることをいう。

寒声や古うた諷(うた)う誰が子ぞ 蕪村

寒声や古うた諷(うた)う誰が子ぞ 蕪村

 

寒稽古は、主に、寒中水泳などや、剣道・武術を寒中に練習し、技と心身を鍛えることを指すが、寒稽古は、芸事も行われてきた。三味線など場合は、「寒弾(かんびき)」という。「寒声(かんごえ)」は、歌を習う者や僧などがのどをきたえるため、寒中、早朝や夜中に発声練習をすること。また、その声をいう。

「古うた」とは、どんな曲だろうか。蕪村の関心は、そこにあるのではなく、あのような難しい曲を、暗記して、寒空に向かって、声をふるわせて朗読している子どもも、すばらしいが、それを教えた親はもっとすごい、といっているのだ。「諷う」は、「記憶した詩文を、書いたものを見ないで声に出していう」こと。(『新潮日本語漢字辞典』)また、僧侶が、声をそろえて経文を読みあげることを「諷経(ふぎん)」というから、僧の寒稽古も「寒声」。其角に「寒声や南大門の水の月」がある。

煤払ひ神官畳めった打ち 林徹(はやし-てつ)

煤払ひ神官畳めった打ち 林徹(はやし-てつ)

 

神仏に仕える者は、生き物を慈しみ、殺生などはしない。生き物ばかりでなく、万物を大切に扱う。もちろん、暴力などしない。ところが、煤払いは、別だ。神官や氏子も集まって、本殿の大広間に敷かれた畳を篠竹で、1年のほこりをたたき出す。「めった打ち」だから、なまはんかな打ち方ではない。孫に揚句を聞かせたら、「ストレスの解消になるかもね」との感想。

煤払いは、煤掃き、煤取り、煤納めともいい、古くは師走の13日に行われた年末恒例の行事。煤は、物が燃える際に、煙とともに出る黒い炭素の微粒子。昔は、燃料といえば、炭や薪だったから、煤払いは欠かせなかったが、殊にお正月を迎える準備のこの時期の煤払いは、単に衛生上のためではなく、すべてを清める宗教的な行事でもあった。

 畳を叩いてほこりを出すことは、私は、2枚の畳を三角状に持たせかけて、竹で叩いた記憶がある。畳を揚げると、隙間から、硬貨が出てきて、人に見られないように、こっそりポケットにしまったことも思い出す。ことわざに、「煤掃きに出る」というのがあるが、転じて、「ほおって置いてもなんとかなる」の意となる。
作者の林徹は、1929(大正15)年生まれで、2008(平成20)年、大腸ガンで死去した。享年82.金沢、浜松、広島の鉄道病院に勤務した耳鼻咽喉科の医師。

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