(72-1)「気随(きずい)」・・自分の気持、気分のままにふるまうこと。また、そのさま。気まま。
(71-5)<決まり字>「寒気」の「寒」のくずし字・・冠部分が「う」、脚部分が「を」のようになる。
(71-5)「広野(こうや)」・・ひろびろとした野原。テキスト影印は「広」の旧字体の「廣」。
「広野」と言う場合、「曠野」を使うことが多い。
(72-10)「江ナカイ」・・テキスト影印は、「ヲロツコ人共江」と、「江」に見えるが、「江」は、「ト」で、「トナカイ」か。
(72-10)「手染」・・「松前伊豆守家来今井八九郎北蝦夷地奥地迄罷越見分仕候趣申上候書付」(『大日本古文書幕末外交関係文書第7巻』所収)は。「染」を「馴」とし、「手馴」としている。
(73-5)「欠隔(かけへだて)」・・ここは、「かけへだて」で、「欠」は、「懸(かけ)」の当て字か。
(73-6)「自儘(じまま)」・・自分の思うままにすること。思い通りにすること。また、そのさま。わがまま。気まま。身勝手
(73-7)「当年(とうねん・ことし)」・・ことし。今年。本年。
(73-10)「承引(しょういん)」・・承知して引き受けること。承知すること。承諾すること。聞き入れること。
(73-11)「致来(いたしきたり)」・・してきたこと。伝えてきたこと。しきたり。
(74-3)<見せ消ち>「当人」→「番人」・・「当」の左に、見せ消ち記号の「ヒ」があり、右に「番」と訂正している。
(74-3) <決まり字>「任置(まかせおき)」の「任」・・旁の「壬」が、「己」のようになる。
(74-3)「所業(しょぎょう・しょごう・しわざ)」・・行なう事柄。多く、好ましくない行為にいう。しわざ。
(74-4)「気請(きうけ・きしょう)」・・「請」は、「受」の当て字なら、「気受(きうけ)」、「性」の当て字なら「気性」。意味は「気質。気だて」。
(74-5)「コタンケシ」・・カラフト東海岸のタライカ湾西部の地名。日本名「古丹岸」「古丹消」
(74-7)「ニイトイ川」・・日本名新問川。『樺太の地名』(葛西猛千代他共著 第一書房 1930)に「新問川はエストル山の北方、西樺太山中に発し南東より湾曲して、ノテト岬の南方より湾に注ぐ、長さ二十里、南は知取(シリトル)、北は内路に接す」とある。
(75-3)「麁絵図(そえず)」・・江戸時代、願・届書などに添えて提出する粗末な絵図・見取図・略図の類。
<漢字の話>「麁」・・「麤」の俗字。「麤」は、あらい、そまつの意味。解字は「鹿」+「鹿」+「鹿」で、しかの群は羊のように密集しないところから、遠くはなれる、あらいの意味を表す。なお、「群」の部首も「羊」で、むらがるひつじの意味をあらわす。
(75-5)「寅八月」・・嘉永7年(=安政元年)1854年。
(75-6)「御小人目付(おこびとめつけ)」・・江戸幕府の職名の一つ。目付の支配に属し、幕府諸役所に出向し、諸役人の公務執行状況を監察し、変事発生の場合は現場に出張し、拷問、刑の執行などに立ち会ったもの。また、隠し目付として諸藩の内情を探ることもあった。定員五〇人。小人横目。
(75-7)「松岡徳次郎」・・松岡徳次郎」・・安政元年(1854)、堀・村垣の蝦夷地巡見に随行し、間宮鉄次郎と共に、北蝦夷地(カラフト)の東海岸を見分。のち、安政元年(1854)閏七月箱館奉行所調役下役、同3年(1856)同支配勘定格、文久3年(1663)同調役並、慶応2年(1866)同調役に進んだ。(『江戸幕臣人名事典(新人物往来社)』、『慶応二年履歴短冊(道立文書館蔵)』)